第六十九話 ミカエルの回想11
クズニが去った後、ギルド内はしばらくの間笑いに包まれました。
ですがその笑い声の中で、一人だけ笑っていない人物がいました。
白い髪をオールバックで整え、しわが刻まれているもののピンと伸びた背筋は老いを感じさせていません。
あの人がアイリスさんが話していたギルド統括長ですか。腕を組み、クズニが逃げて行った扉をじっと見つめています。
「統括長?」
アイリスさんが不思議そうに声を掛けます。
「……不味いな」
流石と言うべきでしょうか。人の上に立つ者はこの様な場の空気を上手く操れますからね。
「何がですか?」
統括長はゆっくりこちらへ歩いて来ました。ですが、視線は常に私を見透かすかの様な眼差しです。
「アイツは、ミシャナン公爵家の一人息子だ」
「えぇ。先程ご本人から聞きましたよ」
「問題はそこじゃないだ」
統括長は険しい表情のまま続けます。
「あの小僧は、自分に都合の悪いことを正直に話すような玉じゃない。それは雰囲気なり品性なり見りゃ分かるだろ?」
「確かに……」
周囲の冒険者達も笑顔を消していきました。
「十中八九、自分がアイリスを斬ろうとした事も、お前さんに手を出した事も隠す」
「……続きを」
私が続きを促すと、統括長は深く息を吐きました。
「『突然現れた旅人に理由もなく襲われた』……そう報告するだろうな」
「そうなるとやはり……」
「あぁ。そうだ。捕まる」
アイリスさんがハッと息を呑む音が聞こえました。周囲の誰もが、これから起こるであろう事態を理解したからです。
「そうですか」
「……それだけか?」
統括長が少し拍子抜けしたように尋ねます。
「はい」
私にとって、それは大きな問題ではありません。
人は、自らの立場だけで物事を判断する生き物です。
ましてや権力を持つ者であれば、身内の言葉を優先するのは珍しいことではありません。
ですから、こうなることはある程度予想していました。
「逃げるつもりはないのか?」
「ありません。逃げたところで、誤解が解けるわけではありませんから」
感心した様に統括長は目を丸くしました。
「肝が据わってんな。お前さん」
「褒めていただいているのであれば嬉しい限りです」
私自身、既にこの世界の人間について多くの事を学んでいます。故に、捕まろうが逃げようが構わないのです。
逃げたら他の人に責任が行くかもしれません。それだけはダメですからね。
「……恐らく、後少ししたらミシャナンの警備兵がここに来るはずだ」
「そうですか。分かりました。大人しく捕まるとしましょう」
*
あの時、アイリスに斬りかかる前からクズニをいつでも殺せる様に俺は2階から魔法で狙っていた。
俺だって元とはいえSランクだ。成り立てのSランクとは経験値が違いすぎる。
だからって俺はアイリスが斬られる瞬間をまじまじと見ていたわけではない。
『全く、ミシャナン家とやらの者には眼がついていないのですか?』
この瞬間に、俺は辛うじて見れた。
剣を抜いた瞬間にあの旅人が一瞬ブレたと言う事を。
つまりこれがどう言うことか。
あの旅人は、クズニの剣がアイリスへ届くよりも速く動いた。
それだけなら、俺でも不可能ではない。
問題は、その"動いた痕跡"が一切残っていなかったことだ。
普通、高速移動をすれば床が軋んだり、服が揺れ動いたりする。だが、あの男にはそれがなかった。
何の残像も動作も残さず、クズニの剣身を素手で斬ったという事実に思わず身震いをしてしまった。
「はっ……バケモンが……」
「何か言いましたか?」
「いや、大したことじゃねーよ」
ここで大人しく捕まってくれる方が良いのかもしれない。
この国にいる全ての冒険者が襲い掛かっても全てを返り討ちに出来る力。警備隊ごときに相手になるはずもない。
(逃げなかったのが不幸中の幸いか……)
仮にこの話が法廷にまで持ち運ばれるのなら、迷いなく俺はリョクの味方をする。
それが、娘を守ってくれた者へのせめてもの恩返しだ。
例え、その証言で公爵家を敵に回すことになったとしてもな。
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