第六十八話 ミカエルの回想⑩
少し長くなりました。
人の営みをじっくりと見た私は、宿を後にしました。
朝の街は既に活気に満ちています。
露店を広げる商人、依頼へ向かう冒険者、学校へ向かう子供達。
昨日とはまた違う表情を見せる街並みを眺めながら今の私はギルド統括所に向かっているのです。
まあ、場所がわからなかったのですがね……。その時、私がどうしたのか。
「すみません。ギルド統括所って何処にあるか、分かりますか?」
そう。住人への聞き込みです。丁度近くにパン屋の店主らしき人がいたものですから、聞いてみた次第です。
「兄ちゃん、旅人か?」
「はい。まだまだ若いですがね」
店主は苦笑しながら『若人が自分の事を若造と言うかね……』と呟き、
「確かに、右も左もわかんねーわな。ギルド統括所はな、お前さんから見て、左に見える最初の角を右に曲がる。そのまま真っ直ぐ進めば大きな3階建の建物があるはずだ。それがギルド統括所だ」
と、しっかりと答えてくれました。
「ありがとうございます。お礼はどうすればーー」
「お礼ならここに並んでるパンを買ってくれや。別に買わなくても良いが……」
「買わせて頂きます!」
それで今に至ると言うわけです。あのパン屋さんのパン、エイド様がいた世界風でしたね。美味しかったです。
パンを食べ終えた頃には、店主の方が教えてくださった建物が見えてきました。
「あれですか」
確かに大きいですね。周りの雰囲気を見るに、この街の中心的な施設であることがよく分かります。
階段を上り、扉を開けると他の世界の様に多くの冒険者達で賑わっていました。
「またAランクの昇給試験を落ちちまった……」
「お前はBランクだからまだ良いだろ。俺なんかまだCだぜ?」
やはり、何処に行っても言葉は違えどランクという物はあるようです。
周りを見渡すと、依頼書の前で頭を抱える者達や仲間と作戦を話し合う者達。そして、受付で報酬を受け取っている者など、個性豊かな人たちがたくさんいます。
人間と言うものは、本当に忙しなく生きる生き物ですね。
「リョクさーん!」
その時、奥の受付から聞き覚えのある声が聞こえます。
視線を向けると、アイリスさんがこちらへ小走りでやって来ました。
「おはようございます。アイリスさん」
「おはようございます! ちゃんと来てくれたんですね!」
「約束しましたから」
私がそう答えると、アイリスさんは嬉しそうに笑いました。
「それじゃあ、今日はギルドの中を案内します!」
「よろしくお願いします」
私達は並んで歩き始めました。
「そう言えば、昨日は自己紹介だけで終わってしまいましたが……」
アイリスさんは少し照れくさそうに頭を掻きました。
「私、一応このベルグラン全ギルド統括本部の副統括長なんです」
「副統括長、ですか」
「はい! 受付だけじゃなくて、冒険者さんの管理や依頼の振り分け、他支部との連絡なんかも担当しています!」
意外でした。昨日の印象が圧倒的に強すぎたので、少々意外ですね。
「随分と責任のある役職なのですね」
「えへへ……まだまだ未熟ですけどね!」
そう言って笑う姿は年相応ですが、この年齢で副統括長という役職に就いている以上、それだけ周囲から信頼されているのでしょう。当然、責任も必然的に付いてきます。
「では早速ですが、人間の文化を知るには何処へ向かうのがお勧めでしょうか?」
「うーん……そうですね」
アイリスさんは腕を組んで少し考え込みました。
「観光なら市場や図書館も良いんですけど……。案外スラムとかも……流石に失礼ですよね…………思っている以上に少ないですね」
「周りの評価ではありません。貴女が見てきた中で最も賑わっていたところを教えて下さい。それが最も重要ですので」
「それでしたら……!」
どうやら、答えを見つけたみたいですね。アイリスさんが「資料を探してきます!」と言い、受付に戻ろうとしたその時でした。
「アイリスちゃーん!」
唐突に、場違いの声がギルドにこだましました。
騒いでいた者も、受付で依頼を受けようとした人も、皆の視線が一気にその声の主に集まりました。
「また来たのですか……」
呆れと疲れが混じった様な声でアイリスさんが走るのをやめ振り返りました。
冒険者達の間に自然と道ができ、見るからにチンピラの様な顔をした男の姿が現れました。身なりは良さげですが、顔と纏っている雰囲気のせいでそれらが台無しです。
こんな人をどう呼ぶのか……。エイド様は確か……。
『ミカエル。俺のいた世界の読み物ではな、最初に強烈なインパクトを遺して死ぬ雑魚みたいな役割があったんだよ』
『それはまた、不思議な役割ですね』
『だろ?で、そいつの事を、俺たちの世界ではーー』
そう、思い出しました。噛ませ犬でしたね。
「何度だって来るぜぃ?お前が俺と結婚するまでなぁ!」
男は肩を揺らしながら下品な笑みを浮かべ、一直線にアイリスさんへ近付いてきます。
「今日こそ返事を聞かせてもらうぜぇ? 俺ぁ、お前みたいな可愛い女を逃す気はねぇからなぁ!」
「何度も言っていますよね。私はお断りしています!」
アイリスさんは表情を崩さないまま、一歩も引きませんでした。
しかし、その笑顔の裏には慣れと諦めが混ざっているようにも見えます。
「そんなつれないこと言うなってぇ。お前も良い歳なんだからよぉ!」
「まだ二十三です」
「十分じゃねぇか!」
周囲の冒険者達は苦笑したり溜め息を吐いたりしているだけで、止めに入ろうとする者はいません。
「これが……日常茶飯事なのですね」
私は小さく呟きました。まあしっかりとアイリスさんに聞き取られていましたが。
「はい……。この人、街でもそこそこ有名でして……」
アイリスさんは困ったように笑います。
「迷惑行為で捕まらないのですか?」
「犯罪になる一歩手前ばかりなので……。強引ではありますけど、暴力を振るったりはしない人なんです」
なるほど。つまり法律の隙間を理解して行動している、と。
ようやく男は、私へ視線を向けました。
「……お?」
私の顔を見た男のニヤニヤしていた顔が少しだけ歪みました。
「誰だ、この兄ちゃん」
「旅人です」
「旅人ぉ?」
男は私の肩へ腕を回そうと近付いてきました。
「悪いけどよぉ。アイリスは俺の女になる予定なんだ。変な虫が付くと困るんだわ」
「予定、ですか」
「そうだ」
「だとしたらそれは有り得ません。アイリスさんは女性として魅力的だとは思いますが、貴方の様な人を選ぶとは考えにくいですからね」
突如、ギルド中の冒険者達が声を上げて笑い始めました。中には涙まで流している人までいるではないですか。
「この兄ちゃん!しれっと告白まがいな事を平然と言いやがったぞ!アイリスの嬢ちゃんも顔が真っ赤じゃねーか!」
「だってよクズニ!さりげなくディスられてるぞ!」
「こりゃ、傑作だ!」
男、改めクズニは顔を真っ赤にし額にピキリと青筋を浮かべました。
「て、てめぇら……!笑ってんじゃねぇぞ!!」
怒鳴り声がギルド中へ響き渡ります。
しかし、一度火が付いた笑いは簡単には止まりません。自然の摂理ですから。
「ははは! 久々に見たぜ、あそこまで綺麗に言い返されるの!」
「本人は煽ってるつもりねぇんだろうな!」
「だから余計面白ぇんだよ!」
アイリスさんは両手で顔を隠したまま、その場で固まっていました。
「リョクさん……その……ありがとうございます……?」
「何故お礼を言われるのでしょうか?」
「そこも天然なんですねぇ……」
小さくため息を吐きながらも、どこか嬉しそうです。
そんな我々の様子を見たクズニは、更に苛立ちを募らせました。
「決闘だ!お前に決闘を申し込む!」
「私が受けて何のメリットがありますか?」
クズニは胸を張り、大仰に腕を広げました。
「俺が命令してるんだよ! この公爵家、クズニ=ミシャナンがよぉ!」
その言葉に、先程まで笑っていた冒険者達も少しだけですが、表情を引き締めました。
「公爵家……ですか」
私は小さく呟きます。
「そうだ。ようやく理解したか?」
「ええ。理解しました」
「だったら──」
「貴族とは、随分と暇なお仕事なのですね」
場の騒がしい空気が一瞬、止まりました。
「……は?」
「街の治安維持や民への支援ではなく、このような場所で女性へ求婚を繰り返しておられる。私はてっきり、公爵とは国を支える重責を担う存在なのかと思っていました………」
本来ならばこの時ここまでいうこともなかったのですが、流石に少し怒ってしまいました。
「失礼ですが、少々見損ないました」
「て、てめぇ……!」
クズニの顔はまたも真っ赤に染まり、肩を震わせます。周囲からは再び笑い声が漏れ始めました。
「ぐっ……くくっ……!」
「旅人の兄ちゃん、容赦ねぇ!」
「全部正論だから言い返せねぇじゃねぇか!」
「黙れぇぇぇぇぇぇ!!」
クズニは怒鳴り散らし、腰の剣を取り出しました。その動作で周りにいた冒険者達が少し距離をとりました。
「大して偉くない分際で……大して強くない分際が……俺のモノにならないお前が悪いんだァァァ!」
言い終えると同時に剣を手に、常人の眼には見えない速度で私の横を走り抜けました。残像さえ見える速度に一般人のアイリスさんが対応できるはずもなく、身動きの出来ないアイリスさんを斬ろうとしました。
本来のこの人の性格なら私に斬りかかっていたでしょうが、怒りで頭が真っ白になったからでしょうか。正常な判断が出来ていないようです。
「全く、ミシャナン家とやらの者には眼がついていないのですか?」
「死ねぇぇぇぇぇッ!!」
私の言葉などまるで聴こえていないという様な怒号と共に、クズニは剣を振り下ろしました。
「きゃあ!」
アイリスさんの悲鳴がギルドへ響き渡ります。誰もが目を見開き、その光景を見ていました。
「……え?」
ですが、金属が肉を裂く特有の音は、何処からも聞こえてきませんでした。
「……え?」
恐る恐る目を開いたアイリスさんは、自分の身体を見下ろえます。
傷一つ無いですし、血も流れていません。
「な、何で……」
クズニも同じように呆然としていました。
振り下ろしたはずの剣。その柄だけが、彼の手に残っていたのです。
(折れているのか?いや、違う。斬られてる!じやあ折れたはずの剣身はどこに!?)
「危ないですよ」
いつの間にか、私の右手の指先に挟まれていました。
親指と人差し指。たった二本の指で。
まるで木の枝でも摘まむかのように、剣身を軽々と持っています。
ギルド中が静まり返りました。
誰一人として、私が動いた瞬間を見ていません。
「な……」
クズニの唇が小さく震えました。
「な、何をした……!」
私は折れた剣身を一度だけ眺め、小さく息を吐きました。
「ですから、眼がついていないかと言ったのですよ」
そう言って、私は剣身を軽く横へ放りました。
乾いた音を立てながら床を滑り、壁際で静かに止まります。
「無抵抗な女性へ剣を向けるなど、貴族以前に戦士として失格です。分かりますか?貴女は人として最低な行為をしたのですよ?」
「最低、だと?」
「えぇ」
私は静かに頷きました。
「身分とは、他者より上に立つための資格ではありません。多くの民を守り、導くために与えられた責務です。その責務を忘れ、力なき者へ刃を向けるのであれば、その肩書きは飾り以下に過ぎません」
「黙れェェェェェ!!」
激昂したクズニは柄だけとなった剣を投げ捨て、そのまま先程の速度のまま拳を振り上げて勢いよく私へ殴りかかってきました。
「ぶっ殺してやる!!」
しかしその拳の猛攻が、私へ届くことはありません。私は片手を伸ばし、その乱撃を軽く受け止めました。
まあ、あんな発言をしていた割には強かったです。瞬きの間にパンチを五発も撃ち込んできましたから。
「なっ……!」
拳は私の掌の中でぴたりと止まり、一ミリたりとも進みません。
クズニは顔を歪めながら力を込めます。腕の筋肉が膨れ上がり、歯を食いしばる音まで聞こえてきそうでした。
「ぐっ……!動けぇぇ!!」
ですが、結果は何一つ変わりません。
「力とは、振るうためにあるのではありません。力無き者達を守る為にあるのです」
その言葉と同時に、受け止めていた拳をほんの少しだけ押し返します。
「がっ!?」
まるで大人が子供を軽く押した程度の動き。
それだけでクズニの身体は数メートル後方へ吹き飛び、床を何度か転がった末に壁際でようやく止まりました。
「ぐぁ……!」
ギルド内は水を打ったように静まり返ります。
誰もが目の前で起きた光景を理解できず、言葉を失っていました。
「う、嘘だろ……」
「あの、Sランクのクズニが……」
「今の、押しただけだよな……?」
冒険者達のざわめきが徐々に広がっていきます。一方のクズニは、震える腕で身体を起こしました。
「き、貴様……!」
怒りと恐怖が入り混じった目で私を睨み付けます。
「何者だ……!」
「旅人ですよ。先程からそう申し上げていますがね……」
「そんな訳があるかぁ!!」
クズニは五月蝿く吠えました。それはよく。
「旅人がこんな力を持っていてたまるか!」
それさえも否定されるのなら他にどう言えば良いんですかね……。
「……では、旅を長く続けた旅人ということにしておきましょう」
その返答に、再びギルド内から笑いが漏れました。
「くっ……!」
笑われたことで、クズニの顔はさらに赤く染まります。
「リョクさん……」
後ろからアイリスさんが恐る恐る声を掛けました。
「もう、その辺で……」
「ええ。元より必要以上に傷付けるつもりはありません」
そう言ってクズニへ視線を向けました。
「本日はこれで終わりにしましょう」
「……何?」
「これ以上続けても、貴方が失うものが増えるだけです。貴方もそう思いませんか?」
静かな声でした。だからこそ、余計にその言葉はギルド中へはっきりと響き渡ります。
「今ならまだ引き返せます。公爵家の名誉も、貴方自身の未来も」
クズニは唇を震わせ、拳を握り締めました。しかし、先程までの勢いは既にありません。
私を見据える瞳には、初めて明確な"恐れ"が宿っていたのです。
「テメェ!覚えてろよ!」
捨て台詞だけを残し、クズニは転ぶようにギルド統括所から逃げ出していきました。その後数秒の沈黙が流れました。
「……………………ぶっ……!」
一人の冒険者が吹き出したのをきっかけに、ギルド中が爆笑に包まれました。
「ははははっ! 逃げたぞアイツ!」
「公爵家の坊ちゃんが負け犬の遠吠えかよ!」
「腹いてぇ!!」
私はその様子を見送りながら、小さく頷きます。
「……素晴らしいですね」
「え?」
不思議そうな顔をするアイリスさんへ向き直りました。
「今の台詞です。『覚えてろよ!』というのは、私の上司が執筆された『負け犬マニュアル』最高難易度に分類される逃走時の決め台詞なのですよ。」
「そんなマニュアルあるんですか!?」
「はい!」
エイド様。手元に"敗北マニュアル"があれば今すぐにでもエイド様の名で布教したいですね。
「サラッと言いましたけど最高難易度なんですか!?」
「えぇ。敗北を認めず、その場から撤退する際にのみ発動できる、本当に超高難易度な技術です」
「高度なんですか、それ……」
このマニュアルは神界の学院しか知りませんからね。人間が知らないのも無理はないです。
お読みいただきありがとうございました!




