第六十四話 ミカエルの回想⑦
いつもより少し長くなってしまいました。
何やらエイド様が喜んでいる気配が聞こえた気がしたんですが、次元を挟んでいるので聞こえるはずありませんよね。
それより、今大事なのはこっちです。
「これは、どうしても貴女に受け取っていただきたいのです」
これで私が引き下がればなんか、負けたみたいじゃないですか!こっちだって負けるわけにはいかないんですよ!
「でも……」
インカ嬢は困ったように父親を見ます。
エンペーア氏は腕を組み、インカ嬢と同じように困った表情をして、
「兄ちゃんの気持ちは嬉しいんだがな……」
と私に苦笑しました。
「旅人から、そんな大事そうなもんを受け取る訳にはいかねぇよ」
「……一筋縄ではいきませんか……」
「そんな事言うんじゃねーよ!」
困りましたね。私は嘘をつくことが苦手です。いえ、正確には嘘をつきたくないのです。
このペンダントは勿論ただのペンダントではありません。様々な加護を付与している装飾品です。
ですが、それを口にする訳にはいきません。そんな説明をしたところで信じてもらえるはずもありませんし、何より天使という立場上、余計な干渉は避けるべきです。
「では、こうしましょうか」
私はインカ嬢の目の前にしゃがみ込み、目線を合わせました。
「旅の意思を継ぐ、と言う事でどうですか?」
「旅の、意思?」
「はい。私は世界の様々な人の人生と景色を見てきました。ですが、ちょっとした事情によりその旅が終わりに近づいているのです」
私は、セブノック様に会いたくなかった為にあの場所に引きこもっていたんです。なぜ会いたくなかったのか。それは、
『ミカエルよ!この仕事をわしの代わりによろしく頼む!』
『いや、それは御身自身でーー』
『確かに任せたぞー!』
と言う具合に仕事を押し付けられるからですよ。
それが嫌であの場所で人間の人生や営みを眺めていたんです。初めは暇つぶしのつもりでした。ですが、思っている以上に人や世界に意識が向くようになって好きになっていったんですよ。
セブノック様からの仕事の押し付け生活から逃れる為に足掻いたおかげで世界を好きになれたのですから、不思議なものですね。
「ですので、私の意思を継ぐと言う事で、このペンダントを受け取ってくれませんか?」
「余計に出会って少しの私達に渡しちゃいけないよ!」
インカ嬢は首をぶんぶんと横に振ります。
その言葉に、私は思わず小さく笑ってしまいました。
「ふふっ……。そう言っていただける方達だからこそ、お渡ししたいのですよ」
「え?」
「私は、とても多くの人を見てきました」
そう呟き、立ち上がって空を見上げます。まるで何か別れを惜しむ者の様に。
「善人も悪人も。貴族や英雄、勇者に罪人。数え切れないほど見てきました」
だからこそ分かるのです。目の前にいる親子が、どれほど優しい魂を持っているのか。
このペンダントには、少しだけ私の加護を込めてあります。
私が加護を付与する事は滅多にないことなどです。それだけ無意識下でこの親子を気に入っていたのですね。
「大事なのは、仮に私の意思を受け取ったとして、最後に貴女が何を遺し、何を託すのか。私はそれを見たくなったのです」
「私が……遺すもの?」
インカ嬢は不思議そうに首を傾げました。
「はい」
私は出来る限り、穏やかに頷きます。
「人の人生は長いようで短いものです。私だって、長生きしても一人で見られる景色には限りがあります。ですが、人から人へ意思は受け継がれていきます。だからこそーー」
「だからこそ?」
私は木箱へ視線を落としました。
「だからこそ、このペンダントは物を贈るという意味ではありません。私が見てきた世界、景色、人を愛する心。その意思を託したいのです」
静かな風が吹き、インカ嬢の綺麗な薄い黄色の髪を優しくふわっと揺らします。
「もし、いつの日か貴女が世界を巡りたくなったら、沢山の人と話してください。沢山の人を愛してください。そして、いつか貴女自身の意思をまた別の誰かへ繋いでください」
私はそっと木箱を差し出しました。今度は、無理に拒否はしませんでした。
この歳の子供にこんな話をして私としても申し訳ないのですが、この子がどんな人生を辿り、何に行き着くか、それを見たい私の我儘を許してください。
しばらくの間、誰も口を開きませんでした。
荷馬車の周囲を吹き抜ける風だけが、静かに三人の間を通り過ぎていきます。
やがて、エンペーア氏が大きく息を吐きました。
「……兄ちゃん」
「はい」
「最初は、ただ高価な贈り物を渡そうとしてるんだと俺は思ってた」
そう言って木箱へ視線を向けます。
「だが違ぇな。兄ちゃんが渡そうとしてるのは、物じゃねぇ。兄ちゃんの生き方だろ?」
「……はい」
その一言に、私は少しだけ目を見開きました。
(……少々話が大きくなってしまいましたね)
私自身、そこまで立派なことを考えていた訳ではありませんしね。
ただ、この子の未来を見てみたい。その我儘を形にしただけなのです。
ですが、それを今ここで訂正するのも野暮というものでしょう。
私は小さく微笑み、静かに頷きました。
「……そう受け取っていただけるのであれば、それ以上望むことはありません」
「あいわかった」
エンペーア氏はインカ嬢に目を向けて近づいていき、頭をわしゃわしゃと撫でました。
「インカ」
「う、うん」
「兄ちゃんは、お前だからこれを託したいって言ってる」
インカ嬢は木箱と私の顔を何度も見比べ、不安そうに口を開きました。
「でも、お父さん……私なんかでいいの?」
「いいか、インカ」
エンペーア氏は娘の肩へそっと手を置きます。
「人から何かを託されるってのはな、強い奴だからじゃねぇ」
その声は、先程までよりもずっと穏やかでした。
「お前なら任せられるって思われたからだ。まぁ、まだわかんねーかもしれねぇがな。別に、旅に出なくてもいいんだよな?兄ちゃん」
「えぇ。私は、その意思が存在したと言う事実を伝えてくれればそれで良いので」
そう言って私はインカ嬢の目の前にかがみ込み、木箱を差し出しました。今度は、しっかりと、確かな手つきで受け取ってくれました。
「ありがとう!大事にするね!お兄ちゃん!」
インカ嬢は、木箱の中のペンダントを取り出して首にかけました。ペンダントの青い宝石が、インカ嬢の胸を照らしていました。
「似合っている様で何よりです」
インカ嬢の頭を優しく撫でると、嬉しそうに笑って木箱を大事そうに胸に抱え込みました。
「これで、思い残すことは私にはありません。今度こそお別れです」
私はフードを深く被り直し、颯爽と門に向けて歩き出そうとしました。
その時、後ろから肩を掴まれ、動きが止められてしまいました。
ゆっくりと振り返るとエンペーア氏が私の肩を掴んでいました。
「まあ待てよ。兄ちゃん。恐らく、いや、確実にだがインカは世界を旅することになるだろう。ならなくても、あんたの名前を後世に繋げていくだろう。それだと困るだろ?エルフのあんたは長生きするはずだ。だったらミカエルと言う名前が伝わるのは少々面倒くさくなるだろ?」
「……確かに、その可能性はありますね」
そこまでは考えていませんでした。
流石に数百年、数千年後まで私の名が残れば、仕事に支障が出る可能性もあります。
「だったらよ、旅人らしく通り名でも考えたらどうだ?」
成程。通り名ですか……。何が良いですかね……。
「それではリョク、と言う名前はどうですか?私の瞳の色から考えましたが……」
「良いんじゃねぇか!中々良い名前じゃねーか」
よくエイド様から『名前をつけるセンスだけは無い』といつも言われていましたからね。少し自信が持てました。
「……ねぇ、リョクお兄ちゃん」
今度こそ門へ向かおうとした私の背中へ、小さな声が届きました。
私は足を止め、ゆっくりと振り返ります。
「はい?」
インカ嬢は木箱を大事そうに抱えたまま、不安そうに微笑みました。
「また……会えるかな?」
その問いに、私は一瞬だけ空を見上げます。澄み渡る青空は、どこまでも静かに広がっていました。
「……そうですね。私など、未来の貴女からすれば、きっと幻のような存在になっているはずです」
インカ嬢は首を傾げました。
「幻?」
「えぇ。ですから、"そんな旅人がいた"と、時折思い出していただけるだけで、私は十分幸せですよ」
「私は絶対に忘れないよ!お兄ちゃんの事!」
「ふふっ。ありがとうございます。それで、先程の質問ですが、恐らく貴女が生きている間に再びお会いすることは難しいでしょう」
少しだけ寂しそうな表情が、インカ嬢の顔に浮かびました。
ですが私は、柔らかく微笑みながら首を横に振ります。
「ですが、縁とは、不思議なものです。世界は広いようで、案外狭いものでもあります。もし再びお互いの道が交わることがあれば、今度は貴女のお話も聞かせてください」
インカ嬢はしばらく下を向いて黙っていましたが、やがて力強く頷きました。
「うん!」
「……良い笑顔になりました」
その笑顔を見て、私は安心したように目を細めます。
「エンペーア氏。ありがとうございました。おかげで、旅がとても楽しいものとなりました」
そう言うと、エンペーア氏はニッと笑って手を振りながら
「そうかよ。こちらこそ、色々とありがとな。ミカエ……いや、リョク」
「ええ。ではさようなら」
私は軽く手を振り、今度こそ門へ向かって歩き始めました。
その時、インカ嬢の声が私の耳に届きました。
「またね!リョクお兄ちゃん!」
どうやら私は気が付かないうちに人間の可能性を決めていた様です。確かに、不可能なんかこの世界にありません。ならば、私はこう返すべきでしょう。
「それではまたの機会に」
今度は、誰も私を呼び止めることはありませんでした。
お読みいただきありがとうございました!




