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「……なんですって」
メルム草中毒者による暴動。それが意味するところは。
表情をこわばらせてソファから身を起こし、前のめりに己を見つめるエクレイアに、ラヴィエルは険しい顔で頷いた。
「大半が錯乱している。手が付けられん。暴動というよりは、もはや獣の破壊行動だ。それも大群だ」
エクレイアは息を呑んだ。
恐れていたことが起きた。前世の記憶が警告を発する。理性を失った人間は、獣と同じだ。そしてまた、この世界の神話も、警笛を鳴らしている。メルム草の起源とされる神話。誤って、燃やした草の毒煙を吸い込んで理性を失くし、単身敵陣に突入して、殺戮を繰り広げ、己もまた息絶えた戦士。前世にある薬物やその類のものと酷似しているそれは、しかしまったく同じものだとはいえない。もし、それに、肉体を増強させるような効能があったら? より人を凶暴にさせる効能があったら? 前世の記憶のような予備知識があったとしても、それはこの世界に完全に適用できるとは限らない。
「……被害状況はどのように?」
「今のところ街の中心部からは外れている。だが……」
「拡大する可能性が高いよね。ラヴィエル閣下、手は足りている?」
「今のところは」
助けは必要か、そう告げるアルベールに、ラヴィエルは感謝を込めて、静かに首を振る。
「暴動は街のはずれが始点になっている」
「けしかけてきた、ってところかな?」
アルベールは、静かに首を傾げた。しかし、エクレイアは苦々しい表情を浮かべて目を伏せる。
「違うと……思いますわ。………そうするメリットが見当たらない」
「確かに。……そうだなあ、もし、それが破壊をもたらすのだと知れたら、売れ行きは望めない」
うーん、と、考え込むアルベールとエクレイアに、ヘレンが遠慮がちに声を上げる。
「恐れながら、お嬢様」
「なあに、ヘレン?」
「もし、ルキオなるものたちが、それを癒す術を知っているのだとしたら、いかがでしょうか」
「!」
エクレイアはまたしても息を呑む。
「つまり、それじゃ……」
「自作自演、ということか?」
言葉に窮したエクレイアの代わりに、ラヴィエルが問う。ヘレンは、思案気に、注意深く頷いた。
「我々は、彼らに何の力もないと考えております。確かに、あの水に関してはそうです。ですが、それは、彼らが本当に無力であると、証明したことにはなりません」
エクレイアは唇を噛んだ。そうだ、ヘレンの言う通り。あくまでもエクレイアたちは、『水』、そして『壺』の効果を虚言だと判断した、それだけだ。それをもって、ルキオなるものが、絶対的に偽りのみの集団であるとは断じることはできまい。
エクレイアは思考を巡らせる。
この世界には、魔法というものが存在する。といっても、それは万能ではない。媒介となるものが必要であり、その作用も比較的限定的なものである。前世で発展していた『医療』に変わり、この世界での医療行為は主に、その魔法で行われている。俗に『薬草術』と呼ばれるそれこそ、魔法は絶対ではないことを示すいい例だった。魔水晶や魔石を用いて行う魔術、その媒介である魔水晶や魔石を薬草に、そして、その力の作用を人間やその他の生物に当てたものを『薬草術』と呼ぶ。それは、自然治癒力を促進し、あるいは病の完治を促す。しかし、あくまでもそれまで。腕の良い薬草術師はまるで一瞬で傷が完治してしまったかのように癒す者もいるが、あくまでそれは、治癒を速めているに過ぎない。当然、手指など体の一部が完全に失われていればそれを戻す術はなく、また、生まれつきそうであるものは治せず、さらには、負ってから時間がたった傷は、完治させることは難しい。ほぼ不可能と言ってもよい。
そして、前世における『医者』の役割の殆どを持つ『薬草術師』は、前世と同じく貴重な職種である。高度な学問を修めなければならず、さらには、天賦の才にも左右される。それでもなお、彼らの力には限界があった。だって、彼らは神ではない。全能でも万能でもない。だから、このレクセンの人間たちは、ルキオの水に縋ったのだ。神の威光に。
この国では、薬草術師の技術よりも天にある御方の権威の方が絶大なのだから。
「暴動はどこに向かっているのですか?」
動きを止めて唇に指先を触れさせたままのエクレイアを視界に捉えたまま、ヘレンは問う。ラヴィエルは答えた。
「広場だ」
「噴水のあるところ?」
「はい。恐らくは」
「何故わかる?」
「複数の曲がり角を塞いだ者がいる。花売りのワゴン、出どころ不明の瓦礫、それから…」
アルベールはきらりと目を光らせた。
「どれもルキオが?」
「確実に」
エクレイアは、唇に触れていた指先を丸めて、拳を作った。ぎゅっと握って、それからまた開く。動揺していた。
「もし、これが成功したら」
もし、獣と化した人間を、ルキオが癒すことに成功したら。
「それは、ルキオの正しさの証明になる」
アルベールとラヴィエルの視線がエクレイアをかすめる。ヘレンが小さく目を瞬いた。エクレイアは浅い呼吸を少しずつ深くしていく。それから、中途半端に開いていた手のひらを、指先を揃えて開く。指先は天井を指した。
「ヘレン」
「はい、お嬢様」
「多分、暴動を止めるのはあの子ども。小さな『ルキオ』よ。他の誰でも意味がない。きっと出てくる」
ヘレンは、エクレイアを真っ直ぐに見つめている。エクレイアは頬に手のひらを当て、指先で微かに頬をつつきながら考え込んでいる。その様子を、その息遣いのすべてを見逃すまいと、ヘレンはじっと見つめていた。アルベールは、ちらりとヘレンを見た後で、エクレイアの言葉に首を傾げる。
「何故?」
「権威を示すため。きっと、彼らにとってこれは想定外の事態でしょうけど、それでもここを逃す手はないはず」
エクレイアは慎重に言葉を続ける。アルベールが眉をぴくりと動かした。
「つまり、暁の神ルべリウスが、生命を締め付けていた闇を割って降臨したように?」
「ええ。……ああ、いえ、それと同等に考えるのはあまりにも…その、不敬ですけれど」
勢いに任せて頷いてから、エクレイアは慌てて首を振った。少なくともこのセリフは、エルヴィアーナ出身のラヴィエルの前で言うべきではない。
おずおずと視線を向けられたラヴィエルは、小さく肩を竦めた。
「気にするな。兄上の前では、言わない方がいいかもしれないが」
「気を付けますわ…」
「申し訳ない」
エクレイアは軽く咳払いをした。
「つまり、彼らはこの事態を収束させ…つまり、彼らの権威を失墜させないようにした上で、尚且つ、彼らの主を認めさせる。この二つは同時でなければ成立しないわ」
「あれだけ秘匿していたあの小さな彼を?」
「この一度きりでまた秘匿するでしょうね。でもそれこそ最も効果的な方法だわ。一度姿を見れば、既に信じている者はその信奉を強め、疑いを持っていたものは認識を改める。つまり…」
「水が再び売れる?」
「それだけで済めばよいのですけれど」
アルベールは小さく唸ってソファに身を沈め、ラヴィエルは顎を引いた。
「ではお嬢様」
「ええ、お願いね」
ヘレンはまた煙のように姿を消し、部屋に残されたのは四人だけだった。つまり、エクレイア、アルベール、ラヴィエル、カイル。
それにしても、と、アルベールはエクレイアを見て、楽しそうに微笑んだ。
「そんな言葉遣いを君の口から聞くとはね」
「……私、なんて?」
エクレイアは唇を押さえた。




