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ずっと考えていたことがある。
もし、そのきっかけが、エクレイアの婚約破棄だったとして、そこにラヴィエルが居合わせていたとして。
父リージオは、どうしてラファエルやラヴィエルをも巻き込もうと考えたのか。
ルキオという組織が、ルルイユの王城に根付いているというのは大問題だが、それならば猶更、他国を巻き込むリスクは大きい。いくらそれが旧知の、娘の友人であったとしても、そこはそれ。まして王族クラスならば、どれだけ気の置けない仲だったとしても、国益のためなら必ず駆け引きの盤上で向かい合うことになる。
そして何よりも。
リージオが、たかが第三王妃に、そこまでの温情をかけるとは思えないのだ。
「………という、内容を、婉曲にしたためてヘレンに言づけたのは確かに私ですけれど」
その返答として、もたらされた父からの書簡に、エクレイアはカタカタと震えた。
「こんっ……こんな……これ、私に明かして良い内容ではないと思いますのよ、ヘレン! お父様はなんて!?」
そんな風に、きちんとソファに座って激しく動揺するエクレイアに、ヘレンは紅茶を差し出しながら気遣わしげに微笑んだ。
「旦那様は、大変お喜びでしたよ」
「どうして!」
頭を抱えるエクレイアに、ヘレンの紅茶に舌鼓を打っていたアルベールが、当然だろうという顔をして、
「そりゃ、君がそんな風に成長していくところ、父親としては嬉しいに決まっているよ。もっとも僕は人の親になったことがないからよくわからないけど」
「………」
飄々と笑うアルベールの美しいかんばせに、思わず深いため息を零してしまう。
「殿下は、ご存知でしたの……?」
「いやあ、僕もまた、君の慧眼が如何なく花開いていく様を見られるとなれば、やっぱりうれしく思うよ」
「殿下……」
半目になって呻くエクレイアに、アルベールは肩をすくめる。ヘレンにお茶のお代わりをねだってから、
「勿論。だって僕の母のことだよ。なんなら僕も関わることだからね」
それでも、中枢はよく知らなかったし、今もよくわかってないけど、と、笑いながらまた、紅茶をこくりと嚥下する。
「知らないことを、僕は別に気にしないからね。必要なら父上は、そしてルーベルハイム閣下は僕に伝える、必要ないなら伝えない。僕は、僕のやるべきことだけをやるだけさ。それに」
アルベールはティーカップを置くと、ぐっと伸びをした。
「ルーベルハイム閣下の思惑なんて、どれだけ思考を巡らせたところでわかるわけがない。僕、できないってわかってることはやらない主義なんだよ」
そうだった、基本的にこの王太子殿下はこういうスタンスだった。適材適所、あまりにも合理主義、かつドライだ。すべてを自分一人で抱え込んでしまって、その結果すべてが滞る、みたいなことを絶対に起こさないというところはよくよくできた人だが、あまりにも割り切りが良いものだから、エクレイアは時々ついていけない時もある。
「……ヘレン、手紙、処分してもらっていいかしら?」
「畏まりました」
手元の書簡をヘレンに手渡せば、アルベールがきらりと目を光らせた。
「ねえ、ヘレン。それ、今ここで燃やせるかい?」
「ここで、ですか」
ヘレンが首を傾げ、エクレイアを見る。エクレイアは、静かに頷いた。
「そうね。ヘレンの火は、綺麗で好きよ。私も見たいわ」
「承知しました」
ヘレンは、手の中の書簡を丁寧に折りたたむと、静かに目を伏せた。口の中で、何かを囁くような音を奏でる。久方ぶりに耳にするその音色に、エクレイアは目を細めた。
一瞬、その囁きが止まる。
「……お見事」
ハーフグローブの手のひらに、白い炎が灯る。書簡の表面に、青白い文字のようなものが浮き出て、ゆらゆらと輝いた。
(これが、この世界の、魔法……、ね)
エクレイアとしては、何度も目にしていたが、前世の記憶が蘇ってからは、間近で見るのは初めてだった。
ヘレンは、有能な魔道士でもある。そして、少々特異な力を持っていた。
「綺麗な目だよね」
「……恐縮です」
じっと、開いて、掌中の書簡を見つめているヘレンの瞳は、黄金に輝いていた。比喩でも、そしてその白い炎の光によるものでもない。その、金の瞳そのものが、まるで自ら光を放つ星のように、光を放っているのだ。
「私も好きよ、ヘレンの目。まるで星みたいよね」
「光栄です」
ふと、ヘレンの瞳が柔らかく緩む。その手の中の書簡は、灰すら残さず焼失した。同時に、その瞳が放っていた光輝は穏やかに消えていき、もとのヘレンの瞳に戻っていく。
この世界の魔法は、本来それ単体で存在することはない。何もない空間に、突然炎が現れたり、水を噴射したり、そういうことはできない。
ただ、そこに媒介となる何かがあれば別だ。先ほどのヘレンの場合、その媒介は書簡、すなわち、『紙』だった。とはいえ、ものであればなんでも媒介になるというわけではない。魔道士それぞれの能力によって、媒介にできるものとできないものがある。一般的な魔道士は、魔力の籠る魔水晶を使う者が大半だ。上級になれば、粗悪な魔水晶、俗称魔石も使うことができる。だがヘレンのように、何の魔力もない物質を媒介にできるものはごく稀だ。本来、魔力を持つ物質と、自身の中にある魔力を共鳴させて発現させる魔法を、ヘレンは、物質に自身の魔力を分け与えることで成立させてしまうのだ。
「僕も魔水晶ならやれるけど。エクレイアは魔石でもやれたよね?」
「え? ああ…ええ……まあ」
正直、今現在やれと言われてできる気がしない。前世の記憶が阻害しているような気がしてならないのだ。そんなことはあり得ない、魔法など存在しないという世界の記憶。勿論考えすぎだろうが、今目の前で行われた、ヘレンによる美しい炎を見てしまうと、どうしても、魔法が遠いものに感じてしまう。
思わずぼうっと、今はもう消えてしまった炎の名残を見つめていれば、ヘレンが咳払いをした。
「お嬢様? …いかがなさいますか。ラヴィエル閣下もお待ちだと思われますが」
「そうね…」
この話はあくまでルルイユ王国の機密事項。そう言えば、ラヴィエルは一つ頷いてティールームを後にしたのだ。皇統である彼には、余計な説明は不要だった。
「そうだね。……ううん、どこまで話すかな、これ」
「……私の裁量に任せる、って、書いてはありましたけれど」
全てを話す? 無理だ。できるはずがない。おいそれと話していいような内容ではない。だからこそ書簡の最後に、これを見た後は必ず処分するように、と、書いてあったのだ。それを、いち小娘の裁量に任せる? 何を考えているのだあの人は。
「………ちょっと、考えさせてください」
「うんうん、時間はたっぷり………、なさそう、だ」
面白そうに、こめかみを押さえてソファに沈んだエクレイアを眺めていたアルベールが、鋭い視線をドアに投げた。ヘレンはエクレイアがソファに沈むその前から、じっとそちらを見つめていた。
ノックの音がする。返事を待たずに、扉が開いた。
「失礼」
冷静な表情はそのままだったが、やや焦ったようなラヴィエルが、ティールームに入ってくる。こめかみに当てていた手を放して彼を見たエクレイアと、険しい視線を向けていたアルベールに、ラヴィエルは静かな、しかし焦りを滲ませた声で告げた。
「暴動が起きた。恐らく、メルム草中毒者によるものだ」




