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宿への帰路。
駆けていく馬車の中は、沈黙に満ちていた。
ルキオというあの幼い教主は、その後口を開くことはなく、隣に従っていたイナンナという女が、アルベールやエクレイアと言葉を交わしていた。
恐らくは、イナンナの方が本命だ。エクレイアは、そう考えながら、吹き込んでくる夜風に目を細める。
「……考え事は終わったかな、お姫様?」
「…おやめください、殿下」
思索から浮上したエクレイアは、面白そうな笑みを浮かべたアルベールと目が合った。
いつから見ていたのだろうか。言ってくれたらよかったのに。いや、きっと、考え事をしている自分の邪魔をしないようにしてくれていたのだろうけど、と、唇を引き結んでから、再び開いた。
「よろしかったんですの、ただの水にあんな……」
「必要経費だろう。戦争すると思えば安い。まあ、事を構えた方が、手っ取り早くはあるけれどね」
「…そんな……」
こともなげに言ってのけたアルベールの言葉に、エクレイアは顔を曇らせた。
アルベールの言に、なんら間違いはない。搦手よりも、実力行使の方が手っ取り早いのはわかりきっていた。なにせこちらは、二つの国の軍を自由にできるのだから。そしてまた、前世の記憶が物語るには、宗教の違いというものは、下手をすれば国家間の諍いよりも、凄惨なものになる。ならばそれを抑え込むには、どんな苛烈な手段を用いても、短期決戦に持ち込むだろう。
だが、やはりどうしても、戦争、というものには忌避感がある。前世の彼女は、戦争というものに関わったことがなく、そしてそれは、忌むべきものだと教えられてきた。
何よりも、レクセンであの水が宗教ルキオとともに伝播した理由の一つにも、戦争がある。メイナスとの戦役は、エルヴィアーナに大きな被害をもたらしたのだ。
「そんな顔させたかったわけじゃないんだけどな。……うん、ごめんね、流石に口さがなかったよ」
「殿下、おやめくださいませ」
眉尻を下げて、悲しみを混ぜた苦笑いを浮かべたアルベールが、エクレイアの顔をのぞき込む。エクレイアは慌てて首を振った。
「王太子殿下たるもの、そうやすやすと頭を垂れるものではありません」
「君ならいいさ。それにここには僕と君しかいないんだからね」
「殿下…」
「しかしまあ、今日は身の上も知れない人間に頭を下げるだなんていう貴重な体験ができたよ」
悪戯っぽく笑ってから、アルベールはふと、窓の外を眺めた。
「そろそろ着くね」
窓の外には、街の明かりが近づいている。車輪があげる声が、土道でなく、石畳を滑る音に変わった。
「今日の収穫は、あの少年ルキオと、イナンナとかいうマダム、それから、ジョン、そして超高額な水、かな?」
「マダム、というほど年かさでしたかしら、あの女性……?」
「ええ、そこなんだ?」
軽口を言い合いながら、エクレイアとアルベールは小さく笑う。
イナンナが持ち掛けたのは、早い話が、水の購入だった。まあ法外な値段を吹っ掛けられた。しかも定期で。商魂たくましいというか、さすがにこれはどうなのよ、と、エクレイアが止めるより前に、この王子様ときたら頷いてしまったのだ。その水は明日か明後日に、あのワゴンに取りに行かなくてはならない。ダースって単位はこの世界じゃ通じないのよね、と、遠い目をしたエクレイアだった。
ガラガラと、車輪が石畳の上を走る。それもやがて、ゆっくりと速度を落としていき、止まった。
木枠にはめられた扉が開く。ヘレンの顔が覗いた。
「お疲れ様でございました」
「ありがとう」
アルベールが、ひらりと馬車から飛び降りる。続いて馬車から降りようとするエクレイアに、ヘレンが手を差し出した。礼を言ってその手を握ると、体がふわりと浮き、優しく地面に下ろされる。
「…さすがに過保護よ、ヘレン?」
「失礼いたしました」
たおやかな微笑みを浮かべてそう言うと、ヘレンは馬車の方を振り向く。いつの間にか馬の手綱を男が握り、馬車は静かに、彼らのもとを離れていく。
「…お礼を言い損ねたわ」
「後で私が伝えておきます」
「お願いね」
ポーチで待っていたアルベールが、エクレイアにすっと手を差し出す。
「……過保護ではございませんか、殿下…?」
「おや、これは失礼」
くすくすと笑いながらも、手はそのままだ。ため息をつきそうになったが、流石に王太子殿下のエスコートを袖にするわけにはいかない。エクレイアは、アルベールの手を取った。
エントランスから廊下を抜けて、ベルボーイから案内されたロイヤルスイート直通のエレベーターに乗り込むと、あとはあっという間だ。
エレベーターから降りたエクレイアは、ふと、ため息をついた。
「お疲れですか、お嬢様」
ヘレンが、心配そうにエクレイアを窺う。少し前を歩いていたアルベールも、振り返ってエクレイアの方を見た。
「いいえ、…紛らわしくてごめんなさいね。ただ、考えることが変わってきたもので、ちょっと整理するのに…時間がかかっているだけですわ」
努めて穏やかに笑って見せれば、アルベールは目を細めた。
「これからもっと増えると思うよ。ラヴィエル閣下も、もうお戻りみたいだからね」
アルベールが、指し示すようにちょっと視線を向けた先には、ラヴィエル直属の兵士たちの姿がある。ティールームの扉を挟むように立っているところをみれば、彼はそこにいるのだろう。
エクレイアは、自らを叱咤するように強く目を瞑ると、息を鋭く吐き出して、気合を入れた。
「ええ、上等ですわ。これが速く片付くのが、私の一番の望みですもの」
そうしてアルメイダお手製のパウンドケーキを食べるのよ、と、心の中で付け加えて、アルベールを促した。歩き出せば、ヘレンが静かに後に続く。
廊下に控えた兵士たちが、深々と礼をした。ティールームに続く扉が開かれる。
「ただいま戻ったよ」
アルベールが、にこやかに部屋の中へと呼びかけると、室内のソファに優雅に足を組んで座っていた彼が、静かにこちらを見た。控えていたメイドや騎士たちが、一斉に頭を垂れる。
「お戻りですか」
紅茶を飲んでいたラヴィエルが、優雅な所作でソーサーにカップを置くと、立ち上がる。それから、少しだけ首を傾げた。
「…論議を、と思いましたが、まずはお着替えになるのが先ですね」
エクレイアとアルベールは、顔を見合わせ、それから、自分たちの格好を見て、噴き出した。まだ二日目だというのにすっかりこの格好に慣れてしまっていた。
その様子を見ていたラヴィエルが、柔らかく目を瞬く。
「その様子だと、随分とそれがお気に召したようですね」
「本当だよ。すっかり忘れていた。とはいえ、着替えないわけにはいかないね」
笑い交じりに言うアルベールの声に重なって、ノックの音がした。ラヴィエルが応じるようにメイドに言うと、メイドが開けたドアからヘレンが顔を出した。
「お召替えの用意が整いました」




