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「ジョン、っていうんだね。やっときみの名前がわかったよ、親切な人」
「これは、名乗り遅れましたね。しかし…」
「勿論覚えているとも。主なるお方、ルキオ」
「素晴らしい。私の名前などというちっぽけなものよりも、あなた方の脳裏にその尊き御名が刻まれるだけで、私の生きる意味があったというものですよ」
庭、と呼ぶにはいささか緑深い中を行きながら、ジョンという男と、アルベールが、楽しげに喋っている。エクレイアはその腕に手を添えて隣を歩きながら、静かにジョンを観察していた。
館の玄関ポーチを抜けて、石段を上がり、見えてきたのは古びた木の大きな扉。ジョンが扉を開き、三人を招き入れた。
「さあ、こちらへ………ん?」
「ジョン、すまない、片づけが間に合わない。もう少し…」
駆け寄ってきた白いローブの男が、ジョンに何か耳打ちする。ジョンは頷いて、三人に向き直った。
「…申し訳ない、皆さま、少々、別の部屋にてお待ちいただきたく…」
「構わないよ、突然押し掛けたのはこちらだからね」
「なんとお心の広い…。ではこちらへ。…中庭の奥は空いていたか? …そこが一番遠い」
白いローブの男は頷き、それから駆け去っていく。それを見送ってから、ジョンは三人を手招く。
アルベールを先頭に、エクレイアとヘレンも続いた。
古びて幽霊屋敷のようになっていた外観とは裏腹に、中は比較的綺麗にされている。絨毯の上を進みながら、エクレイアは周囲を見回した。廊下の隅、絨毯が、何かで汚れている。近づいて調べるわけにはいかないか、と、横目で流し見ながら通り過ぎていく。
奥へ奥へ、と、歩いていくにつれて、視界の中にちらほらと現れていた白いローブの人影は減っていき、ついに見えなくなった。
いくつかの扉を通り過ぎた先の、青い扉の前で、ジョンが止まった。
「それでは、こちらへ」
「ああ、ありがとう」
ジョンが扉を開け、脇へどく。礼を言ってアルベールが進み、そのすぐ後ろにエクレイアが、そしてヘレンが続いた。
その後ろから、ジョンが入ってきて、後ろ手で、扉を閉めた。
部屋の中には、年代物の暖炉と、テーブル、そして、それに比べれば比較的新しいソファが置いてある。ソファだけは買い替えたのか、取り換えたのか…。
と、エクレイアが考えていると、
「……は、従者さん、そんな目で見なくても、別にとって喰やァしませんよ」
エクレイアが驚いて振り返ると、扉を後ろ手で閉じた格好のまま、唇をゆがめて笑うジョンがいた。
人懐っこい笑顔はどこへやら、その表情はあまりにも凶悪だ。
「おや、それは失礼」
しかし、ヘレンはまったく動じない。逆に、状況が呑み込めないエクレイアは、ヘレンの背中と、ジョンという男を見比べるしかない。
「ヘレン……?」
「お嬢様、こちらの男性は、恐らく、ルキオではありません」
「え……?」
予想外の事態に狼狽えるエクレイアの後ろから、アルベールが言った。
「へえ……? じゃあ、きみは一体?」
「ははっ、そりゃこっちも聞きたいんだが、まァいいや、おれは、しがない情報屋さ。人の噂みてェな、胡散臭いものを金に換えることを生業にしてる。そっちのアンタ、そう、黒ずくめの美人さん、たぶんアンタの同類さ」
喋りながら、がりがりと頭を引っかく。人の好さそうな、どこにでもいそうな柔らかい笑顔が掻き消え、目はきゅっと吊り上がり、唇の傷がひときわ目を引く。
そこでようやく動揺を収めたエクレイアが、問う。
「それじゃ、あなたのお名前は?」
「そうさなァ、ジョン・ドウ、なんてどうだ、お姫サマ?」
「名無し? まさか、意地悪はよしてくださる?」
「はははっ、やめてくれ従者さん、視線で石ころになっちゃ敵わねェ。わかった、わかった、名乗るよ。おれはハッターさ」
「……帽子屋? あなた、冗談もいい加減に……」
おどけたように、人を食ったように笑いながら、ジョンが…男が言う。エクレイアが眉根に皺を寄せると、今度はその笑みを一瞬で引っ込め、鼻で笑った。
「いいや、おれはハッターさ。帽子屋の前の路地をねぐらにしてたら、気付きゃァみんなおれをそう呼んだ。だからハッターなのさ。おれに名前なんてねえよ。だから、ハッターだ、おれは」
だからそう呼べ、と、突然膨らんだ威圧のような何かに、エクレイアは息をのんだ。白いローブに、シェステニアの噴水で見た男と同じ顔。しかし、その男は確実に、人がいいなどありえない。
「……わかりましたわ、ハッターさん。では、単刀直入にお伺いいたします。あなたの…」
「目的は? だろ。おれの目的なんざ簡単さ。あんたらがここの連中を綺麗さっぱり掃除してくれりゃ、おれはそれで万々歳さァ」
静かに聞いていたアルベールが片眉を引き上げる。
「それはまた、どうして?」
「どうして? そりゃ王子サマ、おれが情報屋だからだ。従者さん、わかるだろう、あんたなら」
エクレイアがヘレンを見れば、ヘレンは微笑んだまま、首をかしげる。その様子を見て、ハッターは肩をすくめた。
「ちぇっ、てめえで言えってか、意地の悪ぃ従者さんだねェ」
「私が申し上げたことに、同意でもされてはたまりませんからね。嘘の口実になるつもりはございませんよ」
「しねェよ、そんな面倒なこと。しかもアンタわかってんだろォにな。まあいいや。簡単なことさ、ここいらはおれの縄張りなんだ。そんなところであんなけったいな輩がうろつかれてちゃァ商売あがったりなのさ、こちとら」
ハッターの唇には笑みがはりついたまま、眼光が凄みを増す。
「……商人の馬車」
「…へェ! こいつぁ驚いた! ただの囮のお姫サマかと思ったら、意外におつむもよくてらっしゃる!」
「それはどうも。…国境をまたぐには、一番手軽ですものね。商人の馬車の荷に紛れてしまえば。……あなたのお言葉、ルルイユ訛りがありますもの」
小ばかにしたような笑みを浮かべていたハッターが、段々と本気で面白がるような笑みに表情を変えていく。
「はぁ、面白いお姫サマだ。こいつぁ、広場で巻き込んだ甲斐があったなァ」
「………あなたまさか」
「見慣れねえいかにもなお貴族が来ちゃァ、なんかに利用できねえか考えるのはおれたちみたいな人間のサガってもんだ」
つまり、ワゴンに近づくこともなく水を手に入れることができたのは、彼が仕組んだことだったのだ。
「心強いね! ミスター・ハッター、それで、僕らは何をすればいいんだい?」
アルベールの言葉に、ハッターは、意地悪く笑った。
「それより前に、だ。ここまであんたらに喋ったのはサービスだが、こっから先はそうはいかねェ」
「ふうん?」
アルベールは、面白そうに目を細めて、続きを促す。
「ま、コッチも商売なんでね。別に無理難題吹っ掛けようってワケじゃあねェ。簡単な質問に答えてくれりゃあそれでいい」
エクレイアも、アルベールも、黙ってその言葉の続きを待つ。
ハッターは、唇を笑みの形にゆがめていた。エクレイアには、それが、ヘレンの微笑みと同じ、一種のポーカーフェイスのように見えた。
「あんたら、一体なにもんだ?」
真っすぐに。これまでの、人を食ったような表情と、それにふさわしい言葉は鳴りを潜めた。
「ここの意味不明な輩も大概だが、あんたらもまた意味不明だ。ここの輩が来て、こっちの商売を邪魔されて、どうにかしようにも決め手に欠けてたところにあんたらの登場、ってもんだ。しかもあのトンチキを探ってるときた。これ幸いと巻き込ませてはもらったが……住処はあの高級宿の御大尽部屋、となりゃ、後ろになにがあるかもわからん。すんなり信じるってなわけにもいかねェ。……むざむざ死にたかァねえんだよ、おれも」
ひたり、強い視線が、エクレイアを、アルベールを、ヘレンを、見た。見据えた。もはや、睨んだ、といってもいいかもしれない。
軽薄軽妙な喋り口とは裏腹に、その視線は、鋭く、恐ろしく真摯だ。
ならば、答えなければならない。




