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今回は、ふんわり肌触りの良いモスリンの、淡い緑のドレスだった。やっぱりとっても着心地が良い。後ろで髪を一つに結わえて三つ編みにしただけの、なんともシンプルな出で立ちで、エクレイアは神妙な表情を浮かべてヘレンの言葉に耳を傾けていた。
「さて、それでは、お嬢様、そしてアルベール殿下は、街へ降りた時と同じような形で、館へ向かっていただきます。途中までは馬車で、それ以降は徒歩となりますが、よろしいでしょうか?」
「勿論。異国の動植物の植生を眺めるのもいいものだろうし」
「私も。そのためにこの靴を用意して頂いたのですもの」
ドレスの裾を少しだけ持ち上げると、現れたのは、かかとが低い、というよりは、地面と接する面が平らな、柔らかくなめした革の靴。大変歩きやすい。いくらエクレイアがヒールに慣れているとはいえ、やはりハイヒールは歩きにくい代物なのである。
「私も、護衛として同行いたします」
「ええ、よろしくね。……ラヴィエル様は?」
「一足先にご出立なさいました」
「ラヴィエル殿は、レクセンにいるルキオを引き付ける役回りだね」
「ええ。あの方ならきっと上手くなさるでしょう。心配はしておりませんわ」
「同感だ。そして、タイミングを見計らって合流。そういうことでいいね?」
「はい、殿下。合図は私の部下が出すことになっております」
ヘレンは、穏やかに微笑んだ。それは到底、これから敵地に乗り込もうと考えている人間とは思えない、典雅なものだ。
と、エクレイアが感嘆していると、同じことをアルベールも思ったようで、
「……君、本当に斥候? って、時々思うよ。エクレイア、今度、ヘレンに騎士の装いをさせてみたらどうかな」
「お戯れを」
「いいえ、いいかもしれないわ。私としては、貴族の盛装をさせてみたいところだけど」
「お嬢様まで…」
浮かべていた微笑みを困ったような色合いに変えて、ヘレンが言う。いつも通りの黒い外套でもこうなのだから、いつかぜひ装いを変えてみてもらいたいものだ。エクレイアがこの格好をできるのだから、できない道理はないだろう。
…そんな、浮足立つようなことを考えてしまうのは、これから起こるであろうことへの、武者震いのようなものかもしれない。
ヘレンが、こほん、と、咳払いした。
「それでは、宿の前に馬車を手配してございます。行きの御者は私が務めます」
「ああ、そうだね。じゃあ行くとしようか、エリィ」
「ええ、お兄様」
神妙な顔でアルベールがそう言うので、同じように神妙な顔をして返して数秒、エクレイアとアルベールは同時に噴き出した。やはりこれはなかなかに慣れない。
「本当に、君みたいな妹がいたらどれだけ良かったか!」
「光栄ですわ」
くすくすと笑いながら廊下を進む二人に、先導するヘレンが、優しい微笑みを浮かべる。
宿の前に着くと、革の外套を纏った男が、馬車の傍に立っていた。ヘレンが男に近寄ると、二人は二言三言交わす。そうして、男はその場を離れる直前、エクレイアたちの方を見て少しだけ頭を下げた。まさかここで仰々しい礼を取るわけにもいかない故の動作だろう。
「お嬢様、こちらへ。殿下も、どうぞ」
「ふふ、ありがとうヘレン。でも、僕はルディだよ」
悪戯っぽく笑って、アルベールが言うと、ヘレンは少しだけ目を見開くような表情をして、口元を綻ばせた。
「これは、失礼いたしました。ルディ様」
「参りましょう、お兄様?」
「ああ、そうだね」
アルベールはにこりと笑って、ひらりと馬車に飛び乗る。それから、エクレイアに手を差し出した。恐れ多くも、ではあるが、今ここでは『兄妹』だ。微笑んでその手を取ると、馬車に乗り込んだ。扉が閉められる。座席に座れば、まるで見計らったようにヘレンが手綱を取り、馬車が走り出す。
「いつも思うけれど、有能だねえ」
「私もそう思いますわ」
木製の馬車には、窓と呼ぶにはいささか簡素にも見える、木をくりぬいて棒を十字に通しただけの採光窓。
外の風が吹き込んでくる窓の向こう、景色がみるみるうちに流れては後ろへ去っていく。車輪の音を遮るためのカバーをかけていても尚、がらがらと大きな音がする。
「それにしても、エクレイアはこういう馬車に乗ったことあるのかい?」
「何故ですの?」
「いや、天下のルーベルハイムのご令嬢が、こんな質素な馬車に乗って、しかもかなり揺れてるのに、動じないなあって思ってね」
「あら、そうでしょうか? ここだけの話、荷馬車の荷台に飛び乗ったり、鞍をつけていないポニーに飛び乗ったりしておりましたわよ?」
「……本当?」
「幼いころの話ですけれど、ね」
くす、と、笑い、エクレイアは、直接吹き込んでくる風に目を細めた。
昔のこととはいえ、お転婆ここに極まれり、みたいな自分の振る舞いを暴露するなんて、と、口に乗せた言葉がおかしくて、しかしなんだかすごくすっきりした気分で、エクレイアは、風にまつげをそよがせる。
「それを言うなら、殿下こそ。王太子殿下がお乗りになるような馬車ではないのでは?」
「それこそ、視察じゃよくあるよ。あとはハンティングかな。あんな仰々しい馬車になんて乗っていられないよ」
からりと笑って、アルベールは、枠だけの窓に頬杖をついた。流し目のようにエクレイアに視線を寄越し、
「やっぱりなんだか、変わったね。エクレイア」
「……そうでしょうか?」
ぎくり。何度目かわからない緊張が走り、アルベールの視線の意味を探る。しかし、その視線の中には、訝しみや疑念のようなものは見当たらない。というより、それは、まるで。
「その方がいい。その方が、きっと、本当のエクレイアなんだろうね」
見守るような、そんな、優しい視線。穏やかに、柔らかに。飄々としていて、面倒ごとからはするりと逃げてしまう、天真爛漫で掴みどころのない、しかし抜け目のない、計算高い猫かぶり王子。
そう認識していたアルベールが、エクレイアにそんな視線を向けている。
「……そんなに、私、変わりまして?」
「一人称が変わったのはびっくりしたけど」
「ああ、えっと……」
「ふふ。それもきっといいことなんだと思う。…君は読書好きのはずなのに、そうルーベルハイム卿から聞いていたんだよ、なのに、僕やジルベールの前で、本を読むところを見たことがなかった。なんとなく、だけど、我慢してるんだろうなあ、って思ってた」
「……興味がないようで、よく見ていらっしゃいますわね」
「褒め言葉として受け取っておくよ。……だから、変わったけど、それはきっと、素敵な変化だよ」
それに、と、アルベールが言いかけたとき、車輪が石を踏んだのか、馬車が跳ねた。ぐらりと体が傾ぐ。支えようと伸ばされたアルベールの手を、礼と共に制して、エクレイアは態勢を整えて外を見た。
随分と森の中に入ってきた。目を凝らせば、木々の間、向こうの方に、石の壁が見える。
あれか、と、思って見ていると、馬車が緩やかに停車した。
「……馬車はここまでのようですわね」
「そうだね」
ヘレンが、御者台から飛び降りたようだ。馬のいななきが聞こえて、それをなだめるヘレンの声がした。そして、その足音が近づいてきて、扉が開かれる。
「到着いたしました。申し訳ございません、馬車を揺らしてしまいまして。お怪我はございませんか?」
「平気だよ」
「私も、大丈夫よ。仕方がないことだわ、あなたが謝ることじゃないわよ」
本当にね、と、笑いながら、アルベールは慣れた様子で馬車から飛び降りる。そのあとに続きながら、エクレイアはふと、息を吐いた。
本当のエクレイア、という言葉が、引っかかっていた。




