46
エクレイアが発した、予想外の一言に、不意を突かれたらしいアルベールは、ぽかんと唇を開いた。
しかしその驚きもすぐさま掻き消える。取って代わったのは、笑い声だ。それもとびきりの。喉を逸らして、肩を震わせ大笑いときた。
「やっぱり……、やっぱり君、変わったねえ! 君ならこの場合、意地でも僕をこの街から遠ざけると思ってたのに!」
ぎくり、と、一瞬身を固めたが、エクレイアは努めて冷静に、そしてややあきれた声を出した。
「それをわかっておられながら御自らこの街においでになるのも大概だと思いますけれど…。でも、まあ、シェステニアの噴水で、あちらの人間に、兄妹と認識されておりますから、それを利用しない手はありませんでしょう? それに、ヘレンがいますもの。だったら安全ですわよ」
肩をすくめてそう言えば、何が面白いのかはわからないがより一層アルベールの笑いを誘ったようだ。声高らかに笑う王太子殿下は大変麗しいが、このままでは話が進まない。
「それで、殿下。恐らく、ルルイユの王城の方でも、お父様がなにかしら動かれているはずですから、ある程度の情報を共有したいのですけれど。もしかしたら、タイミングを計った方が良いこともあるかもしれませんし。これに関しては、エルヴィアーナ皇帝陛下についても同様ですわね」
「了解したよ。早馬を出そう」
「こちらも承知した」
他には? と、アルベールに視線で問われたエクレイアは、今は何も、と、無言で首を振った。今できることはここまでだ。ここからはルルイユ王城とエルヴィアーナの皇帝に話が行って、どう連携を取るのか、あるいは、このまま独断専行して良いのかを判断してからになる。
そう告げれば、アルベールとラヴィエルは、それぞれソファから立ち上がった。
「じゃ、僕はその手配をしてくるよ。ラヴィエル殿もかな?」
「はい。ついでに、医学書も見繕って持ってきましょう。メルム草の用途についてと症例のもので良いか」
「あら素敵、感謝いたしますわ」
ラヴィエルの提案に目を輝かせたエクレイアを見て、アルベールは肩をすくめた。
「読書家だとは思っていたけど、君、医学にも興味があったの?」
「興味……というか、何かあった時に対処ができるかなと」
「なるほどねえ。じゃあ、僕も少し読んでみようかな。初心者でも読めるものってあるかい?」
「手配しましょう」
「感謝するよ。じゃあ、僕らはいったん失礼しようかな、レディ」
優雅に笑って、二人の貴い人は部屋を去った。途端に、部屋が広くなった心地がする。
立ち上がって見送ったエクレイアは、静かにソファに座りなおした。一流の調度品が品よく並んだティールームは、人払いされていたこともあって今やエクレイア一人だ。
…疲れた。
すらすらと喋っているようで、その実、凄まじく精神力を削られた。
(知っている、ということを、気取られないように喋る、って、なかなか大変なのね)
まして相手は聡い。なお一層神経をとがらせなければ、見抜かれてしまう。正直、リージオ相手に誤魔化しきれるかと聞かれたら、まったく自信がなかった。
(……いえ、誤魔化す、というと少し違うわね。私はきっと、もどかしいんだわ)
だからこそ、下手なことを口走ってしまいそうになる。それを止めるのが大変なのだ。そして、止めていることを感づかれないように、別の言葉を探さなければならない。それもすぐに。だから、いつも以上に疲労してしまう。
そのもどかしさは、一体どこからくるものなのだろう、と、エクレイアはぼんやり考えた。
(今の私? それとも、前の私? ……いいえ、きっとその両方ね)
エクレイアは、ルキオという病がエルヴィアーナに、そしてそこからルルイユに広がることを憂えている。だからこそ、阻止できる道筋が見えているのに、そこに手を打てないことがもどかしい。あるいは、そこにあるとわかっているのに、すぐさま病巣を切除することができない、今という時間がもどかしい。
前の彼女のもどかしさは、それよりももっと単純だ。『見りゃわかるでしょ、詐欺よそれ!』という声すら上げそうになる。
「ドラマで、後ろに犯人がいるのに前ばかり見ている被害者を見ている感覚ね」
呟いて、エクレイアは噴き出した。ドラマ、という、この世界では経験のない代物の記憶が、鮮やかによみがえる。ドラマ、つまりは映像作品。映像作品自体はこの世界にも存在しているが、前の彼女が見ていたそれは、この世界のそれよりもずっとお手軽で、もっと娯楽的で、庶民的だった。ルルイユで、映像として残されるものといえば、専ら宗教儀式であり、そこから派生した宗教劇、次いで歌劇、その他、格式のある、または伝統的なものが多い。
だからこそ、映像として残されることがない、庶民が楽しむような舞台劇は、その場限りのもの。一度きりの舞台。
「それがまた、良いのでしょうけど、そうね…。映像記録用の機材を、安く流通させられないかしら」
一瞬の芸術に、熱狂が集まるのなら、別に、無理に記録する必要はない。
そうやって記録するのは、舞台作品でなくてもいいはずだ。前世のように、子供の成長を、映像として記録したい親だって多いだろう。この世界では、そういう記録は専ら写真か肖像画だ。
この世界での写真を撮るための道具である映水晶は、前世のそれの電子回路をそっくり魔道による回路に代えているものだ。しかしその仕組みの違いからか、映像を残すための連続映水晶は、製作コストが非常に高く、必然的に値が跳ね上がる。庶民はおろか、貴族でもなかなか手が出せない。
「………この騒ぎが一息つけば、多少時間ができるでしょうし、考えてみるのもいいかもしれないわね」
ふうっと息を吐いて、エクレイアは目を細めた。
「もし、もっと手軽に流通させられれば…、あるいは、多少なりともコストダウンできれば、ヘレンたちの仕事が、少しは楽になるかしら」
斥候は、街に蔓延る違法な商売や賭博を調査することも多い。映像として記録できればより鮮明な証拠になるだろう。
くすくすと、悪だくみをするように笑って、エクレイアは両手を天井に突き上げてぐっと伸びをした。行儀が悪い、と、思わなくはないが、今ここには自分しかいないのだ。多少気を抜いてもいいだろう。
「それに、アルメイダの魔法みたいなケーキ作りも、映像にしてゆっくり見たら、少しは仕組みがわかるかしら」
次から次へと、間近でじっくり見ていても仕組みが全く分からない流麗な手つきでお菓子を仕上げてしまう凄腕パティシエールを思い出して、エクレイアは頬を緩めた。彼女の腕前ときたら、パウンドケーキを焼いているのをじっと見ていても(それも三回も!)、どうしてあんな見事なケーキが出来上がるのか、エクレイアにはまったくわからないくらいなのだ。あの時は危うく四度目をお願いするところだった。ああ、アルメイダの焼くふかふかのパウンドケーキが恋しい。
しかしあの味をできるだけ速くに味わうためには、今度のことをすっかり片付けてしまわなければ。
モチベーションを取り戻し、エクレイアは自らの両頬に手を当てて、深呼吸をすると、ヘレンが残していった報告書に目を落とした。おおよそ重要なことは先ほどヘレンが口頭で説明してくれたのだろうが、なにか小さくても、利用できるものはないだろうか。一見関係のないように思えることでも、それがどんな些細なことでも、なにか直感で引っ掛かりを覚えたことなら、あの優秀な斥候たちは、報告書にまとめてくれているだろうから。




