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ヘレンからの知らせは毎日届いていたものの、それから三日は当り障りのないものだった。しかし四日目、事態はにわかに動き始める。
「お嬢様、ティフォンにて暴動が起きたようでございます」
「ふうん……やっぱり、ね」
ティールームにて興じられていた、アルベールとラヴィエルのチェスを観戦していたエクレイアは、すっと目を細めて、書き物をしていた手を止めた。書き物といっても、単なる手慰み、メルム草に纏わる医学書を借りてきて、自分なりにまとめていたのだ。
一進一退の攻防が続いていたチェスボードが、一端沈黙する。
「暴動の規模は」
「死者はなし。けが人が数人。いずれも軽傷です」
「原因は言わずもがな、壺ね」
「はい。壺に支払った代金を返せ、と。残っていた数人のルキオ関係者にティフォンの住民が詰め寄り、暴動に発展したようです」
「現在は?」
「予め潜伏していた騎士団によって鎮圧されました。その隙に、ルキオは完全にティフォンから撤退したようです」
鋭い視線を向けながら聞き入っていたアルベールは、ほうっと息を吐いてソファに沈みこんだ。乱雑に散らばった黒のポーンが、ころんと転がる。
「予め、ね…。準備がいいな、ルーベルハイム閣下の差し金かい?」
ヘレンは微笑んで、答えない。アルベールは、なおさら深いため息をついた。
麗しい微笑みのまま、報告は続く。
「自警と称して、魔道士や傭兵を数人雇っていたようですが……、多勢に無勢、の様子だったと。また、今回のことで、二種類の壺の区別なく、ほとんどすべての被害者が、反ルキオに回ったそうです」
エクレイアは、おや、と首をかしげる。
「被害者…?」
「はい、お嬢様。旦那様は、此度のルキオの振る舞いを、神の威を騙る詐欺事件であると結論付けられました。壺の購入者はみなその被害者であると」
「………そう」
それまで黙って聞いていたラヴィエルが、苦々しい表情で、敵わないな、と呟く。それにはエクレイアも同感だった。リージオには、拒絶反応が出てもおかしくないような、『ありえない』事柄も、すべて想定してあったらしい。我が父ながら恐ろしいことだ。
「話を逸らしてごめんなさいね。続けて」
「はい、お嬢様。ティフォンから追い立てられたルキオの残党は、レクセン近郊の館に入りました。それが昨夜のことです。そして、館を見張らせていたものによると、館に大量のメルム草が搬入されたとの報告がありました」
「……なんだと」
ラヴィエルの表情が険しくなる。アルベールの表情もまた、硬い。
「既に館から、恐らくメルム草の濫用によるとみられる酩酊状態に陥った人間が数名、外へ出ています。そして、先刻、ラフィアシウス閣下直属の斥候の方から窺ったところによりますと、その人物のうち一人は、町長の息子であり、なおかつ、ルキオには批判的であるとされる方でしたが、現在は譫言のように、ルキオを讃える言葉をつぶやき続けているようです」
「………足元を固めにかかったわね」
「恐らくは」
ラヴィエルは、長い指でチェスボードの端をこつこつと叩く。
「ティフォンから追い出されたのは、予想外だったのだろうな。種がわかればお粗末ですらあるが、それでも考え込まれ作りこまれている。だが、予想外に撤退を余儀なくされた。だからこそ、足掛かりとなるレクセンは手放せない」
「でしょうね。人里離れた隠れ家があったとしても、やはり市場に食い込むための拠点は欲しい。……だから、これまでは、緩やかな侵略で済んでいましたけれど、これからはどうなるか」
「………」
とうとうラヴィエルの眉根に皺が寄り、怜悧な顔には迫力が増す。
「騎士団を……」
「待って!」
騎士団、とは、この世界では、軍と同じ意味である。と、前世の記憶が反応し、エクレイアは反射的に声を上げた。騎士団ともなれば、ラヴィエルの私兵とは話が違ってくる。それは国の軍、首都を守る騎士団をここに来やすく持ってくるわけにはいかない。
「何故止める? 事態は急を要する」
「いいえ、騎士団を使うのはまだです。それに、現在のエルヴィアーナにて、戦力を分けるのは得策ではありません」
「…先の戦役のことを言うのならば、心配は無用。我が国の騎士団を甘く見るな」
「そうではありません。もし、騎士団に水が広がったらどうしますの?」
「それは……」
「水の効能とされるものを最も求めているのは、メイナスと事を構えた騎士団ですわ。ならば、一番遠ざけなければならない方々です」
「…エクレイアの言うとおりだね。ラヴィエル閣下、それは、奥の手っていうことにしておこう」
ぐっと奥歯を噛んで、ラヴィエルは黙り込む。いつものポーカーフェイスな彼からは想像がつかないほど、その表情には焦りが滲んでいる。
「ヘレン、お父様はなにか言っていらして?」
「特には。ティフォンとレクセンについてはお嬢様に任せる、と、仰っておられました」
「それでいいのかしらお父様は……」
「それだけ信頼されておられるということでしょう」
誇らしげに微笑むヘレンとは裏腹に、思わず遠くを見てしまったエクレイアだった。信頼が重い。エクレイアはぎゅっと目を瞑り、鋭く息を吐いた。
「それなら、いいわ。私の裁量で致しましょう。その、ルキオの本拠に乗り込みます」
アルベールが素っ頓狂な声をあげ、ラヴィエルも不意を突かれたかのように目をしばたたかせた。アルベールはともかく、普段冷静なラヴィエルの色んな表情を見られたので、今日は随分と収穫の多い一日だなあ、なんて人ごとのようにエクレイアが思っていると、
「エクレイア、それ、本気?」
「ええ、本気ですわ」
「……ヘレン、ねえ、ブローチでいきなり指を刺すよりダイナミックに突拍子もないこと言ってるよ、君のお嬢様。大丈夫?」
「いえ、旦那様の予想通りになったな、と」
「さすがは……ルーベルハイム閣下……」
「ですので、私も護衛として共に参ります。旦那様のご命令ですので」
にっこりと言い切るヘレンに、アルベールが感嘆したように数度手を叩く。
「そうだね…、君がいるなら安心だろうね。どうしようかラヴィエル殿、僕らは心強い人たちを巻き込んだつもりが、とんでもない人たちに巻き込まれているみたいだよ」
「もとより覚悟の上です」
ふう、と、疲れたような息を吐いてから、ラヴィエルは頬杖をつき、にやりと笑った。
「それで、俺たちはなにをすればいい」
とうとう彼まで悪戯っ子だ。しかし、そうなったとしても、エクレイアにだって止めるつもりは毛頭なかった。輝くばかりの笑顔で、エクレイアは言い放つ。
「ラヴィエル様は、部下の方に、一芝居打っていただけるよう指示して頂きたく」
「ほう…? お前がブローチでやったようなことをか?」
「…棘は見なかったことにいたしますけれど、ええ。方法はお任せします」
目には目を、歯には歯を、詐欺相手なら、目の前で一芝居を。
「別段そこで、完全に暴けなくても良いのです。疑惑の種を植え付けられたならそれで重畳」
「なるほど、レクセンの民に水への疑惑を植え付ければ、ティフォンの騒ぎを食らったばかりの連中が焦って尻尾を出す、かもしれない、ということか」
「ええ、そこで勝手に自滅してくれれば御の字。そうでなくても、不用意に次の動きは取れなくなるでしょうから、こちらとしては時間が稼げますわ」
輝くばかりの笑顔、その形はそのままに、唇を三日月の形につりあげて、エクレイアはにいっと笑った。普段の彼女なら絶対にしない、明確な敵意を滲ませた笑み。
ちょっと目を見張ったアルベールは、目を細めて上機嫌になにやら呟いた。しかし、それは誰にも聞かせるつもりはないようで、すぐさま煌びやかな笑みを唇に掃き、
「じゃあ、僕は何をしよう?」
いよいよ、エクレイアは、今にも楽しげに飛び跳ねそうなほど弾んだ声で言った。
「お兄様におかれましては、私と一緒に来ていただきたく思いますわ」




