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「どういうことだ?」
低く、まるで威嚇するような声色で、ラヴィエルが言う。さてどうしたものか、と、エクレイアは伏せていた瞼をゆるゆると開いた。開けた視界の中、アルベールは、ラヴィエルほど顕著な反応をしてこそいなかったものの、やはり驚いているようで、エクレイアの次の言葉を待っている。
しかし、さて。どう説明すればいいのだろう。神の威光を騙っている、と、言葉にすればひどく簡潔なことを、恐らくこの世界の人々は根本的に理解できない。エクレイアとて、きっと、この異質な記憶がなければ、そのようなことに思い至りもしなかったのだから。
なかなか二の句を継がないエクレイアに焦れたように、ラヴィエルの目が細められる。もの言いたげな視線に鋭さが増して、エクレイアはようよう口を開かざるを得なかった。
「……言葉の通り、ですわ」
エクレイアは、テーブルの上の小瓶に手を伸ばす。
「ラヴィエル様、この水や、この街のルキオについて、わかっていることを教えていただけません?」
ラヴィエルは、何かを言いたそうに眼を瞬かせたが、しかしすぐに頷いた。
「この街に出現したのは、先ほども述べた通り先々月。傷が癒える、病が癒えるとの触れ込みの水は瞬く間に広がった。父上と兄上は、メイナスとの戦役で傷ついた者たちやその身内が、飛びついたのだろうとお考えだ。レクセンの商人たちは、戦地の野戦病院にメルム草を売りに行く者が多い」
「なるほど、それで、巻き込まれて怪我をしたものたちが、一時的に痛みをごまかす麻酔ではなく、快癒を求めて水に縋ったってわけだね」
このままいくと、レクセンを介してエルヴィアーナ中に広がる可能性があるわけだ。道理でリージオがエクレイアに、レクセンに向かう許可を出したわけだ。しかも、王太子に、「好きにやらせてほしい」という言葉まで添えて。レクセンで止めてしまわねばならない理由が、そこにもあったのだ。
「それそのものが、嘘、ということですわ」
「は?」
考えなければならないことが山積みになってきて、エクレイアはすっぱりと言い切った。心底意味が分からない、という反応は、予測の範囲内だった。
「人を癒すこと、それが目的なのではありません。ルキオは、人を癒すという大義を掲げて、信徒を増やすことを目的としているのです」
手段と目的が逆なのだ。善意の皮を被った悪意。そこに、この世界では最強とも言える神の威光を纏ってしまえば、もう疑うものは出てこない。考えられたものだ。現に、この聡明なラヴィエルすら、信じてしまっているのだから。
「その証拠が、ティフォンの壺です。ねえ、ヘレン。壺について、教えてほしいわ」
「はい、お嬢様。ティフォンにて金銭と引き換えに配布されていた壺は、二種類ございました。一つは、降りかかる厄災を壺の中に封じ込めるというもの。こちらを購入した者に関しては、ルキオを排斥しようとする動きには消極的だったように見受けられます」
「まあ、厄災が封じられているなんて、効能のほどははっきりわからないものね。もう一つは?」
「幸運を壺が集めることで、その家の商売事が上手くいくようになる、とうたったものです」
「あー……」
思わず天を仰ぎそうになったエクレイアだった。前者ともども典型的である。
「わかりやすく、効能を求められるタイプね。それで?」
「販売されていた二種類の壺の販売期間は前半と後半にわかれており、その期間がそのまま壺の種類の違いになります」
「つまり、厄封じが前半、幸運が後半ね?」
「その通りです。そして、前者と後者における価格はおおよそ倍額となっていたようです」
「はあ……」
ますます頭が痛い。
「つまり、倍額で買った壺に効果が見受けられなかったから、怒って追い出そうとしている、ということ?」
「その通りです。もう一つ付け加えますと……」
「まだ何かあるの?」
ヘレンは、苦笑いを浮かべた。
「二種類の壺を、街の住民から借り受けて、古美術の見識が深い者に鑑定させたところ、両者は同じ窯元で、同時期に作られたものであると判明いたしました」
「……つまり?」
「二つの壺は同じものでございます」
エクレイアはとうとう天を仰いだ。
(えっ、なにこのすごく古典的なカルト宗教というか霊感商法。この世界では新しいのか。そっかあ古典的とはいえ前の世界でもこれが最新トレンドだった時期もあるのかーってやかましいわ)
思わず完全に以前の彼女の思考回路が顔を出すくらいには疲れ果てた気がして、目を伏せて深呼吸。そうでもしなければ勢いよく手の中の小瓶をテーブルに叩きつけて「これは! ただの水!!」とかやってしまいそうだったのだ。
「それじゃあ、ヘレン。もう一つ聞くわね。この水に、魔道的観点から見て、祝福のようなものまたは特殊な力が込められている、あるいは込められた痕跡はある?」
はっとしたように、ラヴィエルとアルベールがヘレンを見た。
ヘレンは、その二対の視線を受けてなお、美しい微笑みをかけらも揺るがすことはない。しかしその黄金の瞳が、ひときわ輝いたように見えた。否、それは比喩ではない。本当に、その美しい金色が、光を帯びたのだ。
まるで深夜の肉食獣のように瞳を光らせて、ヘレンは静かに唇を開いた。
「いいえ。お嬢様。私が見る限りでは、こちらの水は、ただの水でございます」
「……そう、ありがとう」
流石にここまで言われては、察せないほど鈍くはないのがここにおわす王太子殿下と皇統閣下なのである。
「……なんと、いうことだ」
「ねえ、これどうやって報告したものかなあ。というかエクレイア、君、どこまでわかっていたんだい?」
驚愕の声を上げたラヴィエルと、感嘆のような吐息を零したアルベール。エクレイアは微笑んで答えを流した。
「……しかし、だ。教主に触れてもらったおかげで、病や気鬱が治ったという証言もある。それはどう説明する? 水が偽物だったとしても、ルキオの教主というのは唯人であるとは言えないだろう」
プラセボ効果…! と、口走りそうになって慌てて口を閉ざしてから、エクレイアは嘆息した。
「そうですわね。私とて、ルキオの教主までをも否定する証拠は持ち合わせておりません。でもその病人が、ルキオ側の人間だったとしたら?」
「ルキオの人間が、病人を演じたということか…!」
「可能性の話ですわ」
それだけ言ってもなお、少しならず疑わしそうな視線が、小瓶を持つエクレイアの手の辺りを彷徨う。
なるほど、初めて見る毒に落ちてしまった人間は、それを毒だと思うことすら難しいのだと、エクレイアは改めて、根の深さを思い知った。単純かつ簡単なものほど、根は深く、強い。これは取り払うのも至難の業かもしれないな、と、先を憂えた。
徐に小瓶を置くと、エクレイアはドレスの胸につけてあったブローチを取る。突然の動作に首をかしげる一同の前で、エクレイアはブローチの留め具にある鋭い針を、人差し指に突き刺した。
「なっ……!?」
「君、なにしてるんだ!?」
「お嬢様、何を」
「しーっ、静かに」
絶句するラヴィエルと、驚愕するアルベールを横目に、エクレイアは痛みが走った人差し指を見つめる。突き刺したといっても、そこまで深い傷ではない。じわりと膨らむ赤い玉を見て、エクレイアはブローチをテーブルに置き、駆け寄るヘレンを手で制した。それから、小瓶を持ち、傷つけた人差し指は動かさないようにして、中指と薬指、親指でコルクを抜こうとする。
「……」
固い。
「失礼します」
ヘレンが横から瓶を取り、コルクを抜いて渡してくれた。礼を言って小瓶を受け取り、指先にその中の水を振りかける。一滴、二滴。
「……御覧の通り」
エクレイアの白い指先に小さく浮いた血の玉を流した水は、しかし、血を止めることはなかった。
「たちどころに、なんて、冗談もいいところね。針で刺した傷すら治せないのに」
吐き捨てるように言ってから、エクレイアははたと思い至る。
「ごめんなさいね、テーブル、汚してしまったわ」
申し訳なさそうに、そう述べたエクレイアは、我に返った二人と、手当のためにハンカチを裂いた従者から、しっかり怒られた。




