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宿に戻ってくると、待ち構えていたメイドたちがあっという間に三人を着替えさせてしまった。エクレイアが名残惜しそうに青いドレスを見つめていると、困ったように笑って「ご主人様にお伺いしてみましょうか」と聞いてくれたが、それが意味するところを悟って、流石にそれはと辞退した。それはそれとして、ルーベルハイムに戻ったら絶対に麻のドレスを仕立てる、飾り気のないやつを、と心に決めて、エクレイアがロイヤルスイートに併設されているティールームに入ると、『変装』を解いた二つの人影。
「ああ、お帰りエクレイア。………うん、やっぱり見慣れた姿が一番だね。相変わらず綺麗だ」
「光栄ですわ、殿下」
社交辞令は不要だろうに、わざわざそのようなことを言ってくれたアルベールに、Aラインのドレスを少しだけつまんで、軽くカーテシーの姿勢をとってから、悠然とソファに腰掛ける大貴族の方を見る。彼は、ちょっと片眉を上げただけだった。一瞬、エクレイアの後ろにいるヘレンに視線が走ったが、特に何を言うでもなく、静かに瞬きが繰り返される。
「まあ、ほら、堅苦しいことはなしだ。座ってくれ、レディ?」
「失礼いたします」
王子様スマイルでエクレイアにソファを勧めたアルベールは、エクレイアがソファに座り、その後ろにヘレンが控えたのを確認すると、すらりと長い足を組んだ。それから、やや前のめり気味にソファの肘掛けに腕を置き、エクレイアを見る。その風貌に、王の気風とでも呼ぶべき何かが交じり、エクレイアは短く息を吸った。
彼らの中心にあるテーブルには、エクレイアが受け取った小瓶がある。
「君の見解は?」
ルルイユの公用語で、アルベールは切り出した。
エクレイアは、テーブルの上の小瓶を睨む。
「この水を利用して、ルキオはレクセンを掌握しつつあります。その程度がどのくらいかは、私にはまだわかりませんが」
身を乗り出したアルベールと同じ距離を保つためにソファの背もたれの方に背中を引き、背筋を伸ばす。王の威光を正面から浴びながら思索を巡らせられるほど、エクレイアはまだ図太くなかった。
後ろでヘレンが、ふと息を吐いた気配がした。浅く、短い息。
「ヘレン、どう?」
「…おそれながら」
「俺に遠慮することはない」
「………では。どうやら、レクセンの町長もまた、ルキオの信徒となっているようです」
「………まあ…」
流石にそれは予想外で、口元を手で覆って、ため息のような声をこぼしたエクレイアとは対照的に、ラヴィエルは、何かをこらえるように、折り曲げた人差し指でこめかみを押さえた。
「ご存知でしたの?」
「先程伝えられたばかりだ」
「ああ……シェステニアの噴水で…」
「確度の高い情報ではなかった。だが、はっきりした。お前もそうだと言うんだな」
ヘレンを、睥睨するような鋭い視線で射抜き、ラヴィエルが言う。皇統のそのような視線を受けても微笑みを崩さないヘレンは、そっとエクレイアの方を窺った。
「教えて、ヘレン」
「はい、お嬢様。我々の調査としては、そのように。最も、我らはルルイユの人間でありますから、確かな情報筋とは言えませんが」
「でも、確かなのでしょう?」
「はい。町長が件の水を購入していたことを確認しました」
「………はあ…」
深々と、ラヴィエルがため息を開く。今日で何度目だろう、と、エクレイアは流石に気の毒になってきた。
「おやおや、随分と、街の根幹にまで根差しているんだねえ」
思案げな表情で、アルベールが言う。煙に巻くような軽い口調の中に、深刻そうな色が巧妙に隠されているからこの人はタチが悪いのだ。
「それで、だ。ラヴィエル閣下、君はどこまで知ってる?」
隠されていた硬い色が、一気に収束して鋭くなり、その切っ先がラヴィエルに向かう。言外に、そろそろ手の内を見せろ、という威圧のようなものが滲んだ。
しかしラヴィエルもさるもの、慌てるような無様は晒さない。間に挟まれたエクレイアだけが、喧嘩でも始めるんじゃないかと内心ひやひやする羽目になった。
「隠しているつもりはなかった。そのように誤解させたのならば、申し訳ない。エクレイアの意図が読めなかった以上、開示するタイミングがわからなかった」
「あら……それは、ごめんなさい」
報連相を忘れてた、と、反射で謝れば、
「いや、こちらの落ち度だ。とはいえ、おおよそ掴んでいたことは同じ。ルキオが水を媒介に広がり、レクセンの町長も今や熱心な信者だ。兄上が危険視していたのはそちらだった。だからこそ、俺もまた、そちらにかかりきりになっていた」
「なるほど、つまり、レクセンにいるルキオの実態についてはまだ?」
「面目ない。病巣がどこまで深刻なのかもまた未知数、ならば、そちらを優先して調べるほかなかったのです」
「いや、責めているわけじゃない。僕だって同じ立場ならそうするさ」
鋭利な雰囲気は鳴りを潜め、アルベールは同情するように頷いた。
「ティフォンについては、まだ、そこまでは至っていなかった。僕だって真っ先に把握しようとしたのはそこだった。君と同じだよ、ラヴィエル閣下」
「痛み入ります」
ラヴィエルは、指先でテーブルを、とん、と叩いた。
「飲むと病がたちまち快癒し、傷は癒える。そのような触れ込みで、奇跡の水が出回っていると、そんな話が伝わってきたのが先々月。あっという間に街一つを飲み込み、我がエルヴィアーナと貴国ルルイユに跨って蠢き始めた。我々がそれを把握したときには既に組織だって動いていたため、それ以前の来歴は一切不明。どうやらルルイユに本拠があるということを掴み…」
「ラファエル殿下がお出ましになったのだね、なるほど。合点がいった。しかし、ふうむ……、父上とルーベルハイム閣下は、以前から何やらティフォンの辺りを注視していたようだけれど、僕はあまり知らなかったな。エクレイアは?」
「私も、詳細は。お父様から、国境付近で怪しい動きがあるとは聞いておりましたけれど…」
「まあ君の場合、婚約破棄もあったんだから、それどころじゃなかったよねえ」
気の毒そうな視線を受けて、エクレイアは僅かに狼狽えた。確かに、あの時はそれでいっぱいいっぱいだった。
「……ですけれど、私どもの方も、事態は相当深刻ですわよ」
「そうなんだよねえ、こういうとちょっと語弊があるけど、僕たちの場合、町長とは訳が違うんだから」
「王妃殿下……でしたか」
「そう。我が母アイリーン付きのメイドに危害を成したのは、第三王妃の実家の子飼い。つまり、我が国は王城にも既に魔手が伸びている。頭が痛い話だよ」
言葉とは全く釣り合わない朗らかな表情で言ってのけて、アルベールは喉を鳴らして笑った。
「ティフォンもレクセンも、メルム草の大規模栽培で生計を立てる農耕と商いの街。そしてメルム草が使われたセーヌの狂乱に、姿を消したブルーノ。根が深いったらないよねえまったく」
「それでも、お父様は、根が同じならば共に、と。つまり、まだ病の根源はここにあるということですわ」
「そうだね。……ねえ、ヘレン」
「はい、殿下」
「君は、最初から奴らの本拠地がこの周辺だったと思うかい?」
「…………それは」
ヘレンがエクレイアを見る。エクレイアは黙って頷いた。
「あくまで、私の見解でございますが。ルキオの拠点は、何度か移動したのではないかと思われます」
「詳しく」
「現在、ルキオの拠点はレクセンにあると判断しております。そしてその前はティフォン」
「移動した理由は?」
「都合が良かったから、かと」
ラヴィエルがぴくりと眉を上げる。ヘレンは、アルベールの方に視線を向けながらも、注意深くラヴィエルの様子を窺っていた。
「現在のティフォンとレクセンの様子を比較するに、レクセンの方が、ルキオなるものに傾倒する人間が多いように見受けられます。先刻入った知らせにより、ティフォンの街では、ルキオを追い出そうという動きが、少しずつ生じ始めているとか」
「………ヘレン、それってもしかして」
黙って聞いていたエクレイアが、静かに手をあげる。ヘレンは静かに、エクレイアの言葉を待った。
「壺に何の効果もないから、という理由ではなくて?」
ヘレンが大きく頷き、ラヴィエルが目を見張った。
エクレイアは深く深く、肺の中の酸素をすべて吐ききるようなため息をついた。




