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「お見事でございました」
「やめてヘレン、それは私にとどめを刺す言葉よ……」
小瓶を受け取ったエクレイアは、アルベールが輝く笑顔を浮かべたまま差し出した腕に手を添えて、そのまま共に踵を返したのだが。
静々と付き従っていたヘレンが二人に声をかけたのは、そんな『兄妹』が、シェステニアの噴水がある広場から完全に見えなくなるであろう距離を進んだ頃だった。
「っはは、兄妹! 兄妹か!」
「ルディ!」
たまらず笑い出したアルベールを、エクレイアは軽く小突く。不敬だとかなんだとかは、ここでは置いておいて欲しい。ここはエルヴィアーナ、そういうことだ。
「いやあ、君みたいな妹がいたら、僕もやりやすかっただろうになあ!」
しかし笑いが引かない王太子殿下に、エクレイアが深々とため息をついていると、
「鮮やかにやったな、エリィ、ルディ」
「やあヴィル、聞いてくれよ、あの白いローブの彼、僕とエリィを兄妹だって!」
「は?」
喋っていた男性とはどこで別れたのか、一人でこちらに歩いてきていたラヴィエルが、アルベールの一言に、思わずという風に声を上げる。それから、こめかみを押さえるエクレイアと、朗らかに笑い続けるアルベールを見比べ、見比べて…。
「それはそれは……ふっ…、随分と…」
笑った。
精悍かつ涼やかな目元が和らぎ、普段はクールな表情を崩さないラヴィエルが、である。それと比例して、エクレイアの表情は険しさを増していく。
「そう怒るな、エリィ」
「怒ってなどおりません」
「拗ねるな」
「拗ねてもおりません!」
とうとうラヴィエルまで声を上げて笑い出した。これは何をしても笑わせるだけだと流石に察したエクレイアは、むっと口を真一文字に結ぶ。
そこでようやく、大笑いから立ち直ったアルベールが(といっても口元に笑みを乗せたままだ)、
「さて、それで、我が妹、これからどこに行こうか?」
「妹、では、ありま、せん!」
「あはは、怒らないで」
「怒ってません!」
堂々巡りである。
「おそれながらお二方とも……、あまりお嬢様をからかうのは…」
流石のヘレンも、ラヴィエルを警戒するよりも先に苦笑いがくる有様だ。
「はは、ごめんごめん。こんなエクレイア……エリィは珍しいから、つい」
「タチが悪い」
「怒らないで。にしても、そっちが君の素かあ、僕の目も随分と節穴だったんだなあ、今の今まで気づかなかったよ」
ジルベールならば不敬だと怒り出しそうなエクレイアの振る舞いを見ても、アルベールは興味深そうに笑う。普段ならばここで鼻白むところなのだろうが、完全にやさぐれモードに入っていたエクレイアは、
「お互い様ですわ」
「言うねえ」
これまでのエクレイアならば絶対に崩さなかったであろう完璧な仮面も、もう不要だ。そもそも盲信に近い崇拝と敬愛をもって尽くしすぎたからこそああなったのかもしれないのだ。ならば、もう隠す必要もないだろう。ある程度自由に動き回れる方が、今後の自分のためになる。そう理屈をつけて、エクレイアはつんと顔を逸らした。
「それで……エリィ、君の次なるお望みは?」
笑顔のままのアルベールだが、その瞳には硬い光が宿る。要するに、目が笑っていない、というやつだ。
「いいえ……、あとはヘレンたちに任せます」
「へえ?」
「あと、ラヴィエル様、あなたの部下の皆様にも」
「……」
意図を探るように、ラヴィエルの視線がエクレイアを射抜く。
アルベールはちょっとだけ瞳を和らげた。
「わけを聞いても?」
「ひとまず今、私たちが得られる成果はすべて得た、という理由で、ご納得いただけますかしら」
「ふうん…? 僕はちょっとよくわからないな。どう思う、ヴィル?」
「異論はありません、アルベール殿」
「なあんだ、もう潜入調査は終わり? もっと楽しめるかと思ったのになあ」
「主に観光方面で、ということならばまたの機会になさってくださいませ」
子どもが拗ねたような表情をしたアルベールを呆れたようにいなしながら、エクレイアは手元にある小瓶を目の前に掲げた。
「それが、例の水か」
「ええ。売り子の文句曰く、どのような傷もたちどころに癒え、飲めば万病をも快癒させるお恵みの水、だそうですわ」
「たちどころに、が、ひとつ抜けているよ、エクレイア」
「そのあと密かに撤回されていましたわよ」
「耳聡いなあ」
軽口を叩き合うエクレイアとアルベールのやり取りを横目に、ラヴィエルの視線はエクレイアの手にある小瓶に注がれていた。
別になんてことはない、何の装飾もないのっぺりした小瓶に、水が満たされ、よくあるコルクで封をしてあるだけのものだ。それがそのままテーブルの上にでも置かれていたのなら、誰もそれを、神からのお恵みのような大層なものだとは思わないだろう。奇跡だなんだと謳う割には、所謂それっぽさはない。
(華美が過ぎると下品になるし、コストもかかる。だからこそ、あの水槽だったのかしらね)
ワゴンの水槽、近くでまじまじと見ることはできなかったが、あれだけ大きなガラス製の水槽は珍しいだろう。しかもそれをご丁寧に花だの絹だので飾り付けていた。そこに宝石を持ってこないあたり、成金趣味に走りすぎない小賢しさがある。
その前に置かれたテーブルの上に並べられた小瓶も、その舞台装置込みで見れば、ありがたいものに見えて、こないこともないような…?
つまり、なんの変哲もないガラス玉も、立派な台座に置かれていれば立派に見えてくるあれだ。羊頭狗肉とは、よく言ったものである。
「その水が、か。なんの変哲もないように見えるが」
ラヴィエルがぽつりと落とした呟きに、エクレイアの背筋が粟立った。
疑念はある。確かに疑いの種はある。しかし、ラヴィエルはまだ、これが奇跡の水だと、信じている。
恐らくアルベールは疑惑の方を膨らませている。あの白いローブの売り子と話していて、なんとなく感じ取った違和感、ひたすらこの水を礼讃し、その背景にあるものを盲目に崇拝するようなあの気持ちの悪さを、間近で見ていればもしかしたら変わっていたのかもしれない。
奇跡の水そのものが、嘘であるとは微塵も思っていない。
それが、エクレイアにはひどく恐ろしかった。
(ここにいるのが、ラファエル殿下ではなくラヴィエル様で、本当に良かった)
ラファエルがここにいたら、どうなっていたことか。ショックで倒れていたかもしれない。いや、あくまで比喩だが。心の底から頭痛が痛い、みたいな顔をするかもしれない。誤用である。
「ひとまず、一度戻りましょう。ヘレン、あなたも」
「御意に、お嬢様」
「じゃあ戻ってから、その胸の内にあるものを教えておくれ、僕の可愛いエリィ」
「…………殿下」
それまで話していたエルヴィアーナの公用語から、あえてルルイユの言葉に切り替えて言えば、その声の低さに、アルベールが声を上げて笑った。
「いいね、エクレイア。そっちのほうがずっといいよ。畏るだけのお姫様じゃないっていうのは薄々気付いていたけど、やっぱりルーベルハイムの血筋だな」
「そうやって誤魔化す……」
「ばれてた?」
「ルディ!!」
まるで本当の兄妹のじゃれあいだ。
宿への道すがら、そんなやり取りを続けるエクレイアとアルベールを、ヘレンが微笑ましそうに見守っている。
そんな小さな騒ぎを聞きながら、ラヴィエルは物思いに耽っていた。




