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「あら、あの建築様式は、ルルイユではなかなか見ないものですわね」
「本当だ。ラヴィエル殿、あれは?」
「あれはレクセンの役場です。確かに昔ながらの建物ですね。あの様式で建ててあるのはおおよそ百から二百年前のものでしょう」
「まあ、歴史ある建物をそのまま使ってあるのね!」
ポツリとエクレイアが呟いた一言を拾って、アルベールがラヴィエルに振ると、ラヴィエルは律儀にそれに答える。そんな様相が続き、先ほどからまるで観光案内である。皇統による観光案内なんて豪華すぎないだろうか。
初めはそうなるたびに、これでは物見遊山だとため息をついていたエクレイアだったが、アルベールの、「そうしておいた方が怪しまれずに済むさ」という言葉によって、すべてを諦めて楽しむことにした。断じて開き直ってはいない。
エクレイア、ラヴィエル、アルベール、そしてヘレン。簡素な服装でさえ眩い輝きの幻覚を見そうになる取り合わせだが、なんとか『お忍びの貴族』及第点、と、言えないこともない。
「……お嬢様」
穏やかな微笑みを浮かべて影のように控えていたヘレンが、静かに小さく声をかける。
「これより先、おそらくあちらの本拠かと」
「そう………ああ、あれね」
目端でとらえたのは、白いローブの一団。その先には、大きなガラスの直方体を積んだワゴン。つまるところ水槽を運ぶワゴンである。
「“ヴィル”、“ルディ”」
呼びかけると、やや前を行く二人が振り返る。
「どうしたんだい、可愛い“エリィ”」
アルベールがにっこりと微笑んだ。ラヴィエルは静かに、微かに首を傾げる。
ラヴィエルを“ヴィル”、アルベールを“ルディ”、エクレイアがそう呼べば、警戒態勢に。そう決めて街に降りた。エクレイアと並んで歩いていたヘレンが、そのタイミングをずっと計っていたのである。
「かわいい……。そういうお言葉はいとしいお方にお願いいたしますわ、ルディ」
思わず渋面を作れば、アルベールは弾けるように笑った。エクレイアは思わず脱力し、その肩から力が抜ける。
「その調子だ、エリィ」
それを目敏く見て取って、ラヴィエルが薄く笑った。ぐっ、と、エクレイアが唇を尖らせる。上手く隠していたつもりだったのに、どうやらばれていたようだ。ラヴィエルとアルベール、領地の視察に慣れている二人とは違って、エクレイアはなかなかその機会に恵まれなかった。唯一街に降りる機会があるとしたらそれはルーベルハイム領だが、慣れ親しんだ街、しかもルーベルハイムの館は、リージオの方針で門がいつも開いていて、色んな人がリージオを頼ってやってくる。その結果、エクレイアが領地に降りれば「お嬢様!」といろんな場所から声が飛ぶ。従って、まるっきり知らない土地というのは、エクレイアにとってはなかなか馴染みのないものだった。
(まだ、前世の記憶のおかげでなんとかなっているくらいだわ。免疫がないというか、予想外と未経験に弱いのは、私の大きな弱点ね……)
ふと、一瞬気をそらしたその隙を、まるで狙われていたかのように。
「おお、綺麗なお嬢さん、よろしければお恵みの水はいかが?」
え、と、一瞬反応が遅れたエクレイアの前で、白いローブの男がにっこりと笑った。男の手には、水が満ちた小瓶。ワゴンに近付く前だから少し油断していたようだ。男の向こう側に、水瓶を持つ女性の美しい彫像を中心に据えた見事な噴水がある。あれがシェステニアの噴水だろう。
驚いて、素で後ずさってしまったエクレイアと、白いローブの男との間に、極めて自然な仕草でヘレンが体を滑り込ませる。流れるような動作で目の前に現れた長身に驚いた男は、見上げて目に入った美しい顔にさらに息を飲む。
「エリィ、どうしたんだ」
まるで、今気づいた、という風に、アルベールが近づいてくる。おおよその状況を察してか、人好きのする麗しい笑顔を貼り付けている。猫被りの本領発揮だ。
ラヴィエルは、少し離れたところにいる。別の男性と何かを話しているようだ。その相手は、まるで街の住人のような服装をしているが、その身のこなしといい時折視線が帯びる鋭さといい、明らかに一般人ではない。
恐らくはラヴィエルの私兵なのだろうと予測をつけて、エクレイアは、水入りの小瓶を持った男に意識を戻した。
美しいおもてが二つ並んだ光景に気圧されていた男は、しかし思い出したようににっこり微笑んで、
「おや、お兄様ですかな? これはなんとも見目麗しいご兄妹だ」
「そうなんだ、我が妹は美しいだろう! きみ、見る目があるね」
男の誤解をやんわり訂正しようとエクレイアが口を挟むより前に、アルベールが満面の笑みを浮かべて応じてしまい、エクレイアは笑顔のまま固まる。ヘレンが隣で微かに笑い声を立てた。お任せしましょう、と、密やかな呟きを混ぜて。
「いえいえ、こんなにもお美しいお嬢さんなんて、滅多にお目にかかれませんよ。これもまた神の思し召しだ」
「そうかもしれない。僕も常日頃、我が妹は我らが主たるお方が遣わした天使なのではないかと思っていたところなんだ!」
「そうでしょうともそうでしょうとも! ああ、今日はなんて良き日だ、このような幸運を! 神よ、感謝します。そうだ、そのような天使に、これを捧げぬわけにはいきますまい!」
男はそう言って、手にしていた小瓶をエクレイアに差し出した。エクレイアはそれを見て、男を見て、それから首を傾げる。視界の端でヘレンが頷いたのを見て、おずおずとそれに手を触れて、しかしその手を引っ込める。ヘレンは微笑んだままだ。
「こちらは…?」
エクレイアが、消え入りそうな儚い声で問いかけてやれば、男の目がきらりと輝いた。
「こちらは我が主が見せた奇跡、お恵みの水です! 一度傷に振りかければたちどころに治ること請け合いです!」
「まあ!」
「そんなものが! なんてことだ、そのような奇跡に出会えるだなんて。やはり我が妹、君が今日この街に来たいと言わなければ、こんなこともなかっただろうね」
芝居がかった仕草と声色、その表情にはキラキラ三割増し、といった風で、アルベールがウインクする。これ以上どう乗れと、と、内心毒づきながら、エクレイアは頬に手を当てて恥じらってみる。
「なんと! やはり妹君は奇跡の天使様なのかもしれませんね。これはやはりこの水を捧げなばなりますまいよ」
こちらも負けじと大仰な仕草と口調で声を張り上げる白いローブの男と、その他の中の小瓶を見比べながら、エクレイアは静かに思考を巡らせる。
「私が天使かどうかはさておくとして、なんて素敵な奇跡なんでしょう。でも、ああ……」
悲しげな表情を浮かべたエクレイアに、それまでにこにこと舞台俳優さながらのきらびやかな笑顔を貼り付けていたアルベールが、おや? と首を傾げる。エクレイアの意図を掴みかねたのか、一端まじまじとエクレイアを観察した。しかしそれも一瞬のこと、何をするかはわからないにしても、乗ることにしたようで、
「おや、可愛い妹、僕のエリィ、どうしたんだそんな悲しげな顔をして?」
「だって、お兄様……、そんな、奇跡のようなお水があるのなら…、おばあさまのご病気だって、癒してくれればよかったのに…」
「ああ…、そうだね、これは傷を癒すものだが、今の僕たちには傷一つない。奇跡が必要なのは、僕たちよりもおばあさまだね」
意図を明かしてもいないのに、ここまで合わせてくるアルベールに、エクレイアはいっそ舌を巻きたい心境だった。
よよ、と、悲しみに暮れる兄妹に、白いローブの男は、何を思ったのかさらににっこりと笑みを深めた。
「なんと、そのようなことが! ええ、しかし心配はご無用。この水を飲んだならば、どんな病もたちどころに快癒しましょう!」
「まあ…なんですって?」
いやさっきは傷だって言ったじゃないか、とは突っ込まずに、エクレイアは目を見開いた。
「この水を飲み続ければ良いのですよ、お嬢さん!」
(いやさっきたちどころに良くなるって言ったじゃない……)
言うことがコロコロ変わる男である。
アルベールも、おや、という顔をしたが、気を取り直したようににっこり笑って、
「なんて素晴らしい。やはりエリィは奇跡の天使だ。今日という日はこの奇跡へのお導きだったのだね!」
「まさしくですよ兄君! さあ、さあ、お嬢さん」
ずいずいとエクレイアの方に小瓶を近付ける男に、エクレイアは物憂げな表情を浮かべてみせた。
「でも……値がお張りになりますでしょう、そのような奇跡の賜物なんですもの……」
まるでテレビショッピングの定形文だ、なんて心境はおくびにも出さずに、エクレイアが悲しそうに目を伏せれば、男は今までで一番の笑顔を浮かべた。
「天使様から代金を取ろうなどと! あなたさまには差し上げます。あなたが仰るように、確かに値が張る、というよりは価値をつけることもできない奇跡の賜物ですが、ええ! おばあさまのご病気の快癒、そのためにお二方はここへ招かれたのですから!」
とうとう、エクレイアは小瓶を受け取った。夢を見るように声を上擦らせる。
「なんて……なんて、素敵なお導き、巡り合わせ、これでおばあさまも…」
「ええ、ですが大切なのは飲み続けること。心苦しくも、差し上げられるのはこの一度きりですが…」
心底申し訳なさそうな表情を浮かべて男が言えば、それを引き取ったのはアルベールだった。
「ああ、勿論だとも! 我が妹の憂いを払ってくれたのだから、次からはきちんと、ね。ところで、奇跡の水をくれた親切なきみ、きみの名前を聞いても?」
「私など、名乗るほどの者ではございませんが…、お二方には、ぜひ覚えて頂きたい御名がございます」
「ほう、それは?」
「我らが主の神子たるお方、我らの導き手、お二方をこの水の元へお導きくださったお方、そしてまたとなき尊いお方…、その名を、ルキオ、ルキオと申されます」
アルベールは、輝くような笑顔を浮かべた。
「覚えておくよ」




