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どうした、という、ラヴィエルの、驚愕混じりの無言の問いかけを肌に感じるが、エクレイアはそれどころではなかった。
壺。
花を生けたり水を入れたりするあれだ。美術品としてそれそのものが鑑賞されることもあるあれ。主に食糧の貯蔵として使われ始めたのが始まりであり、その材質は焼き物であることが多いが、ガラスや金属のものも存在する。一般的に丸い形状であり、頸を伴う注ぎ口を持つ。ほら、この部屋にもある。美しい風景が描かれてた、陶製の壺が。
…それが、病魔災厄を閉じ込める? しかもあろうことかそれを、金銭と引き換えに?
(霊感商法か!!)
あれだけ考え込み、不気味がり、いっそ恐れ始めてすらいた、不自然な人の流れの正体がこれだ。詐欺師の手口だ。常套手段だ。純粋に神の恵みに首を垂れる民たちの善性につけこんで、神の恵みを騙るなどと最も冒涜的なことをやってくれている。
エクレイアの中にふつふつと怒りが煮えたぎる。そしてそれは怒りのようでいて、妙な虚脱感を伴っていた。
いや、この神々の恵み降り注ぐ世界において、病魔災厄を閉じ込める壺というのが存在しないとは言わない。今の時代にはもう随分と少なくなったが、それでも巫女の口を通して神が語り、人の祈りを聞き届けて天が表情を変える。そう、この虚脱感のおおよその源である前世とは、事情が違うことも、エクレイアは重々承知していた。
というか確か、生命を司る神を祀る神殿にはそのようなものがあった。太古の昔から伝わる、様々な奇跡をもたらしたとされる水瓶である。厳重な警備のもと、通常は人目につかないところに大切に秘蔵されており、尚且つお披露目されることは滅多にない。そのような神秘も、確かにあるのだ。
が、しかし、問題はその壺が、ルキオを信仰するティフォンの住民のほとんどに行き渡っているということだ。そんな国宝級の神代アーティファクトが街中にごろごろあってたまるか。
エクレイアは、壺についてより詳しく調べてくれとヘレンに念を押さなかったことを一瞬後悔した。
しかし有能なヘレンのことだ、恐らく壺については調べ上げてくると思い直して、怒りのあまり握り潰しそうになっていた手元の報告書を見つめ、それを持つ指から、慎重に力を抜いた。
前世の彼女であれば呆れて笑ってすらいたかもしれないが、それが怒りに変換されたというのは、自分もまた、自らのテリトリーが侵されて余程腹に据えかねていたのだなと、自らに宿る貴族性とでも呼ぶべきものを再確認する。
「……ラヴィエル様」
「何だ?」
静かに静かに名前を呼べば、呼応して努めて穏やかにならした低い声が返った。
ゆるゆると、エクレイアが、そのペールグリーンの瞳を上げると、ラヴィエルの、アイスブルーの瞳と視線が絡み合う。
エルヴィアーナのシグネットリングを見て立ちくらみを起こしたり、自由過ぎる周囲に頭を抱えたりしていた時とは明らかに違うオーラを纏うエクレイアに、ラヴィエルは静かに息を飲む。彼にはそれが、ルルイユ国王の言うところの『慧眼の種』であるように思えてならなかった。
ホワイトブロンドに縁取られたペールグリーンの輝きが、やにわに増した。
「レクセンの街に、どれくらいの人員が?」
「20ほど。必要なら増やせるが」
「いえ、結構ですわ。その方たちに今から指示はできますか?」
「可能だ。今からでも馬を走らせよう」
「そうしていただきたいですわ」
「承知した。指示の内容は」
「“その水にどのような効能があるか”」
据わった目で、しかし言葉だけは静かに、ともすればたおやかにさえ聞こえる声色で告げたエクレイアに、ラヴィエルは首を傾げた。
「効能? ………水にか?」
「それを聞いていただくだけで良いのです。……それで恐らく理由は明らかになる」
報告書を丁寧に束ねながら、物憂げにそう呟くエクレイアに、それ以上を告げる意思がないと悟ったラヴィエルは、ベルを鳴らして騎士を呼び、指示を書きつけた手紙を持たせた。
「……指輪は使われませんのね?」
「レクセンにいるのは俺の私兵だ」
「なるほど」
皇統でありながら臣下に下った男が私兵を雇っていていいものかという事実からそっと目を背けて、エクレイアは納得した。謀反を疑われないかとかそういう。ルルイユにも、王族が貴族へ降ることはあるが、警護する騎士団は王立騎士団だ。私兵を雇うのは余程の特例である。八代ほど前の王の御代に、臣下へ下った王弟の謀反で国が傾きかけたことによる教訓である。
「俺が兵を持つことに、良くない感情を持つ貴族も多いが」
「……なにも言っておりませんわよ」
「時にお前の目は口よりも雄弁だ」
「……む…」
「安心しろ、普段は大概分かりづらい」
「それ私、褒められてますの?」
「まあな。………外野は、正神殿で皇帝陛下と兄上への忠誠を神に誓って黙らせた」
「……なるほどー」
シニカルに笑って告げたラヴィエルに、エクレイアは思わず脱力した。そもそもこの第二皇子があの兄上に対して謀反を企もうなどとは露の一つも思ってはいないしあり得ないと言い切れるエクレイアだが、それはそれとして、と、正神殿で誓いを立てるラヴィエルを想像してみた。
それは効果覿面だろう。エルヴィアーナは厳粛にして経験な、ルベウム教徒の国なのだから。そして、エルヴィアーナ正神殿といえば、そのエルヴィアーナにおいて最も格式高い神殿である。そこで誓われた言葉を疑うということは、そのまま主神ルベリウスを疑うことになるのだ。
ぐうの音も出ない程やり込められたであろう顔も名も知らぬ貴族の何某を思うと、気の毒やらおかしいやら。
しかしながら、と、エクレイアは目を細める。
「我がエルヴィアーナと、このルルイユの違いはそこだろうな」
「…そうですわね」
「気を悪くするなよ、別に我らの方が信心深く、よって優れているなどという愚かなことを言い出すつもりはない。我が国とて、その信仰心の強さが一律であるわけでもない」
「わかっておりますわよ。ただそういう国民性の違いだというだけ。エルヴィアーナの信心深さは、他国にも知れ渡るほどですもの。それに国の成り立ちも、あり方も、全く同じ国などありませんわ」
恐らくそれが、今回のティフォンとレクセンにおける差なのだろう、とは、薄々感づいていた。具体的にどうか、というのが判明しないのがむずがゆいが、恐らくは、それが詳らかになるのも時間の問題だろう。ラヴィエルの私兵と有能なヘレンたち、その二つがあれば。




