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基本方針として、まず第一に、何故、ルルイユ・エルヴィアーナ両国のルベウム教徒がルキオに流れていくのか、その理由を探る。
そのように決まったところで、極秘会議(またの名を悪巧み大会)はお開きとなった。
個々の動きとしては、アルベールは、帰城した時と同じく極秘裏に王領に戻り、目眩しも兼ねた王領視察を終了次第合流、ラファエルは滞在日程を滞りなく終えたのち一度エルヴィアーナに帰国しエルヴィアーナ皇帝に相談(と、親書の配達)、ラヴィエルは元々レクセンを視察する予定だったのでその予定通りにレクセンに先行。国王は当然そう易々と城を開けるわけにはいかないのでエルヴィアーナとルルイユの中継役を。
つらつらつらとリージオが述べた、一国の王、しかも自らの主君であるお方すらまるで駒の一つのように扱う言にエクレイアが顔を引きつらせる羽目になったのは言うまでもないが、まるでよく訓練された騎士団のように、お返事の良いこと良いこと。この人たち国の王とか王族とかそれに連なる人たちだったはずだよね? と、エクレイアが思わず半目になったのは仕方がない。
ともかくも、そういうことになった。
そういうことになったのだ。その後きっちりとパルティアも含めたお茶会に参加してからエルヴィアーナに帰国したラファエル、ラヴィエルを見送った後、さて自分たちはどう動こうかと、ルーベルハイムの屋敷で父と娘のチェス勝負兼作戦会議が開催された。ルーベルハイム領の本来の職務はきっちりしっかりパルティアがこなしていた。あの人もまた、凄まじいくらいの有能さを持つのだ。特に経理方面。
ちなみにチェスはエクレイアが負けた。クイーンを取って油断していたらクイーンに昇格したポーンに自陣のルークを拐われ、手薄になったところに攻め込まれた。むう、と、唇を尖らせたエクレイアに、リージオが笑い声を立てた平穏な昼下がりであった。
…いやはや、そこまでは、良かったのだけど。
「それでいきなりティフォンの街は、流石に思い切りが良過ぎる気がしますのよ、私」
「ルーベルハイム閣下にもお考えがあるのだろう」
「しかもどうして貴方が…!」
ティフォンの街に最も近いルルイユ王領の館、ルルイユ王家の別荘にて、ソファに深く腰掛けたエクレイアの向かいにはエルヴィアーナに帰国したはずのラヴィエルがいた。
「アルベール王太子殿下の視察終了を待つまでもなく、最後をここにとしていたことがあまりにも絶妙だ。流石はおじ上の計らいだな」
「聞いて……!」
「どうしても何も。親書の結果だ」
すい、と、差し出されたのは、ラヴィエルの、兄のそれと比べれば幾分か骨張っている、男らしく大きな左手。その小指には、翼を持つ獅子の印が刻まれた指輪。
あろうことかこの弟君、国の印璽まで持ち出してきた。いや、言い方が悪かった。印璽、すなわち皇家の紋章が刻印されたシグネットリングをラヴィエルに託したのは、エルヴィアーナ皇帝陛下に他ならないのだから。
幼い頃と比べて、面影を残さず雄々しく無骨になったその指に、まるで当然のように嵌められたシグネットリング。
あっという間の再会を果たして早々エクレイアは出会い頭に立ちくらみを起こした。卒倒しなかっただけマシだった。他でもないラヴィエルにしっかり支えられたが。騎士の修練を積んだ男の反射神経は伊達ではなかった。
この、エルヴィアーナ皇帝並びに皇位継承者のみに許されるはずの紋章を刻んだシグネットリングを彼がはめている、ということは、それは即ち、エルヴィアーナ皇帝の意思である、と、そういうことだ。エルヴィアーナ皇帝の権威が、限定的とはいえ今目前の男にそっくり移譲されているようなものである。
親書だか密書だか知らないが、一体何書いたんだ国王陛下、何書かせたんだお父様…と、この館に到着して早々ラヴィエルに出迎えられたエクレイアは頭を抱えた。おかしいだろう、国境に近いとはいえここはルルイユ王国の王領のはずなのに。
その親書とやらに何が書かれていたのか、というのは明かされなかったが、ラヴィエルはふっと笑って、
「あの兄上の父君かつ、我が父上もまた王の器だぞ」
「皇帝陛下におかれましてもまた突拍子もないことだけは伝わりましたわもう結構です…!」
国家権力ってこんなにお手軽なものだっけ、と、もはや頭痛を堪えられずにソファに沈んだエクレイアを面白そうに眺めながら、ラヴィエルは涼やかな目元を細めた。
「突拍子もないついでだが」
「まだ何か…?」
「レクセンの街の原因は洗ったぞ」
「!」
がばっと跳ね起きて、驚きのうちにラヴィエルを見つめれば、その精悍な顔にはもう笑みはなかった。その指が、人差し指から小指に向けて順繰りにソファの肘掛けを叩いていく。最後の小指にはまったシグネットリングが、重厚に光った。
「水だ」
「水………ですか?」
ああ、と、顎を引いて、ラヴィエルは静かに、指輪のはまった方の手を顎に触れた。長くて無骨な指が、その滑らかな頬をするりと辿って撫でていく。その人差し指が、鋭いアイスブルーの瞳のすぐそば、左のこめかみをこつんとついた。
「詳しくはまだわからん。が、ざっと見る限りでも、レクセンでは、ルキオが与えたという水が流布していた」
「ルキオが…?」
「ああ。この場合のルキオが、団体を指すのか、教主を指すのかはわからんが。しかし不可解なのは、レクセンにとって水は希少なものではないということだ」
「……まあ、そうでしょうね。ティフォンは水脈には不自由しない土地柄。地下水脈がよほどつむじ曲がりな曲がりくねり方をしていない限り、レクセンもまた、そうでしょう」
「その通りだ。地下水を引いているから、周囲が干ばつでもあのあたり一帯はメルム草が青々と茂る」
「しかも地形上干ばつとは無縁の土地ときたら、なお一層水の希少性は低いですわね」
ティフォンやレクセンなど、その一帯が農村地帯と呼ばれる所以は、肥沃な大地と、尽きない水源だ。水は万物の源。そして、あの一帯はその水に愛された土地とも言えよう。
しかしそれが一体何故。
「うーん………、水、水、ねえ…。ティフォンの街に先行させた斥候からそのような報告は上がらなかったのですけれど…」
エクレイアは、テーブルの上にまとめられていた、ここに来る前にリージオから渡された、先遣隊として遣わした斥候の報告書をちらりと見る。先程までラヴィエルが読んでいたものだ。
報告書といっても、メルム草の害についてを大まかに調査したものであって、詳細は続報を待っている状態なのだが。
「そのようだな。レクセンとティフォン、メルム草の使用の有無といい……」
「それぞれ、違ったやり方で手中に収めようとしている、ということかしら」
「まあ、妥当なところだろうな」
「土地柄も、産業も………近いとはいえ、そもそも民族としては異なる、それならば、生活体系も違って当然。ルルイユの民とエルヴィアーナの民、その違いは大きいでしょうね」
具体的に何が、と、聞かれたならば、明確に答えるのは難しい。それくらいの僅かな違い。しかしその誤差のような違いは、明確な文化の差異を生むはずだ。
水に関係した文化の違い、そこになにかがあるというのだろうか。
考え込んだエクレイアが、無意識のうちに目を閉じて、首を傾げていると、不意に、ノックの音が響く。
ここはルルイユ王領の領館、そのティールーム。しかし、現在この、王族の別荘ともいえる館には、ルルイユ王族はいない。とすれば、当然王族を訪ねてくる者もいない。しかし、その部屋の中には、国の大貴族が一人娘と、隣国の皇統である大貴族。本来であれば、取り次ぎを頼むのが順当だ。ラヴィエルが連れてきた極少人数の護衛と、ルーベルハイム家の騎士とメイドたち。それが何も言ってこないと言うことは、
「ヘレンね、入りなさい」
「失礼いたします。エクレイアお嬢様」
入室してきたのは、美貌と長身を備えた人影。ラヴィエルと同じくらいのすらりとした長身を、黒く長い外套で覆っている。エクレイアは、ファントム・オブ・ジ・オペラってこんな感じなのかしら、などと、場違いなことを考えてしまって、瞬きでごまかした。
「……斥候か」
「ええ。お父様の直属の。ヘレン、こちらは」
「存じ上げておりますよ、お嬢様。お目にかかれて光栄でございます、ラヴィエル・ラフィアシウス閣下」
ヘレンは、左手を胸に当てると、影のような長身を折り曲げて深く一礼した。あまりにも優雅な動作に、エクレイアは内心でほうとため息をつく。ヘレン曰く、これはリージオに、職務には有用だからと叩き込まれたものだとか。まるで生まれた時からの高貴さに見えるのに、と、幼いエクレイアが心底感嘆してそう伝えたら、照れ笑いをされた記憶がある。
「不躾ではございますが、報告書をこちらに。気になる点がいくつか見つかりましたので」
まるで魔法のように、漆黒の外套の中から紙束が現れ、黒いハーフグローブに覆われた指におさまった。
「気になる点?」
「はい。ルキオのことについて触れると、皆同様に壺の話を持ち出すのです」
「壺?」
報告書を受け取って捲りながら、エクレイアは首を傾げた。ちらりと見上げた、黒い髪に金色の瞳の美しい斥候は、黒い服によく映える白い肌のその面に、不思議な笑みを浮かべていた。それがある種のポーカーフェイスであることを、物心つく前からの付き合いであるエクレイアは知っていた。これは、ラヴィエルを警戒しているな、と、内心苦笑する。同じように、幼馴染みの彼の方もまた、目の前の黒衣のヘレンを警戒している。
こういう時は、早く引き離すに限る。
「わかったわ、ありがとう。ひとつだけ聞きたいのだけどよろしくて?」
「なんなりと、お嬢様」
「ティフォンの街で、水にまつわる話を聞いたとか、あるいは、ルキオが水を配っているみたいなことはあったかしら?」
「水、でございますか」
黒革に包まれた指が、思案するように数回ひらめいたが、やがて、ヘレンは申し訳なさそうに首を振った。
「いいえ、そのような話はなかったかと。お望みであれば調査事項に水を追加しますが」
「いいえ、大丈夫よ。あなたの気になることを優先して」
「承知いたしました」
「よろしくね。手間を取らせたわ」
「とんでもございません。何かございましたらなんなりとお申し付けくださいませ。では、お嬢様、閣下、私はこれにて」
またも流れるように胸に手を当てて一礼し、ヘレンは影が影に溶けるように部屋を辞した。
「…………底知れない男だな」
ラヴィエルが低く呟いたが、報告書を黙読していたエクレイアには届かない。
確かにざっと見る限り、水に関する記述はない。
「ほんとうに、ティフォンの街では、水は関係なさそうですわ。何かほんの少しでも気になることがあったら、ヘレンもその部下たちも見逃すはずがありませんもの」
「随分と買っているんだな」
「それはもちろん、お父様仕込みですわよ?」
報告書から目を離し、きょとんと首を傾げると、ラヴィエルはふとため息をついた。
「これ以上ない価値証明だな」
「でしょう?」
エクレイアは薄く笑って報告書に視線を戻し、とある記述に目を止めた。
『ルキオに賛同すると思しきティフォンの住民は一様に、ルキオが配布あるいは販売する壺を住居に飾っている模様。その理由として、その壺は病魔災厄を閉じ込めるとルキオによる説明があった由______』
「……………は?」
思わずエクレイアらしからぬドスの効いた声が飛び出し、なにやらドアの方を睨んで不機嫌そうに目をすがめていたラヴィエルが、瞬間的に目を見開いてエクレイアを振り返った。
それに気づいてもなおエクレイアは報告書を食い入るように見つめて、再び呟いた。
「……………は?」




