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「とはいえ、そのおかげで敵の動きを一時的に止められた」
「その通りだ。お前の手腕にはいつも畏れを抱かざるを得ないな、リージオ。その慧眼の種はしっかり娘にも遺伝しているようだし、これはこれからの我が国も安泰だ」
「そんな!」
父上と一緒にしないで! とばかりに思わず叫んでしまって、エクレイアは慌てて口を抑える。この人と同じ役割を求められてもかけらもこなせる気がしない。婚約破棄を言い出した時から計画していたと仮定しても、せいぜい一週間ちょっと、その中でこれだけの布陣を整えられるような頭脳も度胸も生憎持ち合わせていない。
激しく動揺するエクレイアを見守りながら、リージオは、何が嬉しいのか、にこにこと笑っていた。
「さて、娘にも随分と尊敬されていることがわかって父親冥利につきましたところで…、ここからが悪巧みの本番だ、エクレイア」
「これまでは何だったんですの……」
「前哨戦だ」
「既にへとへとですわ!」
「おや、それじゃあ…、休んでおくか?」
忍び笑いと共に告げられた言葉に、ぐう、と、エクレイアは口籠った。この父親、絶対に自分の反応を楽しんでいる。それがわかっているし、何ならギャラリーは興味津々だ。メラメラと負けん気が湧き立ち、むっと顔に力を入れた。
「………いいえ、まさか」
「流石は我が娘だ」
満足げに頷き、それから、破顔一笑。父親と、参謀の顔を器用に混ぜ合わせて、リージオは笑っていた。
「それではエクレイア、まずはお前の手並を拝見したい」
「お父様!?」
突然何を言い出すのかと思えば、と、告げられた言葉に目を剥くが、エクレイアを除きその場にいた全員が一斉に目を輝かせる。嘘だろう、と思う間もなかった。退路はない。
「難しく考える必要はない。…さあ」
悪巧みをする少年たちには、どうやら到底敵いっこない。重厚な声とは不釣り合いなほどに高揚する…、有り体に言えばわくわくしている父親を筆頭に、こちらを見つめる連中は、王侯貴族とは到底思えない。威厳だけはそのままに、中身がすげかわってしまったようだった。
ぐっ、と、奥歯を噛み締めた。それならやってみせようじゃないか。エクレイアは、これまでの自身の知識と、それよりも前の新たな知恵をさらった。せいぜい青二才の二周分、大した知恵でもないけれど、ここでおめおめと引き下がることはしたくない。一寸の虫に五分の魂、自分にもまたルーベルハイムの矜持がある。
「…メルム草の誤用による作用、それがもたらす害については、蔓延しているものではない。と、仮定します。根拠は…、そもそもメルム草自体が、一般の市場に出回りにくいこと、そして、これまでに騎士団にそのような事例が上がっていないこと」
「うん」
「それで…えっと……レクセンで目撃されている、幽鬼の如くになった者たち…、それは、メルム草によってそうなった、と、仮定します。いいえ、これは、仮定というより確定です。以前、エルヴィアーナの書物で読んだことがあります。麻酔を規定量以上に投与された者が、突如大暴れした後廃人のようになってしまったと。それと同じものである可能性が高い」
「…ああ、ステファノ医師の医学論文だね。確かにその記述は読んだことがある」
「はい。ラファエル殿下に送っていただいたものですわ。そして、その者たちがルキオの関係者であるなら、今回のセーヌの騒動、背後には、ルキオがいるということになります。メルム草の入手、ティフォンとレクセンの辺りを跋扈するルキオなら容易でしょう」
エクレイアは、そこまで言ってから言葉を切った。問題は、そこからだ。…いや、以前の知識はある程度予測を立てているのだが、それを、どうやって伝えるか、という問題の方が大きいかもしれない。
恐る恐る、言葉を選びながら、もう一度言葉を紡いでいく。
「では何故、ルキオはそのようなことをしたのか。…これはルキオの目的かどうかはさておいても、ジュリアナ妃とそのご実家たるハゼクス家の動きが非常にわかりやすい。王権に近付くこと、あわよくば、王城にて、ルルイユの実権を握ること。権力を握ること。それが果たしてルキオの目的かはわかりませんが…、もし、宗教団体としての目的がそこに絡むのなら、ルキオの目的もまた同一であると考えて良いのでしょう」
「ほう…、つまり、エクレイア。それは何を意味するのかな?」
「宗教は何をもってその力を強くするか。それは、信徒です。敬虔な信徒を持つこと。単純に、ルキオの目的は、自分たちの宗教を広めること」
宗教というものは、広まれば広まるほど、信徒が増えれば増えるほど、その力を大きくする。そして、真に人を救いたいと思うものは自らの思想を周囲に伝導して範囲を広めることでより多くの人を救済しようと努め…、邪なものは、思想を広めることで権力の範囲を広げる。同じように見えても、邪な考えを持つものは、手段と目的が逆なのだ。
腐敗した信仰は、力を握りたいと舌舐めずりをする邪なものどもの温床となる。カルトとはそんなものだ。元来は儀礼・礼拝という崇高な意味を持っていたこの言葉が俗悪を指すことになろうとは皮肉な話だなあ、と、エクレイアの思考に以前の記憶が入り混じって、苦々しく目を細めた。
「ルキオは、この国の中枢に入り込み、ルベウム教にとって変わることで、更なる影響力を得ようとしている。……と、考えます」
いかがでしょうか…、と、リージオを見れば、驚いたような、満足そうな表情を浮かべている。
「素晴らしい」
「……意地悪ですわ、お父様」
「ふふ、どうかその意地悪な父を嫌いにならないでおくれ。近頃のお前を見ていると、どうにも血が騒ぐんだ。謀略の中にあっては、考えることは時に劇薬になる。広げ過ぎた視野に食い殺されることもままある。だが、今のお前はその劇薬を使いこなせそうな気がしてならない」
エクレイアはぎくりとした。近頃自分の身に起きた大きな変化を見抜かれてしまったような気がしたからだ。別に悪いことをしているわけではないのに。
いつも見ている父とは違う、参謀たる一面を覗かせて笑うリージオに、エクレイアは伸ばした背筋を少し震わせる。
国王の笑い声がした。
「リージオ、まるで獅子のようなことを言うんだな。さながら掌中の珠の如くに慈しんでいたお前にも、子を谷底へ突き落としかねない一面があったとは」
「子の成長は幾つになっても嬉しいものでしょう、陛下」
「違いない。…しかしまあ、随分と大それたことを。なるほど、ルベウム教によく似た形をとったのは、そっくり入れ替わるためだったのか」
「恐らくは。しかし懸念されるのは…、その、信徒の増え方です」
懸念すべきはそれだ。どれほどの規模なのか、と、その詳しい事情をまだエクレイアは知らないが、国の内部に、しかも王妃という王に最も近い立場にまでその手を伸ばすことを企むくらいには、力を持っていると考えるべきだ。その力とはつまり信徒の数、勢力範囲。それが一体いつ始まったのかも定かではないが、このような動きがとれる程には、増殖しているということ。
リージオは、年を経てなお若々しく、そして思慮深い瞳を僅かに陰らせる。
「……ルベウム教と教義を同じくしている、その形態がやや異なるだけ…。それならばわざわざ乗り換える必要はない。人はそういった変化には極めて慎重です。そして我が国において、ルベウム教は国教。宗派を鞍替えすることすら、下手をすれば異端とみなされる」
「確かに。全く違うものならいざ知らず、似ているものならそれまでの方が安心だ、と、思ってしまうのが人心ですね」
「その通りです、ラファエル殿下。余程エネルギーが有り余っていて、新しいことをしてみようと思う人間がいたとしても、宗教は別格です。なぜならその人間を形作る根幹、滅多なことで変えようとは思いますまい」
悪戯っ子の笑みを引っ込めて、長い指先を白皙の面に添え、ラファエルは睫毛を瞬かせる。その顔に笑みはなく、酷く硬い。
ラファエルの言葉を受けたリージオもまた、瞳の陰りを晴らすことはなかった。
ラヴィエルが、ずっと腕を組み、整った涼やかな目元をすがめる。
「しかし、ルキオに人は集まっている。そしてルキオは力を増している」
「つまり……そのような危険を考えた上でも、わざわざそちらに移る魅力がある、ということですの?」
全く違う宗教ではないのに、流入が止まない。事態は深刻である。わかってはいたが、さらに不気味だ。
エクレイアは、この世界には存在しない、プロテスタント、なるものを思い浮かべた。宗教の大元に反発して出来た、協議を同じくした新たなもの。しかしその原因は、母体の腐敗。今回のルキオの騒動には当てはまらない。
だからこそ、不気味だ。
「その理由を、まずは探らねばならないだろう。付け入る隙になる」
リージオは、不敵に笑った。
「付け入る隙、ですか?」
「そうだとも。それが理由で我らがルベウム教から流れているなら、その流れを止めてやれば信徒はこちらに戻ってくる可能性もある。あわよくば、そのままあちらが瓦解することにも繋がるかもしれない。楽観視ではあるが、な」
「そ、そうですわね………」
若かりし頃の美貌の名残を色濃く止める偉丈夫のウインクがこんなにも恐ろしく思えたのは、前世も含めて未だかつてなかった、と、冷や汗かつ苦笑いで思うエクレイアであった。
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