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円卓に指先を置いて、アルベールがにっこりと笑った。
「流石にこれには、弟がかわいそうに思えてくるね」
「霞の一つも思われていないように見えますが」
「まああれも、なかなか好き勝手してきたからねえ、そろそろ自力で戻ってこないことには愛想も尽きるというものさ」
兄と、弟。
その立場にあるアルベールとラヴィエルのやり取りに、とばっちりで胃が凍りそうになったエクレイアだが、にこにこと微笑み続けるアルベールと、おやおやと笑うラファエルを見て、兄弟とはこんな感じなのかしら、と、遠い目になる。
気を取り直して、先程のリージオの話を反芻し、
「なるほど、……なるほど? いや、でも……」
処理すべきことは別にある、のだが、どうしても咀嚼しきれない。
そのセーヌの狂乱がメルム草を使ったブルーノの企みだったとして、その背後にいるというジュリアナ妃になんのメリットがあるのだろう。
もし、ジュリアナ妃が国の中枢で権力を握りたいのなら、息子であるジルベールを王にするのが近道だろう。しかしそれには、アルベールという歴然とした壁がある。直接的な言い方をしてしまえば、狙うべきはそこであるはずだ。メイドにそんなことをすれば、警備も厳しくなるし、周囲の目だって鋭くなる。ましてやセーヌは王妃付きであって、王太子付きではない。
「エクレイアが考えていることはなんとなくわかるよ。もしそうだとして、メリットは、ってことだろう?」
耳目を気にしてか、明確な名前は避けて、アルベールが微笑んだ。エクレイアにはどうしても、それが暗号遊びを楽しむ子どものように見えてならない。
「母より僕をどうにかしたほうが手っ取り早い。僕もそう思う」
「……ご自身のことですのよ、もう少し何か言い方が…」
「事実は端的に言ったほうが楽さ。言い繕っても変わらない」
「そうですけれど…!」
情緒壊滅か、とは、流石に口にしない。こんなことに情緒求めるくらいなら、確かに、端的にしてさっさと片付けるほうが遥かにいい。諸手挙げて賛成とは言いたくはないが。
流石にこれには苦笑いを浮かべたリージオが、まあまあ、と、エクレイアを宥めた。
「いずれにしても、メルム草の束を、ブルーノが官舎に持ち帰っていたという証言がある」
「そんな証言が。よくわかりましたわね、メルム草といえば、美しい花を咲かせますけれど、珍しいものですし、知る人もそういないでしょうに……」
確かに、無骨な衛士が珍しい花束を持っているとそれはそれで目立つが、その目立ち方は多分、乙女が喜ぶタイプのやつだ。あの花束を頂く幸福なお方はどちらなのかしら、みたいな。
あの百合によく似た花を、それと知って怪しむ者はごく僅かだろうに。
「他の花で作った花束の中に忍ばせていたらしいが、庭師の目はごまかせなかったようだな」
「餅は餅屋……」
「ん?」
「いえなんでも!」
思わず以前の彼女が知る諺が口をついて、エクレイアは慌ててごまかした。
なるほど、忍ばせていたから逆に怪しまれていたわけだ。確かにあのメルム草の花は派手だ。花束として作るとしたらメインに持ってくるのが普通だろう。そんな逆に目立つようなことをしなくても…、と思うエクレイアである。最もメインに持ってきたらきたで、珍しい花だと庭師の目を引いただろうから、なんとも言えない。プロの目はごまかせない。最も強い麻酔成分が花弁とめしべにあることが災いしたようだ。こちらとしては幸いだが。
「手荷物検査のおかげですわね」
「まったくだ。あれがあるから、下手に粉末にしてだなんてことは考えなかったんだろうね」
王城のセキュリティ強化のために、手荷物検査を厳しくしたのは比較的最近だ。それがこんなにすぐに効果を出すとは。
まるでこの事態を見透かしていたかのような采配だ。
「流石はルーベルハイム閣下。先見の明と呼ぶには些か恐ろしいくらいだ」
「いやまさか、偶然でしょう。しかし間接的にとはいえこのような形でお役に立てたとは光栄の至りですよ、アルベール殿下。しかし、女性たちに花を贈ることも規制すべきなのでしょうか、これは…」
「そこまでする必要はないだろう。たった一度の不埒のせいで、そのささやかな生活の潤いまでをも、僕らの安全のために摘み取るべきではない」
ですよね、父上、と、そうアルベールが微笑み、国王が頷く。
「お二方とも、御身は代えがたい国の宝だということをお忘れなきように、切にお願い致しますわ…」
嘆きともつかないエクレイアの言葉には、ささやかなものではない、王子様の極上の微笑みが返ってきた。
「ふふ、エクレイア。そのためにいるのだよ、君のお父上はね」
「これはこれは、荷が重うございますな」
「頼りにしているぞ、リージオ」
「いやはやなんとも、ルルイユが羨ましいですよ。このような才人がおられる」
「おや、ラファエル殿下。残念ながらお譲りは出来かねますぞ」
「あはは、引き抜けるとは思っていませんよ、ね、ラヴィエル」
瞬きを返答に変えて、口元に微かな笑みを浮かべたラヴィエルが、しかし、と、話の水を向ける。
「目的はやはりわかりかねる。何故メイドだったのか、何故王妃だったのか。もしアルベール殿下を狙う前の撹乱だったとしても、それならばアイリーン妃ではなくあちらの手駒で自演をすれば良いものを、これでは中途半端でしょう」
「いえ、ラヴィエル閣下。アイリーン妃でなくてはならなかったのですよ」
「なくてはならなかった?」
「そうです。エクレイア、あの騒ぎがあったのはいつだったか覚えているかい?」
「え、…えっと、婚約破棄の儀の少し前……」
リージオの言葉に、エクレイアが記憶を手繰る。
そう、婚約破棄の儀の、二週間ほど前。おかげさまで婚約破棄の儀の警備はガッチガチだった。国王陛下が戦地に赴く時のような、あれはそれくらいの物々しさだった。苦い記憶である。
「………あ」
「そう。ジュリアナ妃では駄目だったんだ。彼女はこの城にいなかった」
「そうでしたわ…。ご実家の、従姉妹の方にお子が産まれたと……」
「お祝いに出向かれて3日ほどお留守でいらした。その期間に起きたことだった。単純に考えたら、アイリーン妃を狙って警備が厳しくなることと、ブルーノから辿られて自作自演を看破されることを天秤にかけて、後者の方を恐れたのだろう」
リージオの苦笑混じりの言葉に、なるほど、と、ラファエルがおかしそうに笑う。
「ブルーノという衛士個人だけならしらばっくれることもできるが、ジュリアナ妃を狙えば自陣の手札が二枚。言い逃れしようもないと踏んだということか。孤児院から遡って調べられることさえ想定していたとは、敵もさるものだね」
第二王妃は療養という名目でほとんど王城にいない。つまり、当時城にいた王妃はアイリーンだけだった。とするならばむしろ、「アイリーンを狙わなかった」ということか。
「なるほど、セーヌの一件は、僕を狙うために警備を分散させるためだったのか!」
「だからあなたはまたそういう…………」
ぽんと手を打って納得の表情を浮かべたアルベールが、まるで算数の問題でも解いたかのようにとんでもないことを言う。命狙われてるってことわかってるのこの人は、と、エクレイアが脱力したのも無理からぬことだろう。
「いやあ、だってつまり、王妃なら誰でもよかったんだろう? 第二王妃がいたらきっとそっちを狙っていただろうさ」
「殿下………」
情緒壊滅か。と、今度こそ喉元まで出かかったが鋼の理性で飲み込み、咳払い。
「セーヌを狙ったのも、セーヌの母であるマリーヌが最もアイリーン様に近しいからなのでしょうね。…卑劣な」
つまりセーヌは目眩しに利用されたのだ。自分より少し年上のメイドの顔を思い出し、エクレイアは渋面を作った。
「……あら、でも、それなら、そこまでしたのにどうしてそれ以降目立った動きがないのかしら」
せっかく、周到に練って、しかも成功までした目眩し。ブルーノは消え失せて、残念ながら状況証拠しかないこの結果は、大成功とさえ言えるだろうに。
首を傾げていると、アルベールが珍しく、かわいいものを眺めるような視線をエクレイアに向けた。
「そりゃあ、きみ………婚約破棄の儀があったんだから、そんなことやってる場合じゃなくなったんじゃないか」
「えっ」
「だってそうだろ? ただでさえ、王妃付きメイドの謎の狂乱、そこで警備が厳重になっている上で、第二王子と、国の重鎮の姫君が婚約を破棄する儀式ときたら、警備が輪をかけて厳戒態勢。特に日取りが決まってからの一週間なんて、僕はずっと騎士団長の護衛付きだ。窮屈ったらなかったよ、それに」
それに、と、アルベールはリージオに目配せをした。
「それが終わったらすぐに、王領の視察だ。すぐ呼び戻されたけれど、それはエルヴィアーナのお二方がいらしたから。ある意味不測の事態だ。おっと、これは別に喧嘩を売っているわけではないですよ、言葉の綾です、ラファエル殿下。それがなければ僕は今頃国中を回ってた。ですよね、ルーベルハイム閣下」
エクレイアの視線が、まるで球技の球を追うが如くリージオの方へ向けば、リージオはただ穏やかに微笑んでいた。まさか、と、エクレイアが息を吸い込む。
「それをお決めになったのは……」
「ルーベルハイム閣下だよ。僕を王城から出来るだけ離すため。ですよね」
「……ええ。厳戒態勢の直後が、最も緩みやすいですからな。敵の狙いはそこだった。セーヌの一件で強まった警戒が緩む一瞬をつこうと、狙っていた。予想外の儀式だったが、それが終われば一度わかりやすく緩むだろうことは明確でしたからな。その時点で、殿下には一度城を離れていただこうかと。騎士団の精鋭をまとめてつけておけば安心でしょう」
なんとまあ、清々しいほど老獪だ。
エルヴィアーナ皇太子の来訪はイレギュラー中のイレギュラーだから織り込めなかったとはいえ、その他は全て、この男の手の内だ。
「今頃はあちらも手をこまねくしかできないんだろうねえ、母上も、安全安心だからメイドに暇を取らせて自分も王領視察について行こうか、などと仰っていましたが」
そこまで聞いて、耐えられなかったのか、ラファエルが吹き出した。
「なるほど! とすれば、アイリーン妃殿下もまた、ご存知だったということか! なんとまあ、見事な手腕だ、流石は……」
そこから先は、笑いすぎて言葉にならない。だが確かに、その口が、「参謀」と動いたのを、エクレイアは見た。
まったくだ、全てはその掌の上で踊っていたのだ。
「…婚約破棄の儀で頭がいっぱいだったなんて、私、なんて……」
「しかしエクレイア、お前のその申し出がなければ、それもまた不可能だったんだよ」
「………え…?」
「これは全て、お前がジルベール殿下との婚約破棄を言い出したからこそ出来たこと。あの申し出には私もパルティアも心底驚いた」
「その通り。父上なんてどれほど嘆かれたか! とうとうルーベルハイムの姫君にまで見放された! と」
「それはいまだに頭が痛いことだ。エクレイア嬢の献身を知らぬ私ではない」
「お、恐れ多い……」
国王からの言葉と、知らず知らずのうちに機構の歯車に、しかもどうやら最も大事な部分の歯車になっていたことを今更ながらに教えられ、二重の意味で冷や汗をかいたエクレイアだった。




