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「行きたい」と、そう、確かな意志で応答した瞬間、エクレイアは、微笑む父の顔に、さらに幸福そうな色が落ちたことを感じた。ただ重ねられていた母の手に、きゅっと優しい力がこもる。
それから、
「わ…ぁ……」
「やっと、やっと言ってくれたわね!」
母の手が、その握られた手とは逆の方の手が、エクレイアの頭を引き寄せた。突然のことに反応できず、母の胸に顔を埋める形になって、エクレイアは目を白黒させる。
…母に抱かれるなんて、いつ以来だろうか。
「いいこと、エクレイア? わたくしたちはあなたの母親で父親よ、娘のことなんてお見通しなの。あなたがずっと、ずうっと、学問をしたい、学びたいと思っていたことなんて知っていたんだから」
突然早口でまくし立て始めたパルティアに、エクレイアは、何事かと目をぱちぱちさせたが、中途で声に混じった潤みに何も言えなくなる。
エクレイアは母の鼓動を聴きながら、目を閉じた。
「いいこと、エクレイア? だからね、ずっとと言えないことが心苦しいけれど、もう、しばらくは、誰かを支えるためにその身を賭して、あなたの心を殺さないで。あなたの心に従って。あなたの心を犠牲にするなんてそんなこと、このわたくしが許さないわ。そうね、例えあなたであってもよ、リージオ?」
突然火の粉が飛んだ父リージオの方を視線で追えば、パルティアを挟んで座っていたリージオが、エクレイアの隣にやって来た。
「させるものか。私とて何が悲しくて愛娘の痛みに耐える姿を見なければならない」
「お父様……」
優しく解かれた母の腕から起き上がり、反対側の父を見れば、今度は父に抱き寄せられた。
「王家の伴侶となるに相応しい娘たれ。貴族の娘に恥じぬ乙女たれ。ルーベルハイムの名を背負って立つべき者であれ………そんなもの」
信じられない言葉が、父の声で紡がれる。彼こそはルルイユ随一の大貴族にしてルルイユの参謀とされる、ルーベルハイムが当主、その人のはずなのに。
「そんなもの、今この時だけは捨て置いてしまえ。お前は十二分に働いた。私でさえ頭が上がらないほどにね。だから」
父の腕が片方だけ離れる。そうしてすぐに、エクレイアの背中も、あたたかいもので包まれた。
「自由に生きなさい。あなたの身に流れる血は、きっといつかあなたの枷になって、あなたの自由はいつか終わりを告げるでしょう。でも、今は、自由に生きなさい。あなたはあまりにも出来が良すぎたわ、あまりにも自分を縛るのが早すぎたのよ。幼い頃からずっとよ。ずっと。ねえ、そうでしょう?」
パルティアが、エクレイアをその背から抱きしめる。これ程までに父と母に近く触れ合ったのは、いつ以来だろうか。
「パルティアの言う通りだ。自分にも他人にも厳しく、誇り高く、そう生きてくれた。生きていてくれている。だから少なくとも今は十二分だ。その誇りがあるならば、その働きをしたならば、少しくらい羽を伸ばしても許されるだろう」
リージオがエクレイアを撫でる。そしてそれに入れ替わるように、エクレイアの髪にパルティアが頰をあてた。母の纏う薔薇と少しのムスクが、父が時折嗜む水煙草の残り香に混ざり合う。
「……もし、許されなかったら?」
それがくすぐったくて、気恥ずかしくて、照れ隠しのように、エクレイアは呟く。
「あら、その時は」
即座にパルティアが夫に目配せをして、そうするとリージオが笑みを含んだ声で答えた。
「戦うさ。あらゆる手段を持ってね」
何をどのようにして!?
そう切り返す前に、エクレイアは吹き出してしまった。父も母も、楽しげに笑っている。
「そう……そうですね…」
笑いながら、ううん、違う、と、首を振り、
「うん、そうよね、お父様、お母様」
ぎゅっと抱きしめられる、幸福感と少しの息苦しさに、エクレイアは深く息を吸った。
パルティアの気配が、名残惜しそうに背から去っていく。ついで、リージオもまた、腕を緩めた。
「……さて、それではわたくしは晩餐の手配と残った手紙の返信を致しましょうか。あなた、エクレイア、殿下たちがお待ちでしょう」
「そうだな。エクレイア」
「はい」
三人はゆったりと立ち上がり、扉へ向かう。途中、パルティアは、少し乱れてしまったエクレイアの髪を手で梳いて整えてやった。
「わたくしは執務室におりますわ。だから、わたくしのために、お茶会、また開いてね」
「もちろんです、お母様」
扉を開いて部屋の外に出ると、パルティアは満足そうに頷いてから、足音も優雅に歩き去った。人払いされて誰もいない廊下に、リージオとエクレイアのみが残される。
「………さて」
「参りましょうか、お父様」
「ああ」
リージオは、エクレイアを連れて歩き始める。
「ラファエル殿下の御用向きを伺わなければな」




