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「ここは変わりませんね、マダム・パルティア。あの花瓶、僕とラヴィエルで、花でいっぱいにしたものですよね」
「あらまあ、覚えておいでくださったのね、光栄ですわ」
「勿論、どれも僕の大切な思い出ですからね」
輝く微笑みはそのままに、応接間に通される間、邸宅を進む皇太子殿下はそれはもうご機嫌で、それに応じるパルティアも、幼い娘を思い出しては微笑み尽きぬ様子だった。
「…….あの日は確か、エクレイア嬢の誕生日でしたね」
「まあ! ええ、その通りですわラヴィエル様。おふたりがその腕いっぱいにお花を抱えていらっしゃるのを見た時は、天使が舞い降りたのかと思いましてよ」
「おや、天使ですか。身に余るお言葉ですが、天使とはまさしく、あの頃のエクレイアに他ならないと思いますよ? 無論今も愛らしいですけれどね」
もうやめてくれ。
とは流石に言えず、エクレイアはただひたすらに押し黙った。それはもう貝のように。
正直、凛々しい美丈夫と繊細な美青年に挟まれて、少女のようにころころと楽しげに笑う母は、娘の贔屓目を抜いても大変素敵だ。有り体に言えば可愛い。それを時折眺める父の目も、優しくほどけていて、とても幸せだ。娘的に。
だがそこで話題に上がっているのは自分の話。しかも遠い昔のこととはいえ、前世の記憶が表出した際なんの反動か幼い頃の記憶までが鮮明に蘇ってしまったため、エクレイアにとっては風化した記憶として楽しむことはできなかった。何せその時に言われているのだから。「エクレイアは天使みたいだね」「天使のお姫様だね」って。それはもうまごうかたなき美少年たちに挟まれて。あの時はなんの躊躇いもなく、ちょっと気取って「あら、こうえいですわ」なんて言えたけれど今なら即戦闘不能だ。いろんな意味で。
ていうかよく覚えてるなこの兄弟、とも言わずに、ゲンナリとため息を噛み殺すエクレイアは、使用人たちがいつも以上ににこにこしていることには気付くことはできなかった。
応接間と銘打たれた豪奢な部屋に一大貴賓を通すと、控えていたメイドたちは音もなく一礼して、命じられる間も無く退出した。応接間の中は、ルーベルハイムの一族と、エルヴィアーナの皇族兄弟のみになる。
途端、穏やかながらも貴公子然とした風に胸を張っていたラファエルが、とろけるような微笑みを浮かべた。
「ここも、変わってないね、あの時のままだ。使用人たちの中にも懐かしい顔がたくさんあって。おじ上、わざわざ全員を集めてくださったのは、そのためなのですね?」
「はて、なんのことですかな?」
ふふふ、と、心底嬉しそうに微笑むラファエルと、それを柔らかく見つめるリージオを見ていると、まるであの頃に戻ったかのようだった。
確かに、一大貴賓を迎えるのに使用人全員を並べるのはおかしな話ではあった。何せ、一般庶民では謁見すらままならぬ雲の上のお方。高位の貴族と騎士、メイド長でぎりぎり、といったところか。
けれども、幼い頃よくこの館を訪れていたラファエルにとっては、見知った顔を見つけるのは心踊ったらしい。恐らくはそれを見越しての主人の配慮だったのだろうが。
賓客用のソファをラファエルに勧め、リージオも腰をかける。パルティアは当然のようにそのリージオの傍に立ち、その逆側にエクレイアが立った。
同じようにラファエルの隣にラヴィエルが立とうとして…その時、ラファエルがすっと、白魚のような手を挙げた。それから、悪戯っぽく微笑む。
「立場としてはあまり褒められたことではないのでしょうが………おじ上、これじゃあまりに寂しいですよ」
「左様でございますか…。では、お言葉に甘えるとしようか」
リージオは含み笑いをしてから、パルティアとエクレイアを促す。恐らくこうなるだろうと察していた二人は目配せをし合って、静かにソファに腰を掛けた。口元は堪え切れない笑みが浮かんでいる。ラヴィエルも当然のように腰掛ける。こちらも元より分かっていた顔だ。
「そうしておいた、という事実は大切だからね。茶番に付き合ってくれてありがとう、ラファエル様」
「……様付け、というのも中々に距離を感じて寂しいものですね、おじ上」
「これ以上は、ご容赦を」
「兄上」
「……そうだね」
ラファエルは憂いがちに少しだけ目を伏せてから、そして次に開いた瞳には優しい光が浮かんでいた。
「それで、兄上。直々にお出ましになった理由とは」
「もちろん、我らが愛しきエクレイアの様子がずっと気になっていたからだよ。ラヴィエルの書簡を見たらもう、いてもたってもいられなくて」
「……あなた何を書いたのか、あとできっちり聞かせていただきますわよ」
エクレイアがじっとりとした視線をラヴィエルに向けると、その様子を少し驚いたように見つめたラファエルが、口の中で、ああ、確かに変わった、とだけ呟いた。
隣にいたラヴィエルと、それから目敏いリージオはそれに気づいたようだったが、あえて言及はしない。
「それだけでは流石にここまではしないでしょう、兄上」
呆れたように目を細めて実兄を見つめるラヴィエルに、ラファエルは笑い声を立てた。その様すら絵になる優雅さなのだから、もう手の施しようがない。
「そうだね。……うん、本題に行こう」
すらりと指を組み、膝の上に置いて、エルヴィアーナの皇太子は、その美しい碧眼をもって、真正面からエクレイアを射抜いた。
その流石の皇族の気品に、思わずエクレイアの背筋も伸びる。
「エクレイア姫。貴女を、当国にお招きしたい」
「え……」
あまりのことに、エクレイアは思わず声を上げてしまう。非礼だと知っていても、きっとこれは耐えきれなかった。
対するラヴィエルは、そういうことだろうと予測していたようで、ソファに深く身を沈めただけだった。リージオに至っては全く表情が変わらない。パルティアがほんの少しだけ、片眉をあげた。
「留学生として、当国にお招きし、研鑽を積んで頂きたい。無論、私と、それからラヴィエルとともに。幼い頃に学友として励んだ日々を、再び、と、ずっと望んでいたのです」
「………なるほど」
朗々と告げられた言葉に、言葉を返すことままならぬエクレイアに代わって、リージオが深く頷いた。確かに、王族の婚約者たる娘に望むのならば、かなり込み入ったことになる問題である。が、しかし。
「ならば私としては、お力になれるやもしれませんな。現在のエクレイアは、今やもう王家と関わりを持たぬ身。最も、ルーベルハイムの血統なれば、ゆくゆくはルルイユ王家を支えるものとなるのが通例ですが、けれども」
リージオの視線がエクレイアを捉える。それから、一度、二度と瞬きをし、ゆっくりと、笑みの形に花開く。
「我が娘が望むならば、と、思っていたところでね」
「光栄です」
「ま、待って、お父様、私は……」
「エクレイア?」
慌てて止めようとしたエクレイアの、膝の上で握り込まれた拳の上に、ひと回り大きな手が重なった。母の手だ。
「エクレイア、家のことは考えなくていいのよ。今は、ね、あなたがやりたいことをして欲しいの。勿論それが留学じゃなくて、ルルイユに残って勉強することならそれでもいいわ。でもね、ここにいるとしばらくは、不躾な視線に晒されるでしょう?」
確かに、そうだ。先日、国王に呼ばれた時でさえ、あの視線。メリアの周囲に侍る者たちや、ジルベールの派閥にいる者たちからは、エクレイアはすっかり目の敵にされている。
「それは……」
「それに」
こちらが本題なのよ、と、確信に満ちた微笑みで、パルティアは続ける。
「あなた、行ってみたくない? 本の都、文壇と芸術の国」
「あ…………」
割と決定打だった。
行きたい、と、即答することこそ避けたものの、目には確実に現れたと思う。行きたい、という文字が。
一部始終を黙って見ていた男性陣は、目配せをし合う。それからリージオが、
「ああ、ラファエル様。どうやらその提案に娘はかなり乗り気のようですから、前向きに検討することにいたします。と言ってもお返事にはそう時間はかかりますまい。ということで、いかがかな、懐かしいこの館を見て回られるのは。少々家族で話すことがありますが、すぐに私も娘を連れて合流いたしましょう」
「そうだね、中々に良い手応えを感じたから、僕も随分心が軽いよ。今にも飛び立ちそうなくらいにね。だからラヴィエル、君も付き合ってくれないかい?」
「兄上のお好きなように」
ラファエルとラヴィエルが立ち上がる。慌ててエクレイアも立ち上がろうとすると、また手で制された。
「そのままで。色よい返事がもらえるように期待しているよ、エクレイア」
にっこり、また、乙女ならばとろけてしまいそうなくらいの極上の微笑みを残して、ラファエルはラヴィエルを連れ立って部屋を出ようとする。その背中に、
「時に、この館では不定期で、娘主催の茶会があるのですが、お二方はいかがかな?」
「それは楽しみですね」
「……是非ともご相伴に預かりたい」
隣国の尊き二人は、揃ってよく似た仕草で返すと、ドアノブに手をかける。
「ではまた、後ほど」
そのリージオの言葉に会釈を返して、二人は静かに退出した。
残されたのはエクレイアとパルティア、そしてリージオ。
無論、エクレイアの心はもう、決まったも同然だった。しかしそこでも、長年培ってきたルーベルハイムの誇りがストップをかける。
この国を守る礎を、支える娘たらんと、長年に渡り教わってきた。中々それを覆すには勇気がいる。
「お父様、お母様……私…………」
「エクレイア」
俯いて、言葉を続けられないエクレイアの背に、パルティアの手のひらが添えられる。
恐る恐る顔を上げると、リージオは微笑んでいた。
それは、父親の顔だった。
「い…行きたい、です」




