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えっ、と、エクレイアは思わず硬直した。
その瞬間、つり上がった美しい眉の下の、硬質な青い目と目があった。それはもう、バッチリと。
刹那、その矛先が自身に向かったことを、エクレイアは痛感した。嫌という程に。
「あら、エクレイア嬢。ご機嫌麗しゅう。貴女様にも申し上げたいことがありましたのよ? 一緒にいらしていたのならば、二度出向く手間が省けましたわ」
にっっこり。
真っ赤に塗られた唇が三日月のように弧を描き、妖艶な微笑みがその細面を彩る。
「貴女、ジルベールの他に思い人がいらしたのですって? そのように不誠実で一方的な理由で、こんな重大な決断をなさったの? ルーベルハイムの未来を背負って立つべき貴女が!!」
違います。
とは、状況が状況なだけに言うことができず、エクレイアは固まったままで考えを巡らせる。しかし、ヒートアップしたジュリアナ王妃には何を言っても通るかどうか…。
我知らず拳を握ったエクレイアに、影がさした。
「ジュリアナ妃殿下。恐れながら申し上げますが」
リージオだ。リージオが、エクレイアを庇うように立ち、ジュリアナとエクレイアを隔てている。
「此度の決定、その最終的な裁定は、国王陛下が下されました。そして、当のジルベール殿下も」
ジュリアナの眉がつり上がる。まだ上がるのか、と、エクレイアは見当違いな方向に思考を飛ばしてしまい、慌てて自分の心に蹴りを入れる。
「あら、母たるわたくしを差し置いて? ルーベルハイム公、貴方も噛んでいらっしゃるの?」
挑み掛かるように顎を引いて、挑発的な微笑みを崩さないジュリアナが言い募る。リージオは穏やかに、穏やかに微笑んで、
「確かに妃殿下はジルベール殿下のお母君であらせられますが、お父君たる陛下のお言葉は何よりも優先されます、ご容赦を」
あ、これ、だめなやつ。
エクレイアは天を仰ぎそうになった。
父がここまで優しく優しくものを言うのは嵐の前の静けさ。いや無論、エクレイアやパルティア、そして領地の子どもらや、自分を慕う相手に優しく声をかけることはあるけれどもこれは違う。根本的に。
元来エクレイアは、王妃ジュリアナとの接点が驚くほど少なかった。自分の婚約者の生母であらせられる方でありながら、何故だか式典や夜会、あまつさえ王宮ですら顔を合わせる機会がほとんどなかった。
…のは、今この瞬間にわかった。恐らく父だ。この人が、なにか手を回していたに違いない。
「…わたくしの意志は、そこに入る余地すらありませんの? 愛しい息子の将来を案じる母の意志は?」
一転、悲しげに口元を覆う彼女は女優だ。エクレイアはいっそ感心したが、沈着冷静たるリージオに通用するはずもなく。むしろ火に油。
「妃殿下。恐れながら申し上げます。お立場をどうぞお考えになられませ」
「なっ……!」
ひええ。
とはいえそこまで言うとは思っていなかったエクレイアは内心悲鳴を上げた。
どうしようどうしよう、と、視線だけで周囲を見回してみたが、扉の側に控える騎士たちですら微動だにしない。
一番焦っているのは私か!? と、我慢できずに後ろを振り返れば、
(………ああ…)
陛下が頭痛をこらえるようにこめかみをおさえていた。エクレイアはなんとも言えない顔になる。
ぎぎぎ、と、体を戻して前を向けば、飛び込んできたのはジュリアナ妃の美しい顔が怒りに歪む瞬間だった。
「……っ、この」
(無礼者、かなあ…)
続くであろう大音声を予期してエクレイアが身構えると、
「いい加減にしないか、ジュリアナ!!」
響いたのは真後ろからの大音声だった。
ついで響いた高らかな靴音。
さしものジュリアナも、この声の主には逆らえるはずもない。
「…ですがっ、陛下…!」
最後のあがきのように口走るも、その手はそれまでの自信を表すような優雅さとはかけ離れて握り込まれ、小さく震えていた。
「下がれ、ジュリアナ。此度ルーベルハイム公とエクレイア嬢は、国賓の来訪についての案件で招いた。そして婚約破棄についてはもう決着している」
「でも」
「くどい。婚約破棄のそもそもの原因はジルベールの不義理である。本来ならばこちらが礼を尽くして詫びなければならないところを、公らの温情において許されたのだ。エクレイア嬢などは王族との婚約破棄というこの上なき不名誉を浴びることになった。それを償うこともせぬうちにその言い様はなんだ!」
ジュリアナの表情が、怒りではないもので歪む。硬い光を帯びた目が、美しく塗られた唇が。
しかしその口から言葉が発されることはなく。
王妃ジュリアナは足音高らかに、その場を離れていった。
非礼極まる、と、リージオが呟く。そしてエクレイアを振り向き、
「彼女はああだからね、出来るだけお前に近づけたくなかったのだが」
だと思いました。
と、エクレイアは無言で頷く。
すぐそばまで近づいてきていた国王も、深々とため息をつく。
「彼女は富豪貴族の娘でね。……まあ…」
「甘やかされたのでしょうな。礼節すらもなっていない」
国王の言い淀んだことをすっぱり言い切り、リージオは鋭く息を吐く。
エクレイアは若干の置いてけぼり感を覚えつつ、先ほどのジュリアナの振る舞いを思い返していた。
…端から端までアウトである。
国王の客の元に押しかける。アウト。
帰ろうとする客人を押し留める。アウト。
国王の決断に異を唱える。アウト。
その上自分の意思を通そうとする。アウト。
国王の直々の命令に反論する。アウト。
そして、御前から退く礼すら取らない。アウト。
人が人なら死罪である。今更ながらに青ざめるエクレイアであった。
とはいえ先ほどの国王の言葉を聞く限り、そんな彼女でも、家は恐らく相当の力を持つのだろう。有り体に言えば、金銭的な。資金的な。
「…………ジルベールを産んだことを考慮して置いてはいたが、そろそろ、切り時かな」
穏やかな国王陛下の口からとてもこわい言葉が聞こえた。
何より怖いのは、それに静かに微笑んだリージオだったりするのかもしれない。




