15
「いたぁい……」
遠慮も会釈も加減も容赦もなく顔から派手に転倒した、第二王子が首ったけの麗しのシンデレラは、実にあざとい仕草で、床に打ち付けた額に手をやりながら、涙目+上目遣いで周囲を見回すというヒロイン力高い芸当をやってのけた。
これが私なら間違いなく羞恥で死ぬわ、と、半ば現実逃避で視線を明後日に向けていたエクレイアは、反射的に口元を覆っていた両掌を静かに、そして実に自然に下ろしながら、こほん、こほんと咳払い。
「ご機嫌麗しゅう、メリア嬢」
「あぅ……はぅぅ…」
これ以上、こちらを恥ずか死させるような言動は是非とも慎んでいただきたい、できることなら今すぐに。
それは恐らくエクレイアのみならず、その場面に出くわしたメイド、回廊を巡回する騎士、中々現れないエクレイアを呼びに来たのであろう文官の誰もが思ったことだったろう。
いや、それはまあ、うるうるお目目をきゅるんとさせて、赤くなったおでこをさすりながら、小動物のようにきょときょとと周囲を見回すその挙動は、あざとさを感じはするが大変愛らしい。その容姿も相まって、大変、愛らしい。のだが…。
「あぁ、あのっ! エクレイアさまっ」
「なんですのっ!?」
「あの、怒らないでください! 私が、私が悪いんです!! エクレイアさまというお方がありながら私が王子と恋に落ちてしまったから!!!」
どこからどこまでも非常識な令嬢である。ここまでいくと天然も一種の凶器である。
エクレイアは最早、思考が急速冷凍されていく心地だったが、これからしばらくの間は、一斉に、可哀想なくらいに真っ青になったメイドたちの表情は忘れられないだろう。
(婚約破棄した恋人の元婚約者に、自分が奪いました宣言をするお馬鹿ちゃんがどこにいるってのよ!!?)
ここにいたわけだが、この際そんなことはどうでもいい。何せ婚約破棄はエクレイアの思惑通りなのだ、ええ、普通の令嬢、いや、普通の女ならば怒り心頭に発して狂乱するような台詞の一つや二つ、小指も動かさずあしらってみせよう。
だから、これ以上、メイドや騎士たちの顔色を悪くさせないためにも、その…!
共感性羞恥で死にそうになっていたエクレイアに、自体をさらにややこしくする魔手は攻撃の手を緩めなかった。
その魔の手は彼女の背後から伸びた。
「エクレイア! 婚約破棄をしてまで、お前はまたメリアを泣かせているのか!!」
ジルベール王子殿下。目前で倒れ伏す小動物系乙女の愛する王子様であり、きっと彼女のナイト様。颯爽と現れた姿はまさに、理想のナイトのそれだろう。
…とか、言ってる余裕はエクレイアにはなかった。
バッ、と、勢いをつけて、駆け寄るジルベールを睨みつけたそのエクレイアの瞳は今や羞恥によって潤み、頰にも朱が散り、唇はわなわなと震えている。
倒れ伏したメリアと、彼女が涙目で見上げるエクレイアを見て、恐らくエクレイアがメリアを転ばせただとかそんな風に思い込んだのであろうジルベールは、エクレイアのそんな表情に怯む。何せ、常に沈着冷静、表情は真剣なものか優美な微笑みのどちらかしか見せなかったエクレイアが、顔を真っ赤に染め、涙目で睨みつけてくるのだ。
エクレイアとて、そんなことをジルベールにするとはついぞ思っていなかったし、するはずがないと思っていたのだ。だが、今回という今回は限界だった。心が。あとその他色々が。
「王子殿下…! あなた、アナタ…ッ! 仮にも最愛の恋人なのであればッ! 最低限のマナー程度、ご教授して差し上げたらいかがですの…っ!!」
喉から血を吐くようなエクレイアの訴えに、その場にいた者たちの反応は、メリアとジルベールの二人を除いて綺麗に一致した。ジルベール殿下に見えないように、最新の注意を払っての拍手喝采。
「な…っ! この期に及んでまだメリアを侮辱するか! 見苦しいぞエクレイア!!」
ジルベールは激昂する。こうなると彼は自分の意見をとことん曲げない。こうなった時、平時のエクレイアは呆れ果てて言葉を紡ぐのをやめ、すすっと身を引くのだが…。
「そうではありません!! 必要最低限のマナーすら知らないということで恥をかくのは!! 当のメリア嬢ですのよ!!」
今回ばかりは引けない。メリアへの苦手意識はとりあえず脇に置いておこう。メリアがこのまま、よく言えば純粋無垢、有り体に言えば無知な状態では、恥をかくのは当然彼女、ひいては彼女に夢中なジルベール。しかし、ジルベールは王子。彼女の失態はそのまま、ルルイユ王家の評判を下げることになるのだ。
そしてなにより私の心的平穏が保たれない。私だけでなく、彼女の周囲で死人が出る。主に死因は羞恥による恥ずか死だ。
必死さが過ぎて一種の悲壮さすら漂わせるエクレイアの気迫に圧されたジルベールは、一瞬だけ黙り込んだ。その間を逃さず、エクレイアは畳み掛ける。
「ジルベール殿下がメリア嬢を愛するのは全く構いませんわ!! けれどそれならば、そうだからこそ! メリア嬢にきちんとした知識を!! お与えになるのが得策だと思われませんこと!!?」
涙目で言い募るエクレイアに、常ならぬものを感じたジルベールは、今度こそ完黙した。
しかしそこで空気を読めないのが、天然プリンセスである。
「そ、そんな! エクレイアさまはジルを心からお慕いになっているのでしょう!? どうしてそのような心にもないことを言うのですか! それに、私なら、学び舎で学んで来ましたし、知識はあります! ジルだって、たくさんの本を貸してくれるし…!」
この、女は。
またしても、その場の心が一致した瞬間だった。
エクレイアは、リンゴのように赤くなった頰を隠しもせずに、そしてそれまで決して目を向けようとしなかったメリアの方をしっかりと見据えた。
みるみるうちに瞳が潤むのは、間違いなく羞恥に耐えかねた彼女の心境そのものである。
「す…すべては! あなたが廊下をお走りになるからいけませんのよ!! 最低限のマナーを身につけていればこんなことには、その、…アナタ、あなたね…!」
しかし、わなわなと震える唇はそれ以上の言葉を音として外部に出すことができない。
そこに来てようやく、エクレイアの向こうにメリアの姿の全貌を見たジルベールが状況を把握した。ジルベールの頰も、みるみるうちに赤くなる。
その場の空気が、確かに凍る音がした。誰もが、もうダメだと思った。
その時、助け船は意外なところから現れた。
「メリア様。恐れながら申し上げますが、スカートの裾が、大層派手にめくれてしまっております」
「マダム・ルシアンナ…!」
天は我を見捨て給わず。
エクレイアは、静かに天を仰いだ。
余談だが、いたたまれなさに半泣きになりながら、その場に遭遇した『走れる』メイドが事の次第をルシアンナに告げに走ったそうだ。




