御褒美
由里那の読書感想文が、市の優秀賞に選ばれた。
「氷川さ、お前やっぱり最優秀賞狙ってんじゃねえの?」
担任の先生から、優秀賞に選ばれたことを聞かされた前の席の俊也が、由里那を振り返って言った。
「たまたま選ばれただけよ。まだ県のコンクールがあるし、そこで選ばれたって、全国コンクールではもっといい感想文が出てくるに決まっているもの」
「うわ、もう全国コンクールの話しているし」
由里那は、気になっていたことを聞いた。
「ねえ、あの本を紹介してくれた中西君の友達って誰?他の中学の子?」
「違うよ。この中学に通ってるよ」
「それ、誰?」
「2組の近藤一郎だよ」
「えっ?」
由里那をトップの座から引きずり下ろした張本人。
「中西君、近藤君とそんなに仲よかったの?」
「そりゃ、あいつのおかげで今の俺がいるんだから、仲がいいも悪いもないよ」
「近藤君のおかげ?どういうこと?」
「俺、一郎に誘われて剣道始めたんだ」
「えっ?近藤君て剣道していたの?」
「そう、2人で剣道部に入った。でも、奴は先輩の教え方に反発して半年で辞めちゃったんだけどね」
「近藤君て、スポーツなんて全然したことないと思ってた」
「あいつ、ああ見えて結構アクティブなんだぜ。ただセンスがねえんだよな。あいつ、人から何か教わるのがダメなんだよ。だから、基礎がまるでなってない。何ごとも基礎が大事ってこと分かってない」
「教わるのがダメっていっても、先輩に反発するなんて・・・。あのポヤポヤした感じの近藤君がそんなに硬派だったなんて信じられない」
「あいつ、昔からちょっと変わってた。小学校ン時から、成績はよかったけど、すごいケンカっ早くて、いつも先生に怒鳴られてた。特に天敵はバスケ部の高木」
「バスケ部の高木って、高木友盾君のこと?」
「そう、あいつ、小学校の時から背はでかかったからな。よく、2人で鼻血出し合っていたよ」
その俊也の首に誰かが腕を回し、スリーパーホールドをかける。
「誰が鼻血野郎だって?」
友盾だった。
「誰も鼻血野郎なんて言ってねえよ!ギブ、ギブ!」
俊也は、回された手を叩いてギブアップをアピールする。
友盾が腕をほどく。
「で、なんで俺が鼻血出したって話してたんだ?」
あくまで鼻血にこだわる友盾。
「高木君て、昔、近藤君の天敵だったの?」
由里那が友盾に聞く。
「天敵?ああ、そういやそれに近い時期はあったな」
「今の近藤君からは想像できないわ。そんなやんちゃだったなんて」
「そうだよな。あのまま行けば、あいつ、ぜってーグレてたぜ」
俊也が言う。
「いつからかな。あんなに丸くなったの」
友盾がつぶやく。
「・・・そうだ、あん時からだよ」
突然、俊也が思い出したように言う。
「あん時?」
友盾が聞き返す。
「ほら、6年の時のお前のバカ担任。成績が悪くてバスケの決勝戦に出させねえって騒ぎしたことあったじゃん」
「ああ、あのクソ向井な」
「そう、向井、向井。で、お前、夏休み明けの補習テストで80点以上とらねえと試合に出られないことになったじゃん」
「そうそう、あのクソ向井」
友盾はクソしか言わない。
「テストまで時間もなかったし、決勝戦出場は無理ってみんなあきらめてたんだよな」
と俊也。
「決勝戦出られなかったの?」
思わず由里那は聞いた。
俊也は首を横に振った。
「天敵の一郎が、高木に勉強を教えたんだ」
「近藤君が?」
「そうだ。そのおかげで俺、バスケの決勝戦出られたんだよ。そうそう思いだしたぜ。あいつ、自分の夏休み返上で俺んちにまで来てくれたんだ」
友盾は、記憶の中から、その熱い夏を思い出していた。
「あの頃からじゃねえかなあ。寡黙な硬派野郎だった一郎が、柔らかく丸くなったのは」
俊也が言う。
「ふうん」
由里那の一郎に対する興味は倍増した。
2組の近藤一郎。
遠くで見ることはあっても、正直話をした記憶がなかった。
色白で、どちらかと言えばホモっぽい一郎は由里那のタイプではなかった。しかも五分刈り。そうした外見も、由里那を一郎から遠ざけていた。
でも、どうしても、話を聞きたかった。
あの本のことを。
休み時間になると、由里那が動かなくても、誰かがいつも由里那を取り巻いていた。ただ座っているだけで由里那が知りたいことは周りの人間が教えてくれた。だが、今度はそういう訳にはいかない。
由里那は、トイレ以外の目的で初めて、休み時間に席を立った。
2組の教室をのぞくと、一郎は席にいなかった。
「近藤君は?」
由里那は近くにいた男子に聞いた。
「近藤?ああ、あいつ休み時間になるとあちこち歩き回っているからな。でも、そろそろ帰ってくるんじゃねえの?次、技術室だから移動に時間かかるし」
休み時間にいないなら、放課後の方がいいかな。
でも、バスケの練習見に行かなくちゃならないし、どうしようかな。
そう思って、振り向くと、向こうから一郎が歩いてきた。
一郎は由里那が自分の方を見ているのに気付いて、にっこり笑った。
「氷川さん、感想文優秀賞おめでとう」
いきなり言われて、由里那は動揺した。
「あ、ありがとう」
由里那は、そう言うのがやっとだった。
一郎は、由里那の横を通りぬけようとした時、一瞬立ち止まった。
「・・・あの男は現れた?」
「えっ」
「あの本はただの本じゃない。そのおかげで俺は変われたんだ」
一郎は、由里那がこうなることを初めから知っていたような口ぶりだ。由里那は聞いた。
「・・・・近藤君は、そのことを分かっていてあの本をあたしに紹介してくれたの?」
「俺じゃない」
「え?」
「ナッカンから氷川さんがその本のこと聞きたがってるって聞いて、俺驚いたんだ」
「ナッカン?」
「中西のあだ名だよ」
「ああ、中西だからナッカンなのね。・・・中西君から話を聞いて何を驚いたの?」
「ナッカンからその話聞く前から俺頼まれてたんだ。あの本を氷川さんに紹介してもらえないかって」
「頼まれた?誰から?」
その時、授業を告げるチャイムが鳴った。
「やべえ!技術遅刻だ!」
教室に駆けこもうとした一郎を、由里那は呼び止めた。
「待って!あなたに頼んだ人って誰?」
「放課後、屋上に来いよ。そしたら誰か教えてやるよ」
一郎はそう言って、教室に駆けこんだ。
「ごめん。今日、バスケ休む」
由里那は、麻子に告げた。
麻子は、由里那の表情を見ていた。
「けりがつきそうだね」
「えっ?」
「いつも思ってたんだ、何か引っかかっているって。由里那が、バスケの練習見に来てくれるようになったあとも、由里那の心に何かが引っかかってる。いつもそんな表情してた」
由里那自身が気づいてない自分の表情に、麻子は気付いていた。
麻子は、由里那の背中を叩いた。
「行って来い!けりつけてきな!」
放課後の屋上。
由里那が屋上に行くと、一郎が先に来ていた。
でも、そこには一郎一人だけ。
「・・・・近藤君一人だけ?」
一郎は、ぼりぼりと頭を掻いた。
「うん、頼んだんだけどさ。なんか、まだ、勇気が出ないっていうか・・・。なんかさ・・・」
いつも流れるような会話で人を引き付ける一郎らしからぬ、歯切れの悪さ。
「もう大丈夫だと思ったんだ。あれから、俺ずいぶん人の気持ち分かるようになったつもりだった。でも、ちょっと自信過剰になってたみたいだな」
「あれから?」
「あの本を読んでからさ」
「あの本・・・あの本、近藤君はいつ読んだの?」
「小6の夏休み。おかげで小学校の部の最優秀賞をとることができたんだ」
夏休み・・・。
天敵友盾のために、自分の夏休み返上してテスト勉強を教えた小6の夏。
「あの本に出会った時・・・・俺、最悪だったんだ。強気でいる時は、気分よかった。自分だけ満足できれば人生やっていけるって、何も知らないバカ小学生が知ったかぶりしてたんだ。でも、自分が満足できるものがなくなったら?そんなこと考えたこともなかったけど、それは急に来た。今まで楽しかったことが急にバカバカしくなってくる。とたんに、俺を取り巻くすべての物が楽しくなくなっちまった。青い空、白く立ちあがる入道雲、木々の緑、見ているはずなのに、俺、何の色も感じられなくなっちまった。もうだめだと思った。小学校と家の往復なんか実に狭い世界さ。でもその狭い世界が世界のすべてだと思ってた。そこでやることやり尽くしたら人生も終わり。俺、やり尽くしたんだと思った。そんなことあるわけねえのに」
由里那は、一郎が最悪の選択をしようとしていたことを感じ取っていた。
その先が絶対にあり得ない究極の選択肢。
死を。
「・・・でも、俺、その先を見つけられたんだ。あの本が教えてくれた。自分がすべてだと思っていた狭い世界の中に、無限の広さの世界が存在していることに気付いたんだ」
「無限の広さの世界?」
「氷川さんは、俺のことなんか何も知らないだろ?」
「えっ?」
「いいよ、いつも俺なんかに興味ないんだろうなって思ってたから。でも、どう?俺、こんなこと話す奴だと思ってた?」
「正直・・・こんなに話す人だと思ってなかった」
「俺って何者だと思う?」
由里那は、どう答えていいか分からず、苦笑いしながら首をかしげた。
「人は、ただ立っているだけなら、その辺の木と同じさ。でも、人間は木じゃない。話すことができる。聞くことができる。見ることができる。好き嫌いはあるだろう。でも、それを取り払って、隣にいる人に話しかけてみろよ。そのまた隣の人の話を聞いてみろよ。その隣の隣の人の表情を見てみろよ。人と人がそうやってつながり始めたらどうなる?自分からシャッターを下ろさなければ、その世界は無限だ。俺、そのことに気付いたんだ」
一郎の言葉は、黒いコートの男の言葉を思い出させた。
その豊かな草原は、一人だけの物じゃない。
全身を覆っている鎧を捨てろ。
風の涼しさを感じるんだ。
太陽の暖かさを感じるんだ。
人肌のぬくもりを感じるんだ。
そうすれば、ずっと忘れていたものを思い出す。
・・・・忘れていたものって何?
「・・・自分のことばかり話しすぎたな。俺のことなんかどうでもいいんだ。本当に話をしてほしかった人が来ないんじゃしようがない」
そうだ。
あの本をあたしに紹介してくれるよう頼んだ人って誰?
「今日ここに来るはずだった人って誰なの?」
「ここに来られないなら、準備がまだできていないんだ。俺から言う訳にはいかない。ごめんな。あんな自信満々に教えてやる風なことをいってたのに」
そのとき、由里那の背後の屋上のドアが開いた。
由里那は振り向いた。
そこには、円来佳澄が立っていた。
「佳澄・・・・」
佳澄は、申し訳なさそうに下を向いていて、由里那の方を見ていなかった。
・・・・佳澄だったの?
あの本をあたしに紹介するように近藤君に頼んだ人は・・・・。
由里那は、佳澄の方に近づこうとした。
踏みだそうとする足が重い。
まだ由里那の心を覆っている影が語りかける。
佳澄からどんどん離れていったくせに、今さらなんで佳澄のところに戻ろうとするの?
はがれかけていた鎧が、再び堅固に固まり始める。
由里那は、常にトップでいる優越感を覚えるにつれ、佳澄の存在を自分から消し去ろうとした。
でも、佳澄は、由里那がどんなに自分から離れていこうと、彼女にずっと寄り添っていたのだ。
だから、読書感想文の本を探していることも分かった。
孤独に一人佇んでいる由里那を放っておけなかった。
そして、由里那の最も触れてほしくない本心を言い当てた。
「ずっと続けてきたのにやめるなんてもったいないんだもん。その足のけがが原因なんでしょ?足のけがなんていつか治るよ。また、コートの中を走り回れるようになるよ」
バスケをやめようとしたのは、足のけがが原因じゃない。
キャプテンとして全国大会に出場するという自分勝手な思いが実現できないから。
それが、本当の理由。
キャプテンになれないなら、他のチームメイトのことなんてどうでもいい。
それが、由里那の本心だった。
佳澄にはそのことが分かっていた。
分かっていて、あえて言ったのだ。
そんな自分勝手な由里那を見たくない。
佳澄の言葉には、その想いが詰まっていた。
わがままで、汚い自分の心を見透かされたような気がして、由里那は佳澄を拒絶した。
あの本がそのことを気付かせてくれるずっと前から、佳澄は由里那からその鎧を剥がそうと必死になっていたのだ。
分かっていたのに、それを拒絶した。
もう二度とそんな愚かなことはしない。
二重、三重に覆っていた鎧の重さをはねのけ、由里那は佳澄の方に足を踏み出した。一歩一歩踏み出すたびに、鎧は一枚、また一枚とはがれおちた。
由里那は、佳澄の前まで歩み寄った。
手を握ろうとしたが、どうしてもその手を握れない。
手を握れないなら、言葉を使うんだ。
「佳澄、あたし、あなたのおかげで感想文、市の優勝賞をもらったよ」
言葉はたどたどしかった。
だが、その言葉に込められた思いを佳澄は受け取った。
佳澄は、顔を上げた。
由里那は、笑顔になった。
「佳澄のおかげだよ。ありがとう」
由里那の表情は、佳澄の御褒美を待っていた。
佳澄は、笑顔になった。
そして、何も言わず、昔のように由里那をぎゅっと抱きしめた。
「・・・・ごめんね。今まで忘れていて」
佳澄のその一言を聞いた瞬間、由里那の中に残っていた最後の鎧の断片がはがれおちた。
忘れていたのはあたしだ。
やっと思い出した。
ようやく、忘れていたものを取り戻すことができた。
一郎の言うとおりだ。
自分の周りには、目には見えない無限の世界が広がっている。
自分が、その世界への扉を勝手に閉ざしていた。
その扉を開けて初めて気づいた。
嫌われていると思っていた人たちが、みんな由里那のことを思ってくれていたということを。
冷たいと思っていた顧問の先生、無視されていると思っていた姫宮やバスケのチームメイト、成績トップの座を奪った一郎、そして自分の記憶から消し去ろうとしていた佳澄。
もう、決してこの扉を閉ざさない。
これからはみんなに開放するんだ。
疲れた時、傷ついた時、孤独を感じた時、訪れる場所。
あたしの中の、広くて豊かな草原を。
由里那の心を覆う影は、その姿を消した。
その夏は、妙に蒸し暑かった。
日中は青空が広がり、強い日差しが肌を焼いたが、夕方から夜にかけて、スコールのような土砂降りが続き、からっとした暑さとは言い難かった。
14歳の夏。
誰にも来る夏休み。
そして、読書感想文。
たかが、夏休みの宿題の一つかもしれない。
だが、読書感想文を書くためのその本との出会いが、かけがえのないものになるかもしれないのだ。
そのチャンスを逃すな。
もしかすると、君が読んでるその本。
後ろを振り向くと、黒いコートの男が立っているかもしれない。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
この物語は、すべての中学生に向けた話しです。
夏休み中に投稿したかったんですけど、間に合いませんでした。
物語自体は、読書感想文の推薦図書にもなれない出来ですが、久しぶりに中学時代に戻った気分で、「青春と言えばあれ」というものを、あれもこれもみんな詰め込んじゃいました。
そして、中学生相手にやっちゃだめだと思いつつ、今回も最後はやっぱり、しつこくねちっこくできて自分的には大満足。
目の肥えた読者には、「うわ、こいつ臭え」と思われるかもしれませんが、自分は、こんな感じですべての青春世代をこれからも応援していきたいと思います。