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47:色とりどりの未来

大きな月が澄んだ空にポッカリと浮かんでいる。私が寝室を訪れるとティアはその黄色く温かい光の中で無表情のままお茶を飲んでいた。

「ティア…。」

返事をしない彼女だが、ほんのわずかに体が揺れた。その反応に救われる。こういう場面で足音を立てないように移動するのはなぜだろうか。ほんのわずかな物音でさえも彼女の怒りの導火線に火をつけてしまうとでも言う様に。小さい頃母に叱られて逃げ出して、その後許しを請いに戻る時も同じようにしていた。成長していないということかもしれないが、あえて、ティアの前では子どもに戻れるのだ…と解説したいと思う。ティアの側に跪いて手を取る。あまり温かくない部屋の中で、それでも彼女の手はほんのりと暖かかった。

「ティア、すまない。機嫌を治して?」

私の言葉にチラリと視線をよこす。彼女の瞳には怒りも、憤りも、嫌悪も浮いていない。

「私はティファニー様の様にお淑やかでは無いわ。」

正直、ティアがこれほどまでに兄嫁を意識しているとは思っていなかった。そこには小さな嫉妬が見え隠れしていて、緩みそうになる頬を無理やり引き締める。

「そうだね、彼女は木登りはしないし、馬に乗るのも上手くは無かった。」

「私はティファニー様の様に守られてばかりでは嫌なの。」

この言葉に私の頬は結局緩んでしまう。そうだ、私の選んだ女性は強く逞しいのだと思い出す。私の隣に並び立ち、共にあることを苦としない。それどころか、私を支えてくれる事さえあるのだ。

「そうだね。彼女は家出なんて出来ないし…沢山の侍女に傅かれるのに慣れていた。」

「私はティファニー様の様に弱々しいばかりの女では無いのよ。」

ティアが感情を込めないように紡ぐ言葉が心に響いてくる。確かに、弱々しいというのはティアには当てはまらない言葉だった。それさえ彼女に教えてもらわなくては忘れてしまうのだから、私はかなり頭が悪いのだろう。

「そうだね。君は森の中で見事に生き抜いたし、今回も侯爵夫人として采配を振るってくれたらしいね。」

「ねぇ、……わたしではダメなの?」

ティアの手がキュっと私の手を握り返す。こちらを見つめる瞳は不安に揺れていた。彼女を幸せにしたいと願っていたはずなのに、こんな顔をさせてしまった。この罪は重い。それでも、彼女の言葉は私を求めていて、私にやり直すチャンスを与えてくれるつもりだと分かった。

「いや、君でなければダメなんだ。すまない。」

愛しさがこみ上げてきて何から伝えればいいのか…上手く言葉にならない。それでもティアはほっとしたように私の肩にもたれかかってくる。その柔らかな重みがこれ以上無く心地良い。

「あなたのティアになりたいのよ。」

ティアの言葉に私は喜びを抑えられない。手に入れて、そばに置いて、それでも尚掴み所の無い不安をもてあましていた。その臆病な私に、人を愛する力をくれる。

「私のティアは君だけだよ。私が愛しているのは君だけだ。」

「でも、ティファニー様を重ねて見ていたわ。」

口を尖らす仕草が可愛い。重ねて見ていた訳では無い…と言おうとして、それでは不十分だと考える。私が何を考えていようと、ティアが「重ねて見られた」と思っているという事はティアの中では真実だ。

「それは…っ、面目ない。言い訳をしても?」

「えぇ。」

ティアの気持ちに寄り添いながら、自分の言葉を伝える努力をしようと話し始める。私の要領を得ない長い話をティアはじっと聞いてくれた。否定の言葉は一切なく、時々質問を挟みながら。私の話を聞き終えて、ティアは

「あなたが知っているよりも、強い女も居るのよ。」

といった。私はそれに大きく頷く。彼女以上に強い女性を私は知らない。きっと私など居なくてもどんな場所に行っても、自分らしく生きていけるティア。それでも、彼女は私の妻で、守るべき女性ひとなのだという想いも消えない。守ると一言で言っても方法は幾通りもある。私はただただ単純に私の知っている守り方を彼女に押し付けてしまっていたのだと思う。守る相手を背後に隠し続けて、何を守っているのかを忘れかけていたのかもしれない。これから子どもが生まれて、守るべきものが増えるのだ。その前に自分の過ちに気づく事が出来た。それは私にとっては救いだった。つらつらと物思いにふけっていると、ふとティアが変な顔をしてお腹に手を当てた。

「どうした!どこかおかしいのか?」

慌てる私にティアは呆れたように苦笑しながら首を振った。過保護だと言いたいのだとすぐに分かった。反省しても、すぐに性格が変わるわけではないらしい。私はどうしたもんかとティアを見つめる。

「違うわ。今、蹴ったのよ。」

「へ?」

ティアは驚く私の手を取って、自分のお腹に触れさせる。

「赤ちゃんが、お腹を蹴ったように感じたの。喧嘩するなって事かしらね。」

膨らんだお腹をゆっくりなぞりながら静かにそういう彼女はもう既に母親の顔をしているように見えた。どこかおかしい訳では無いと分かって、私も気を落ち着けてティアのお腹の中を撫でる。中を探るような気持ちで手のひらの感触に集中した。

「わからない?」

「ん…?あ、今?」

「そうそう。」

ようやく探り当てたわが子の胎動。言われなければ気づけないほどのわずかなその自己主張に、赤子の成長を知る。小さな小さなものだと思っていた新しい命は、もう既にこの手に触れるまでに成ったらしい。

「元気なんだな。」

「そうよ、みんな元気よ。」

私の呟きにティアはそう微笑を添えて返し、私の髪をそっと梳いた。ひどく優しいその感触を目を閉じて味わった。守るものが増える…その重圧はきっと私の糧となるだろう。この先の色彩豊かな未来を思い、自然と口元が綻んだ。



******


「とうさま。剣のおけいこしましょ。」

「あぁ、もうそんな時間か。少し待ってくれ。」

蜂蜜色の柔らかそうな髪を揺らしてセシルバートが頷いたのを目の端で見ながら、私は机の上の書類をバサバサと纏め始める。ダンテスはセシルを部屋に招き入れて、ソファに座らせた。そろそろ5歳になる彼はソファの端に腰をかけて足をプラプラと揺らしている。早く庭に出たくてうずうずしているのが分かるが、私を急かしたり騒ぐ事はない。我が息子ながら良くできた子だと思う。

「よし。待たせて悪かった。行こうか。」

そう声をかけながら立ち上がると、緑色の瞳が大きく輝いた。ソファから飛び降りるようにして立つと、執務室の外へ駆け出していく。

「廊下は走るなよ。」

その背中に苦笑まじりの声をかけると慌てて速度を落とす。それでも気持ちは急いていて、競歩で廊下を抜けていった。階段を降り、庭に出ると使用人の一人が稽古用の木の剣を用意して待っていてくれた。すぐに剣を持とうとするセシルを制して、準備運動からはじめる。少し不服そうな顔で、それでも素直に言われたとおりに体操をし身体を伸ばすセシルに幼い自分の影が重なる。最も、自分と比べると素直だし落ち着きが有る様に思う。兄や父は私にかなり手を焼いていただろうなと子どもを育ててみてはじめて気づいた。あまりの悪ガキぶりに思い出すと恥ずかしさを感じるが、それでもこんな風に穏やかに2人の事を思い出せる事がセシルの与えてくれる幸せの一つだと思う。準備運動の後、並んで素振りをして、その後向かい合って打ち合いをする。私の構える剣にセシルが型通りの振り方で剣を当てていく。その衝撃はとても軽いもので私は片手でも受けることが出来るが、それでも日々僅かずつ重く成っていくそれに彼の成長を感じる。涼しい顔をしている私の目の前で、セシルは滲む汗を拭う事もせず一心不乱に木の剣を振るう。時々、型が乱れたり打ちそこないが有るとそれを指摘する。その反対に正しい型で力の乗った振りが出来た時は軽く褒める。型通りの打ち合いをした後、1度だけ模擬戦をして稽古は終わる。模擬戦と言っても、怪我をさせないように私は一切攻撃をしない。地面に円を描きその中に立った私に、セシルは四半刻攻撃し続ける。私を円の外に出すか、芯を捕らえた一撃を当てられればセシルの勝ちとなる。ちなみに、今のところまだ負けは無い。以前一度、勝つ感触を味あわせる為ワザと負けようとした時にセシルはかなり怒った。それはもう半端の無い臍の曲げ方で機嫌を治すのに1週間程かかった。その時、ワザと負けるようなことは今後絶対しないと約束させられた。そのまっすぐな勝気さを私は頼もしく思っている。きっと彼は私よりも強くなるだろうと思う。それでも簡単に負けてやる訳にはいかない。今日も私はさして動く事も無くもちろん剣をくらう事も無く、模擬戦を終えた。互いに剣を下ろして、今日の良かったところと悪かったところを一言ずつ伝えると、セシルは肩で息をしながらもキチンと礼をして稽古を終える。この辺りは私のというよりもティアの教育の賜物だ。

「おつかれさまでした。」

模擬戦の後半から稽古を見学していたティア達が終わったのを見計らってゆっくり近づいてくる。濡れたタオルを用意してくれていて、それで簡単に埃を落とす。セシルは全身についた土埃を払われ、手だけでなく顔も背中も拭いている。ティアと共に庭に出てきたクロエッツアは傍らで汗をぬぐう兄をじっと見ている。セシルの身支度が整うと2人で追いかけっこをして遊び始めた。

「体調はどうだ?」

「えぇ、問題ないわ。」

ティアは鷹揚にうなずくと大きなおなかをさすって笑った。妊娠も3度目になると彼女自身もまわりも慣れたもので、必要以上に世話を焼くこともない。

「お茶にしましょう。あちらに用意してあるの。」

「あぁ、ありがとう。」

私は彼女の手をとりゆっくりと歩き始める。子どもたちの歓声を聞きながらティアと身を寄せ合うこの瞬間、私は何とも言えない満足感に包まれる。となりでティアがフフフと笑った。

「どうした?」

「『めでたし、めでたし。』って言いたくなったのよ。」

「…わかる気がするよ。」

「まだまだ、これからなのにね。」

「あぁ。これからだな。」

私はうなずいて、妻の額に唇を寄せた。

すいません。ながながとお待たせしましたが、このお話でアデル編も完結とさせていただきます。他視点を書くことはとても難しく…稚拙な文章ですいませんでした。にも関わらずたくさんの方に読んでいただき、また評価等々頂いておりました。ありがとうございました。

今後は別作品を書きつつ、ぼちぼち番外編などもアップしていきたいと思っています。今後とも律子の作品をどうぞよろしくお願いいたします。

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