第27話「失われた光」(第二部スタート)
激しい地吹雪が、仮設テントの薄いナイロンを容赦なく叩きつけていた。
暖房器具の微かな唸りをかき消すほどの暴風の中、通信インカムを握りしめた観測スタッフが、怒声に近い悲鳴を回線へ投げつける。
「おいっ! どうだ、そっちは……!」
返ってきたのは、ノイズ混じりの絶望的な息づかいだった。
『ダメだ、これ以上は無理だ……! 機材の出力が上がらない、これ以上湖底へ向かえそうもない!』
凍てつく水中探査ドローンのモニターを見つめるスタッフの顔から、完全に血の気が引いていた。
あの日、極寒の凍結湖での最終決戦が凄惨な結末を迎えてからというもの、皇プロダクションは持てるすべての情報網、最新鋭の機材、そして実戦スタッフを総動員し、あの冷たい湖底に沈んでいった星崎怜花の極秘回収活動を続けていた。
だが、その執念の捜索は、一日として前に進むことはなかった。
生死は依然として不明。だが、神の領域の暴力をその胎内に宿した、組織最高峰の上位人造人間【ハイニューマン】である彼女が、この程度の大自然の質量や冷気で事切れるとは到底思えなかった。
必ず、あの暗闇の底で生きている――誰もがそう信じて疑わなかった。
だが、救出活動の前に立ち塞がっていたのは、ただの極限環境という言葉では説明のつかない、あまりにも冷酷な現実の壁だった。
なぜか、永久凍土の湖底全体には、生身の人間の解析や接近を完全に拒絶する、極めて強固で未知のエネルギー結界が隙間なく張り巡らされていたのだ。
ダイバーの肉体はおろか、皇プロの誇る探査ソナーすらも、その境界線に触れた瞬間にハッキングされ、次々と機能不全へと追い込まれていく。
結界に守られ、同時に冷たく隔離された彼女の回収は、文字通り手詰まりの闇の中にあった。
固く閉ざされた遮光カーテンの隙間から、わずかな外光が差し込むだけの薄暗い部屋。
そこは、第一部で裕也が怜花と肩を並べて過ごし、彼女の息づかいと生活の痕跡が1ミリの隙間もなく染み付いている半同棲の拠点そのものだった。
テーブルの上には、怜花が愛用していた少し塗装の剥げたマグカップ。壁際のローチェアには、彼女が脱ぎ捨てたままの部屋着のパーカーが、今も形を崩さずに置かれている。
本棚の隙間、キッチンの調味料の並び、微かに残る彼女の甘いシャンプーの残り香――その一つひとつが、息をするたびに裕也の胸を重く圧迫していた。
その空間の真ん中、ベッドの端に腰掛けたまま、御堂裕也は微動だにしなかった。
目はどこを見るでもなく濁り、呼びかける声にもまぶた一つ動かさない。最愛の相棒を失った衝撃を受け止めきれず、自らの意識を深い底へと沈め、現実のすべてを拒絶するように膝の上で拳を固まらせていた。
だが――そんな彼を、冷たい虚無の中に置き去りにする気など、彼女たちには微塵もなかった。
神楽桃華、如月るな、空原レン、有瀬ゆめ、立花花梨。
5人は誰から言い出すともなくこの部屋に荷物を持ち込み、事実上の半同棲状態で寝泊まりを続けていた。
「裕也くん、ほら。スープ、もう一回温め直してきたよ」
桃華が湯気の立つボウルをトレイに載せ、床に膝をついて裕也の顔を覗き込む。
毛先にかけてピンクに染まる金髪ロングを揺らし、寝不足の琥珀色の瞳を必死に輝かせながら、震える手でスプーンを裕也の唇へと運ぼうとした。あの日、凍結湖の底へ沈んでいく怜花を見送り、精神が崩壊した裕也の背中に飛び込んで命懸けで抱きしめたのは自分だった。絶対にこの手を離さないという、正妻としての覚悟がその瞳に宿っている。
「一口でいいから。ね? 身体が冷え切っちゃってる……お願いだから、何かお腹に入れて。裕也くん……」
その桃華の少し後ろで、キッチンから湯気の立つタオルを運んできた立花花梨が、静かにその様子を見守っていた。
ふわりと波打つブラウンのウェーブショートの隙間から、澄んだ紫色の瞳が裕也の衰弱ぶりを冷静に、けれど誰よりも温かく見据えている。
タイクーンの元へ単身乗り込み、生身の肉体の骨格と筋肉を限界まで酷使する地獄の特訓を完遂してきた花梨の全身には、すでに前衛バランサーとしての研ぎ澄まされた気配が宿っていた。
アングラサスを立ち上げ、誰一人として脱落させなかった不屈の母性。彼女は感情に流されて取り乱すことなく、副官としての冷静さで桃華の肩にそっと手を置く。
「桃華、無理に流し込んじゃダメだよ。今は気道が狭くなってる。……まずは首筋と手を温めて、血流を戻してあげよう」
花梨は手際よく裕也の強張った首元に温かいタオルを当て、その硬直をゆっくりと解きほぐしていく。
その傍ら、部屋の片隅に置かれた解析端末の画面を見つめていた有瀬ゆめが、奥歯をギリと噛み締めた。
ブラウンのおさげ髪ツインテールを揺らし、ダメージジーンズの膝を折って画面を睨み据えていたが、弾かれ続けるパルスの波形に悔しさを爆発させる。
「クソッ……解析班からのパルス、まだ結界を抜けねぇのかよ……!」
ゆめは乱暴に立ち上がると、ベッドの端で固まる裕也の前へ詰め寄り、その膝にすがるように両手を置いた。
「裕也……あたしも、怖いよ。怜花がいないのも、裕也が返事してくれないのも……すっごく怖い。でも、あたしらも、絶対に諦めないから……裕也を一人になんて、絶対にしないからな……っ」
零れ落ちる涙を拭おうともせず、ゆめは裕也の虚ろな瞳を正面から見つめ続ける。
地下の底から泥を啜り、一人の脱退者も出さずに這い上がってきた勝気なリーダー。そして、裕也を誰よりもピュアに「運命の王子様」と慕う一人の少女としての、魂からの叫びだった。
そんな相棒の姿を、花梨はわずかに目元を緩めて見守る。
すると、そのゆめの背後から、空原レンが音もなく歩み寄った。
オーバーサイズのパーカーに身を包んだ、淡いミントグリーンの髪の少女。潤んだ大きな琥珀色の瞳は、今にも壊れてしまいそうな儚さを湛えながらも、その奥底には熱病のような暗い情念が揺らめいている。
タイクーンの元で己の体温と生命力を限界まで削り、凍結湖の戦場で裕也の命を自らの手で繋ぎ止めた【LIFE】の感覚。あのとき裕也の心臓を動かしたのは、間違いなく自分の生命だったのだという、甘く重い執着がレンの胸を焦がしていた。
(あたしの命を分けたんだよ……。裕也先輩は、あたしが生かしたんだから……)
レンは華奢な膝を床につき、ゆめの隣から裕也の冷え切った指先をそっとすくい上げる。
弱り切った彼の身体に自らの体温を染み込ませるように、両手で壊れ物を扱う手つきで包み込んだ。
「裕也先輩……手、こんなに冷たい。あたしの【LIFE】、いくらでも使ってください……。あたしの命を全部あげてでも、先輩をあたためてあげますから……。ずっと、あたしがそばにいますから……っ」
純朴で可憐な少女の祈りの形を借りながらも、二度と自分から離れられないように絡め取ろうとする、底知れぬ情念の籠もった囁き。
そして、ベッドのすぐ枕元へ、如月るなが静かに、けれど迷いのない足取りで歩み寄った。
部屋着のTシャツと短パン姿になったアッシュブラウンの髪を、るなは鬱陶しそうに払った。
紫がかった青の瞳が、ベッドの端で固まり続ける裕也をまっすぐに見据えている。
路地裏で頭を撫でられたときの心臓の跳ね上がりも、スタジオで彼の背中にしがみついて必死に熱を分け合った記憶も、すべてがこの胸に焼き付いていた。凍結湖であの黒崎の脳天を衝撃波で叩き潰し、沈黙させたときでさえ、胸の奥にあったのは裕也を奪わせないという意地だけだった。
いつものあざとい小悪魔の顔など、そこには欠片もない。一人の女としての覚悟を瞳に宿し、るなは迷いのない足取りで裕也の正面へと立った。
「……裕也」
るなはベッドに膝を上げ、裕也の強張った両肩を痛いほどの力で抱き寄せると、自らの額をごつんと彼の額に押し当てた。かつて背中にぶつけた熱量を、今度は正面から魂ごと注ぎ込むように。
「あたしはね、もう子供扱いされる気なんてないって言ったでしょ。……あんたが一人で全部抱え込んで潰れそうだから、こうしてあたしのパワーを直接分けてあげてんの。わかるでしょ……?」
るなの瞳から、堪えきれない涙が一筋、裕也の頬へと零れ落ちる。
「怜花を取り戻しに行くんでしょ。……あたしを置いていく気? あんたの隣に立つのはあたしよ。あたしたちの裕也でしょ……! 戻ってきなさいよ、裕也……っ!!」
桃華の温もり、花梨の手当、ゆめの涙ながらの誓い、レンの執念の祈り、そしてるなが魂ごとぶつけるパワーの共有。
5人がそれぞれのやり方で注ぎ込む剥き出しの体温が、凍りついていた裕也の部屋を満たしていく。
「…………ぁ…………」
その時、ずっと硬直していた裕也の喉の奥から、乾いた息がかすかに漏れた。
固く握られていた指の力がふっと抜け、宙を見つめていた瞳の焦点が、わずかに揺れて目の前のるなの瞳、そして取り囲む彼女たちの姿を捉えようとする。
閉ざされていた心の防壁の隙間から、彼が確かにこちら側の世界へ手を伸ばしかけていた。
だが、彼らがそうやって必死にもがいているまさにその裏で、救出戦線には冷酷な暗雲が立ち込めようとしていた。
いっぽう、その頃。
闇野プロダクションのエリアマネージャー室では、当時の役職【エリアマネージャー】であり、コードネーム『シンセンス』の称号を持つ四天王・氷室聖人が、デスクに山積みにされた報告書を冷徹に処理していた。
突如、卓上の内線インターホンから、受付の部下のパニックを起こした悲鳴がスピーカーを激しく震わせる。
『氷室マネージャー! ほ、本社から……本社からお客様がお越しになりました!』
「なにっ?! 早くお通ししろ」
四天王としての威厳を崩さず、氷室が冷たく返す。
『しっ、しかし……!』
「どっ、どうした?」
『その、お客様は……わたしたちの目の前から、ふっと消えてしまわれて……!』
「なにっ? まさか……!?」
『御察しが早くて助かるよ、エリアマネージャー』
「なっ!?」
その時、突然、氷室のすぐ背後の空間が陽炎のように歪み、一人の女性らしき影が音もなく実体化して現れた。気配は完全にゼロ。暗殺者シェイドとしての無情の殺意の美学が、部屋の空気を一瞬で絶対零度へと凍りつかせる。
と、そのとき、異変を鋭敏に感知したマネージャー室の重厚な扉が、勢いよく外側から蹴破られた。
「シンセンス、ご無事ですか!?」
「何者だ!」
「みんな、シンセンスをお守りするんだ!」
一斉になだれ込んできたのは、氷室が直属の側近として従える三人の少女たち――サーレス、スノア、シャーリーであった。彼女たちは神速のフットワークで氷室の前に立ち塞がり、背後の影を鋭く睨みつけながら、あっという間にその声の主とシンセンスの間に入って鉄壁の防陣を敷いた。
「ひさしぶりだな、シンセンス」
正面から不敵な笑みを浮かべる女性らしき影はやがて完全に実体化し、シンセンスと、彼を護るように武器を構える三人の女性たちの前に、Royal Fangsの絶対的な風格で堂々と姿を現した。
「やはり貴女でしたか……、シェイド」
「フフフ」
「ひさしぶりというのは……その姿で、ということでしょうか?」
「どういうことだ?」
不審げに眉をひそめる側近たちを片手で制しながら、氷室は苦々しくサングラスの奥の目を細めた。
「いえね、先日のチェバロンのパーティーで……(九条姫香様に完璧に変装した貴女に)お見掛けした際、確かに目が合ったような気がしましたので」
シェイドは表情を一切変えず、冷酷なサイレントウィスパーでかわす。
「さあ、どういうことかわからんなぁ?」
(くっ……我々下の者には、話す必要すら持たないということか……!)
四天王でありながらも、最高位幹部Royal Fangsの底知れぬ壁に、氷室は内側からキリキリと痛む焦燥を覚える。
「まあ、そんなことよりもだ……」
そういうとシェイドは、ゆっくりと、先ほどシンセンスの盾となって飛び出してきた三人の女性のほうへ目をやった。
「お前たち、ひさしぶりだな」
さっきまで四天王の盾として殺気を張り詰めていたはずの三人の女性の顔色が、その声を聴いた瞬間、まるで光を浴びたようにぱあっと明るくなる。
「はいっ! おひさしぶりです!」
「教えはいつも守っております!」
「何といっても……わたしたちは、貴女の弟子ですから!」
シェイドの口元が、ほんのわずかに満足げに綻ぶ。
「うむ、わたしもおまえたちが元気そうでうれしいぞ。……サーレス、スノア、シャーリー」
「・・・・・・・・。」
氷室聖人は、その光景を前に、完全に言葉を失って凝固した。
自らの手足であり、最も信頼を置いていたはずの直属の側近3人衆。そして、突然目の前に現れた本社最高位幹部のシェイド。この両者が、自分をハブにしたところで最初からこれ以上ないほど強固な師弟関係で繋がっていたという残酷な現実。
(なぜ本社からこいつが……いや、それより、俺の手足だと思い込んでいた奴らが、最初からこいつの弟子だったというのか……!?)
これまで疑いもしなかった自らの足元が、音を立てて崩れ去っていく。
無邪気に笑い合う三人の横顔を前に、氷室はサングラスの奥で奥歯をギリと噛み締めることしかできなかった。
(第27話「失われた光」おわり / 第28話へ続く)
メインヒロイン?!のひとり星崎怜花が歌う、らいだ~くの後期OP主題歌です
『閃光オーバー・ドライブ』
架空アニメ 「らいだ~く」 後期OP主題歌
歌:星崎 怜花
https://suno.com/s/hXiFaSZRaKEJ8MZn




