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第16話「狂犬たち」

挿絵(By みてみん)


その日は朝から上空に鉛色の暗雲が重く立ち込め、街全体に湿った冷気が淀んでいた。微かな風すらも途絶え、降り始めを待つ雨の匂いがアスファルトの隙間から燻り上がっている。


ギギィ……ッ。


油の切れたヒンジが軋む不快な金属音とともに、分厚い防音鉄扉が乱暴に押し開かれた。気密性の高い作戦室の淀んだ空気が、外から流れ込んだ冷気にかき乱される。


部屋の奥、無駄に豪奢な革張りのデスクにふんぞり返り、気怠げに煙草を燻らせていた黒崎烈治チェバロンの視線の先へ、三つの禍々しい影が音もなく足を踏み入れてきた。


先頭を歩くのは、指先で無造作にバタフライナイフを弄行かせ、銀の刃をカチカチと鳴らす狼谷牙呀ハウンド。その無精髭に覆われた口元には、獲物の喉笛を値踏みするような獰猛な飢えが張り付いている。

そのすぐ背後には、長身の刀身を持つ無骨なブレードを素肌の肩に担ぎ、獰悪な殺気を剥き出しにして舌なめずりをする大柄な男、鬼塚刃スラッシャー

そして最後尾、室内の人工光を吸い込むように輪郭を曖昧にし、音もなく壁際の死角へと滑り込む影山瞬ファントム


「フッ……ひさしぶりですぜ」


狼谷が奥歯を鳴らし、喉の奥で冷えた嗤いを転がした。

三人の放つ、血と錆の匂いが混ざり合った異様な面構えをひと目見るなり、黒崎は頭を抱え、高級木材の作戦机に派手に突っ伏した。両手で頭髪を掻きむしり、床を革靴の踵で力任せにドンドンと蹴りつけながら、みっともなく喚き散らす。


「おいおいおい……マジかよ! 舞様が『とっておきの手駒を回してあげる』とおっしゃるから、どんな上玉が来るかと期待して待ってりゃあ……! なんだって俺のところに来るのは、どいつもこいつも小汚い『男』、しかも『犬』ばかりなんだよぉぉぉっ!! しかもこいつら鎌瀬以上のいわく付きの連中じゃねえか! 姫香様のところにはあんなに可愛い女の子たちがズラリと集まってるっていうのに、不公平だろ!! 神も仏もねえのかよッ!!」


泣き叫ぶように四天王の一角が醜態を晒す。その喚き声を、部屋の隅のパーテーションの陰で淡々と情報端末を操作していた七瀬もえ(カメオ)が、感情の籠もらない硝子玉のような瞳で見下ろした。キーボードを叩く指先を微塵も乱すことなく、平坦な声が落ちる。


「そりゃあ……『スタリオン(種馬)』の異名を持つアンタの近くに可愛い女の子を置いたら、みんな妊娠させられちゃうからに決まっているじゃない。安全対策よ」


「なんだと! 俺のコードネームは『スタリオン』じゃなくて『チェバロン』だ!!」


ガタッと背もたれを蹴立てて立ち上がり、唾を飛ばして怒鳴りつける黒崎。だが、もえは視線すら合わせず、小馬鹿にしたような抑揚のない声で返した。


「あれ〜、そうだったっけ〜?」


「貴様……ッ!」


額に太い青筋を浮かべ、肩を上下させて荒い息を吐く黒崎。

その不毛極まりない茶番劇を、狼谷ハウンドはつまらなそうに鼻で笑い飛ばした。手元のナイフを指先で一回転させ、シャキッと鋭い音を立てて逆手に構え直す。その冷え切った眼光は、黒崎の脂肪の乗った喉元を正確に捉えていた。


「挨拶は終わりか? スタリオンの旦那。……俺たちを、あのあっさりスクラップになった雑種モングレルと同じ枠組みで扱うなよ」


「おい、貴様、誰がスタリオンだ!」


黒崎が血相を変えて吠える。

その瞬間、狼谷の脳裏を掠めたのは、ほんの数時間前、地下の冷え切った空気の中で交わされた記憶だった。


――冷徹な静寂が支配する、本部最深部の執務室。


姫香の命を受け、地下の不遇な懲罰施設――事実上の左遷先である檻から引きずり出された狼谷たちの前に、神楽舞ミラージュが凛と立っていた。彼女は手元の端末から一切の視線を外すことなく、氷点下の声音で言い放った。


『集まったようね。勤務態度が最悪で地下の底に放り込まれていた掃き溜めの皆さん』

『用件だけ手短に言えや、お嬢様。俺たちをわざわざ地下の檻から引っ張り出したんだ。くだらねぇ雑用なんぞ持ち出したら承知しねぇぞ』

『安心しなさい。あなたたちの大好きな「殺し合い」の場よ』


舞の薄い唇に、酷薄な冷笑が浮かぶ。彼女が指先を滑らせると、黒崎の作戦室を示す電子ホログラムが青白く灯った。


『四天王の黒崎様が、前線で使っていた雑種犬モングレルをあっさり処分されてね。手駒の補充が必要なの。あなたたちには、黒崎様の下について最前線の鉄砲玉として働いてもらうわ』

『……あァ? あの色情狂いのスタリオン(種馬)の下につけだと?』


鬼塚が背負ったブレードをガリガリと床に擦り当てて忌々しそうに刃を鳴らし、影山も漆黒のフードの底から乾いた嘲笑を漏らす。だが、舞は眉ひとつ動かさず、絶対零度の瞳で三人を見据えて告げたのだ。


『条件を教えてあげる。黒崎様の下で確実に成果を上げ、目障りな皇プロのガキどもを噛み殺しなさい。結果を出した者だけ、元の部署――あるいは「十三人衆」への昇格を姫香様が検討してくださるそうよ』


『十三人衆』の席――その甘美で猛毒に満ちた餌に、狂犬たちの乾ききった血が一気に沸騰した。


『けッ……あの使い物にならねぇ雑種モングレルの代わりなんぞ反吐が出るが、元の席に戻れるってんなら話は別だ。獲物は好きに料理させてもらうぜ』

『いい返事ね。せいぜい無様に死なないことよ』


――冷徹な残響から引き戻された狼谷は、ナイフを素早く腿のホルダーへ収めると、黒崎に向かって刺すような視線を投げかけた。


「舞様から条件は聞いている。『ここで成果を出せば、元の部署に戻してやる』とな。で、どこのどいつを噛み殺せばいい?」


「けっ、減らず口を叩きやがって……!」


黒崎は忌々しそうに舌打ちし、机の上の端末を拳で叩きつけた。机上のプロジェクターが光を放ち、裕也と皇プロの所属タレントたちの顔写真や行動履歴が虚空に浮かび上がる。


「ならさっさと仕事しろ。あの目障りなガキどもをミンチにして俺の足元に転がせ。成果を上げなきゃ、元の部署どころか舞様にお願いしてテメェらの首輪を一生締め上げてもらうからな」


「へッ……上等だ」


狼谷は獰猛に口の端を吊り上げると、一度も振り返ることなく、踵を返して夜の街へと消えていった。鬼塚が下品な笑みを残して続き、影山は文字通り影のように気配を消して部屋を出る。


防音鉄扉が重々しい音を立てて閉ざされ、三匹の狂犬が去った後、室内には再び張り詰めた沈黙が戻った。


黒崎はドカッと乱暴に革張りの椅子に身体を沈めると、未だ収まらぬ苛立ちを吐き出すように頭を抱え、机の上を拳で力任せに何度も叩いた。床を蹴り、みっともなく喚き散らす。


「……おい!! どうして俺のところに来る配下は、どいつもこいつも小汚い『男』、しかも『狂犬(ハウンド、スラッシャー、ファントム)』にあの雑種モングレルと犬ばかりなんだよぉぉぉっ!! 姫香様のところにはあんなに可愛い女の子たちが集まってるっていうのに、不公平だろ!!」


「……当たり前じゃない」


もえは端末の光に青白く照らされた横顔のまま、冷徹に言い捨てた。


「アンタのところになんであの連中しか回されないか、本当に分かっていないの? 当社は配属先希望を優先としていて、配属命令も事前に拒否することができるのよ。だから社内の人間はね、男も女も、みーんな事前に拒否権を行使してアンタの下につくのを全力で断っているの。つまりアンタにはロクな噂がない『上司にしたくない人間ナンバー1』なのよ。押し付けられるのは、あいつらみたいに地下で拒否権すら剥奪されていた厄介者くらいなものね」


「なっ……んだと!?」


「だいたい、文句を言うならあいつらの使い道だけ考えたらどう? 碌な噂は聞かないけれど、戦闘能力だけは一級品。ただ……性格に致命的な問題があって、協調性がまるでない。どいつもこいつも、自分の方が偉いと思い込んでいる連中よ」


「……ちッ。しかしだなあ、奴らは一匹狼の集まりだぞ。徒党を組んでの行動ができるかどうかも怪しいし、正確な実力のほうもデータ不足でサッパリわからん!」


「だから『使い捨ての鉄砲玉』なんでしょうに」


もえは平然と鼻を鳴らし、一切の感情を交えずに画面をスクロールさせた。


「成果を出せば儲けもの、勝手に潰し合って死ねばそれまで。舞様も、そんな計算ずくで体よく押し付けたに決まっているじゃない」


額に青筋を立ててハァハァと荒い息を吐く黒崎。その滑稽な姿をもえは冷たく見下ろし、ただ無機質な笑みを浮かべるだけだった。



黄昏時、空を覆う雲が紫色から鈍い鉛色へと沈みかけていた。

人通りの途絶えた、古びた雑居ビルが立ち並ぶ裏通り。街灯が頼りなげに明滅し、湿ったアスファルトに薄暗い影を落としている。


レッスンを終え、皇プロの事務所への帰路についていた桃華、レン、ゆめの背後から、一切の足音を消して一つの影が滑り込んだ。


モングレルのような下品な挑発も、舐め腐った前口上もない。

ただ獲物の急所を捉え、頸動脈を掻き切るためだけに研ぎ澄まされた、無言の純粋な殺気。背筋を凍りつかせるような悪寒が、逃げ場のない路地裏を支配する。


「――ッ!?」


レンが本能的な危機感を察知し、息を呑んで振り返った瞬間には、すでに狼谷のバタフライナイフが眼前にまで迫っていた。

速すぎる。牽制も手加減も遊びもない。最初の一撃で確実に息の根を止めるための、冷酷無比な凶刃。


「きゃあっ!」

「しまっ――」


身構える暇すら与えられず、咄嗟に取った防犯の構えごと刃風に薙ぎ払われる。衣服を無残に切り裂かれ、衝撃でアスファルトの上に転がる三人。裂けた布地から滲み出す血が、冷たい路面を赤く濡らす。倒れ伏す少女たちを見下ろす狼谷の瞳には、憐憫も愉悦もなく、ただ作業をこなすだけの無機質な殺戮の光が宿っていた。狼谷は一切の躊躇なく、追撃の切っ先をレンの胸元へ振り下ろす。


「伏せろッ!!」


裂帛の怒号とともに間髪入れず割って入ったのは、駆けつけた健人だった。

必死の形相で踏み込み、手にした工事用の鉄パイプを渾身の力で叩きつける。ガギィンッ!!と路地裏に激しい金属音が反響し、火花が暗がりを照らし出した。


「チッ……邪魔が入ったか」


強引に軌道を逸らされた狼谷は舌打ちを一つ落とすと、深追いすることなくバックステップを踏み、闇の境界線へと身を引いていく。形勢が不利と見るや即座に引くその手際の良さすらも、徹底してプロの暗殺者のそれだった。冷笑を口元に刻んだまま、男の気配は路地の闇の中へと完全に溶け込んで消える。


荒い息を吐き、額に冷や汗を滲ませながら鉄パイプを構え続ける健人。その背中で、桃華、レン、ゆめは震える自分の掌を見つめていた。

チンピラの小競り合いや、モングレルのような小悪党の暴力とは根本から次元が違う、本物の裏社会の「純粋な殺意」。

切り裂かれた衣服から伝わる血の冷たさと痛みが、自分たちがこれまでどれほど無防備で、無力な存在であったかを残酷なまでに突きつけていた。


「あたしたち……ただの足手まといじゃない……」


ゆめが恐怖に青ざめた唇を強く噛み締め、レンは悔しさに爪が手の平に食い込むほど拳を固く握り潰す。

そして桃華は、これまですべての泥を被り、自分たちを守るために矢面に立ち続けてくれた裕也の姿を思い浮かべ、激しい自責の念に駆られながら顔を上げた。


このままでは、裕也くんの隣に立つことすら許されない。ただの重荷として、傷だらけの彼をさらに深い奈落の底へ引きずり落としてしまう。


「……強くならなきゃ。裕也くんを、もう二度と一人で背負わせないために」


恐怖を塗り潰すように、三人の瞳の奥に確固たる覚悟の火が灯った。



降り始めた小雨が冷たく街を濡らし、アスファルトの匂いが立ち込める中、異変の報せを聞きつけて現場へ駆けつけた裕也の前に、待ち構えていた狼谷が静かに闇から姿を現した。


黒崎に怜花を奪われ、男としての尊厳を無残にへし折られて心身ともにボロボロの裕也。

だが、薄暗い路地の奥に立つその男から立ち上る気配を肌で感じた瞬間、裕也の息が止まった。

これまで拳を交えてきたどんなチンピラとも、愚連隊ともまるで違っていた。肌を針で刺されるような悪寒、毛穴が逆立ち、骨の髄まで凍りつくような「本物の死線」の匂い。


狼谷は雨滴を弾くナイフの切っ先を裕也の喉元へピタリと向け、冷酷に口元を歪めた。


「テメェが、黒崎の言ってたガキか。……雑種モングレルを殺ったにしちゃあ、随分と情けねぇツラしてんなァ」


虚勢も油断も一切通じない、本物の狂犬。

裕也の内に残る甘さを根こそぎ削ぎ落とす、本当の死闘の幕が上がった。


(第16話「狂犬たち」おわり / 第17話へ続く)

メインキャラクターのひとり皇野 音緒(HED)が歌う、らいだ~くの挿入歌です


『Why do you love me, My Star?』


架空アニメ 「らいだ~く」 挿入歌


歌:皇野 音緒 & HED


https://suno.com/s/nUo4hWROxbdcDiPF

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