第15話「チャンス」
パーティーの夜から数日経っても、裕也の頭の芯は痺れたままだった。
目を閉じれば、黒崎の腕の中でだらしなく身を委ね、自分を見下ろして笑った怜花の顔が張り付いて離れない。
『ぼうやの甘っちょろい優しさなんかより、ずっと気持ちいいんだもの……♡』
あの甘ったるい声が、耳の奥にこびりついていた。
一方、ネット上では皇プロから発表されたるなの新曲『もえもえ♡もーしょん』が跳ねていた。
前作の『ぴゅあぴゅあ・ハピネス・マジック!』を初動で軽く抜き去り、動画の再生数もSNSのトレンドも、あっという間にるな一色に塗り替えられている。
事務所の屋上。フェンスに寄りかかり、スマホの画面を眺めていた裕也は、掠れた声で小さく息を漏らした。
「……すげえな、るな。本当に街中こればっかりだ」
「ふふんっ! 当然でしょ、誰だと思ってんの」
背後から声がした。
振り返ると、るなが立っていた。
いつもなら「偶然通りかかった」体で押し掛けてきて、ジュースを奢れだのあっちの店へ付き合えだのと騒ぎ立て、腕に抱きついてくるのがお決まりだった。
だが、今のるなは違った。笑みを消し、まっすぐに裕也の隣まで歩いてくると、フェンスに手を置いて街を見下ろした。
放置されたままであるはずの、二人の間の不穏な距離。それを鋭く見抜くように、るなは表情ひとつ変えない。言葉を失って固まる裕也の前へ、ずいと一歩踏み込んで距離を詰めた。
ふざけた様子も、小悪魔を気取った気配もない。逃げ場を塞ぐような、冷たいほど真剣な目だった。
「……ねえ。裕也と桃華って、まだ肌を重ねてないでしょ」
「…………っ」
裕也の喉が詰まり、呼吸が止まった。
声すら出ない。耳の付け根が熱くなり、ただ硬直したまま視線を彷徨わせる。
だが、るなはさらに一歩、その瞳の奥を射抜くように言葉を重ねる。
「図星でしょ。見てれば分かるわよ。……裕也が怜花のこと引きずって、桃華とも中途半端な距離のまま止まってるのなんて」
「るな……」
「あたしはね、裕也。もう子供扱いされる気なんてないから」
遮るように告げられた声に、裕也は言葉を失った。
◇
数日後、裕也たちは新作ドラマ『上書きの夜』の撮影スタジオへ乗り込んでいた。
皇Pが無理やりねじ込んだ視察の名目だったが、目的は怜花を確かめることだけだった。
機材車の並ぶ薄暗い通路の先。衣装を着た怜花の姿が見えた。
「怜花! 無事だったのか! どこに行ってたんだよ!?」
裕也が駆け寄り、その肩に手を伸ばす。
その瞬間、怜花はびくっと肩を跳ね上げ、自分の体を抱え込むようにして後ずさった。
「近寄らないで……っ! お願いだから……今のあたしを見ないで……!」
顔色は青白く、その瞳は酷く怯えて揺れていた。首元の黒いチョーカーがかすかに光っている。
「怜花ちゃん、どうしたの? 何があったの!?」
追いついた桃華が声を上げる。
怜花は激しい頭痛に耐えるように額を押さえ、苦痛に顔を歪めた。
「なんでもないの……! 桃華ちゃんは……裕也くんと一緒にいればいいじゃない……っ」
それだけを吐き捨てると、怜花は逃げるように走り去ってしまった。
だが、メインスタジオの扉を開けた裕也たちが目にしたのは、先ほどの怯えた姿とはまるで違う光景だった。
スタッフが行き交うフロアの真ん中。
ディレクターズチェアにふんぞり返る黒崎の膝の上に、背中の開いたドレスを着た怜花が、当たり前のような顔で身を寄せていた。
周囲の目など一瞥もせず、首筋に男の手が回るたび、喉を鳴らして従順に擦り寄っている。放たれるのは、彼の深い洗脳に染まりきった強烈な絶対隷属のオーラ。
「ほう、今日の撮影現場には裕也君も来ているようだがね?」
黒崎が怜花の存在を完全に誇示するようにその肩を引き寄せると、怜花は男の腕に自らのすべてを委ね、頬を擦り寄せて甘ったるい声を上げた。
「まぁ……そんな昔の雑音、気にする価値もありませんわ、黒崎様♡ それより……楽屋に戻ったら、さっきの『おねだり』の続き……してくださいますでしょう?」
そこへ進行スタッフが恐る恐る近寄る。
「星崎さん、次の出番です!」
だが怜花は黒崎の傍らから動こうともせず、冷たく睨みつけた。
「あいにく、今黒崎様とお大切な時間なの。5分待たせなさい。……断るなら、この仕事ごと降りてもいいのよ?」
怯えて下がるスタッフを横目に、るなが耐えかねて前に出た。
「ちょっと……! 人前で堂々とそんなべったり抱きついて……恥ずかしくないわけ!? 昔のアンタのプライドはどこ行ったのよ!」
怜花はくすりと艶めかしく笑った。
「プライド? ふふ、そんなもの……黒崎様に捧げた時にもう捨てたわ。今のあたしの幸せは、黒崎様の腕の中で甘えることだけ……。可哀想なるなちゃん、本当の『女の歓喜』を知らないのね」
「怜花……頼むから目を覚ましてくれ……っ!」
裕也の絞り出すような叫びにも、怜花は冷たい笑みを向けただけだった。
「哀れね、裕也くん。そんなに必死な顔をして……。でも残念ね、あたしの身体も唇も……もう黒崎様以外の男じゃ、何も感じなくなっているの」
裕也は息を呑み、足元から力が抜けるのを感じた。
操られているという次元ではない。完全にその魂を塗り替えられ、目の前の男の所有物(人形)としてそこにいる。
その背中に、不意に温もりが当たった。
るなが、後ろからぎゅっと、痛いほどの力で抱きついていた。
いつもの生意気な軽口はない。裕也の背中に額を押し当て、自分の胸の痛みを堪えるように腕に力を込めている。
「……ちょっとだけ、このままでいさせて」
低く震える声だった。
「あんたが一人で全部抱え込んで潰れそうだから、あたしがこうしてパワー分けてあげてんの! 変な意味じゃないんだからね……っ」
◇
撮影後、専用控え室に戻った黒崎は、グラスの酒を煽りながら上機嫌に笑っていた。
舞から連絡が入り、新たな部下の配属が決まったからだ。
「ふっふっふっ、ようやくこのおれにも好機が向いて来たな」
「よくわからないけれど、黒崎さまが嬉しいのなら、怜花もうれしいですぅ♡」
彼の足元に跪き、自らのプライドを捨ててすがるように擦り寄る怜花。
鎌瀬をあっさり失った黒崎にとって、願ってもない補強だった。
可愛い女の部下を寄越さない上層部の判断に不満は残るものの、組織内で『異能の支配者』と渾名されている自分への警戒とはいえ納得がいかなかった。
「怜花、見ていろ。これからが俺たちのターンだ」
「はぁい、怜花はどこまでもお供しますぅ♡」
◇
同じ頃、闇野グループ本部の地下。
冷え切ったコンクリートの部屋に、三つの影が立っていた。
組織内で勤務態度の悪さから左遷されていた、一匹狼の男たち。
ハイヒールを鳴らして現れた舞が、書類を手に冷然と言い放つ。
「よく来たな」
「はっ!」
「お前たちのうわさは聞いている。悪いうわさも…、そしていい噂もだ」
「へえ、こうして、あのミラージュに直々お呼びいただき、ありがたいことですぜえ」
「うむ、それでは姫香様からのお言葉を伝える。……序盤であっさりとスクラップになって消されたモングレルには、やはり十三人衆の資格などなかった」
舞の視線が影を射抜く。
「おまえたちには、黒崎の下で働いてもらう。そこで最も成果を上げた者を元の部署に戻し、十三人衆に加えてやる」
舞の手元には、三人のプロテクトチョーカーを外すマスターキーが握られていた。
このカギが黒崎の手へと渡る時、次なる惨劇の幕が上がる手はずとなっている。
「へっ? チェバロンって、あのスタリ……」
「ああ、そうだ」
「そっそんな、よりにもよって、あの……」
「口を慎め! いちおうあの男がこれからおまえたちの直属の上司となるのだ。お前らの勤務評価や人事査定もあいつからの報告が重要視される」
「ええっ本当ですかい?!」
「ああ、そうだ。」
「う~~~ん」
「いいか、お前たち、いまの自分たちの置かれた状況で希望する部署や上司を選べる立場か? 組織というものを理解しろ!」
「うぐぐぐ......。」
(まあ、無理だと思うがな)
暗闇の奥から、ひとりの男が獰猛に口元を吊り上げた。
「ふっふっふっ……俺たちに任せといてくだせえ、ミラージュ」
「いいだろう、せいぜい良い働きをして汚名挽回してくるがいい」
「「「ははっ」」」
「それでは朗報を待っている」
(最初から過度な期待はしておらんがな)
濁った笑い声と冷淡な舞の声が、冷たい地下の空気を震わせた。
(第15話「チャンス」おわり / 第16話へ続く)
メインヒロインのひとり如月 るなが歌う、らいだ~くの挿入歌です
『もえもえモーション』
架空アニメ 「らいだ~く」 挿入歌
歌:如月 るな
https://suno.com/s/33Hr4khULSmGF9yi




