第14話「パーティーの夜」
皇プロダクションのオフィスに、重苦しい沈黙が澱んでいた。
夕闇の差し込む執務机の中央、黒と金を基調とした豪奢な箔押しの封筒が、異様な存在感を放って置かれている。
差出人の名義は『闇野プロダクション』。そして中に収められていたのは、今夜都内の高級ホテルで開催されるという新作ドラマの制作発表記念パーティーへの招待状だった。
「……なんなのよ、これ!」
張り詰めた空気を切り裂くように、桃華が封筒を強く指差して叫んだ。その指先は怒りと混乱でかすかに震えている。
「『闇野プロダクション製作・黒崎プロデューサー最新作、星崎怜花主演「上書きの夜」制作発表会のご案内』……!? なんで、怜花ちゃんが黒崎の新作の主演になってるのよ!? どうしてあんな男のところに……!」
「落ち着きたまえ、桃華くん」
皇Pが険しい表情で重々しく腕を組み、深く唸るように言葉を落とした。
デスクの灰皿に押し付けられた煙草から、一筋の煙が頼りなく立ち上っていく。
「あちらからわざわざ我々に招待状を送りつけてきたということは、ただの発表会ではない。我々に対する明確な挑発……あるいは、罠だな」
「罠だろうと関係ありません!」
裕也が机の端に両手を叩きつけるように乗り出し、真っ直ぐに皇Pを見据えた。
握り締めた拳の関節が、白く軋みを立てている。
「怜花が……あいつらの手元にいるんです。無事なのかどうか、あいつらに何をされているのか……この目で確かめなきゃいけない。行かせてください!」
「裕也くん……」
隣にいたゆめが痛ましそうに胸元を押さえ、レンも静かに唇を噛み締めて深く頷いた。
「……るなはちょっとやることがあるから、別行動をとらせてもらうわ」
静まり返った部屋に、不意に冷たい鈴を転がすような声が落ちた。
「るな?」
呼び止める桃華の声にも、るなは振り返ろうとしない。
いつになく張り詰めた、射るような真剣な眼差し。その冷え切った瞳の奥には、底知れぬ昏い炎が微かに揺らめいていた。
凍りつくような異様な気迫に誰も言葉を挟めないまま、るなは表情ひとつ変えずに踵を返し、足音もなく事務所を後にした。
残された者たちの間に残る、張り詰めた決意。
こうして裕也たちは、敵の誘いと知りながらも、パーティー会場へと乗り込むことを決めたのだった。
◇
天井を埋め尽くす巨大なシャンデリアから、豪奢な光の雨が降り注いでいる。
都内屈指の最高級ホテル。その大広間は、グラスが触れ合う澄んだ音と、着飾った業界人たちの談笑、そして微かに漂う高級なアルコールと香水の匂いに満ちていた。
今夜開催されたのは、闇野グループが威信をかけて仕掛ける新作ドラマ『上書きの夜』の制作発表記念パーティー。
会場には皇Pや神楽坂舞織の姿もあり、各界のVIPが歓談に興じる華やかな宴。だがその華美な喧騒の底には、冷徹な思惑が渦巻いていた。
会場の一角、雑踏から切り離されたような静けさを纏い、純白のドレスに身を包んだワルキューレがグラスを傾けていた。
洗練された立ち居振る舞いは、着飾った無数の招待客の中でもひときわ目を引き、周囲の視線を自然と集めている。
そこへ、息を弾ませた早足で一人の男が駆け寄ってきた。皇プロダクションのディレクターでありスカウト担当、神尾誠である。
「す、素晴らしい……! 失礼、突然申し訳ありません! 私は皇プロダクションでディレクターとスカウトを務めております、神尾と申します!」
「……私に何か?」
ワルキューレは微かに眉を動かし、グラスを留めて男を見返した。
神尾は胸ポケットから名刺入れを取り出し、額の汗も拭わずに前のめりに言葉を重ねる。
「先ほどから貴女の立ち居振る舞いを拝見しておりました! 圧倒的な存在感、洗練されたオーラ……貴女なら、芸能の世界で間違いなく天下を取れます! ぜひ、我が社で看板女優としてデビューしませんか!?」
周囲の空気を置き去りにするほどの猛烈なアプローチ。だがその瞳には、業界特有の汚い下心は微塵もなく、純粋な制作スタッフとしての熱情だけがぎらぎらと燃え盛っていた。
ワルキューレは困惑を押し隠し、穏やかに首を横に振る。
「……評価していただき光栄ですが、私には今、果たさねばならない大切な仕事がありますので」
「それなら、そのお仕事が終わってからで構いません! ぜひ我が社へ! いいですか、私が一番最初に貴女をスカウトしたんですからね! 抜け駆けはなしですよ!」
神尾は早口に念を押すと、上等な名刺をワルキューレの手元へ押し込むように差し出し、そのまま満足そうに深く一礼して雑踏の中へと去っていった。
残されたワルキューレは、手元の名刺を見つめ、思わず呆気に取られたように呟く。
「……なんなんだ、あの物凄い熱意は……」
苦笑混じりに息を吐きつつも、何かの役に立つかもしれないと、彼女は名刺をバッグの名刺入れへと丁寧に収めた。
その頃、華やかな会場の片隅では、奇妙で不穏な噂がスタッフの間を静かに駆け巡っていた。
「おい……さっきスタジオの廊下で、今ロケで地方に出ているはずのスタッフを見かけたんだが」
「留守のはずの人間が、どうしてスタジオ内に……?」
「今回だけじゃない、最近そういう噂をよく聞くよな」
「さあ、いったいどうなっているんだ?」
囁き交わされる不可解な影。それは毎晩、スタジオのどこかに潜む姫香――その実、今日のパーティーでは彼女に成り代わった姫香の側近・シェイドの暗躍による歪みであった。
そのざわめきから一段高い場所に設けられた、選ばれた者のみが立ち入ることを許されるVIP賓客席。
フロアの喧騒を見下ろすバルコニーの陰で、組織の重鎮たちが静かにグラスを傾けていた。
「大層な賑わいね。チェバロンも、たまには気の利いた舞台を用意するものだわ」
冷ややかに口元を歪めたのは、深紅のイブニングドレスを完璧に着こなした『姫香』――だがその瞳の奥には、どこか実体を持たない不気味な揺らめきが宿っていた。
その隣で、シャンパンの泡を静かに見つめていた舞が、呆れたように息を吐く。
「浮かれているだけよ。星崎怜花という上位個体をその手で屈服させた気になって、誇示することしか頭にない。……プロテクトチョーカーの最終同期は完了しているが、男の功名心など何の担保にもならないわ」
「ふふ、いいではありませんか」
舞の背後から、澄み渡るような声が落ちる。
まるで異国の王侯貴族の貴婦人を思わせる清楚なドレスに身を包み、静謐な佇まいで藤堂の斜め後ろに控える皇紗那――セレスタだった。
「セレスタ……」
「いつもほとんど息抜きをしていないのですから、こんな時くらい雰囲気を楽しみましょ、ミラージュ」
「ああ、そうだな……」
セレスタの視線の先、腕を組んで仁王立ちのまま会場を睥睨する四天王筆頭、藤堂凱――アイギスの威圧的な巨躯があった。
「チェバロンが目立てば目立つほど、外からの視線はすべてあの男へ集まります。プロテクトチョーカーの実証実験としては、これ以上ない格好の囮。……そうですね、アイギスさま?」
「……くだらん茶番だ」
「ふふ……まあ、そうおっしゃらずに」
「……ふん」
藤堂は視線をフロアへ向けたまま、低く唸るような声で吐き捨てた。
「あの男の浅ましさには反吐が出る。だが、好きに踊らせておけばいい。足を踏み外した時、拾い上げる価値もない男だ」
「ええ。何か不始末があれば、このセレスタがいつでも切り捨てられるよう手配は済んでおります」
「……任せる」
「はい」
セレスタが伏し目がちに優雅に微笑み、姫香もまた、扇の陰で冷酷な笑みを深めていた。そしてセレスタの涼やかな瞳が、会場に入り込んできた黒崎の姿を捉え、静かに一瞥する。
その頃、会場の喧騒に紛れ、柱の死角となった薄暗いバーカウンターの端。
招待客の群れに背を向け、黒いカクテルグラスを弄ぶ氷室の姿があった。
そのすぐ背後の人混みから、初対面のふりをして近づいてきた女が、誰にも聞こえない囁き声を落とす。
「……上層部は揃いも揃って高みの見物ね」
紛れもない、もえの声だった。
「ああ、おれたちとは雲泥の差だな……」
氷室は視線を上げず、氷をカランと鳴らす。
「……しかし、まさかチェバロンごときのイベントに姫香様自らおいでになられるとは……?」
「あの姫香様が本物ならね」
「どういうことだ?」
「忘れたの? あたしたち姫香様側近の【Royal Fangs】の中には、わたしことカメオの他に、ミラージュ、セレスタ、そしてあともう一人……」
「っ、そういうことか!」
「そう、暗黒社会の闇から闇へと暗躍する女……【シェイド】」
「なるほどな……」
「まあ、彼女は化けるのがうまいから確証はないけれどね」
「そうか、うっかり奴だと思って失礼を働いた相手が本物の姫香様だったら……」
「うん、疑った者には身の破滅が待っているということよ」
「見分ける方法は……?」
「さあね、同じRoyal Fangsとはいっても、あたしのような末席じゃ知る由もないわ。確証はないけれどセレスタやミラージュに勝てる可能性がある四天王なんてアイギスくらいよ」
「まあ、それにセレスタとアイギスが戦うなんてことは絶対にありえないけれどね」
「上層部はみな仲がいいからな」
「あの二人はそれとは別の絆なのよ!」
「どういうことだ?」
「まあいいわ、教えておいてあげる」
「何を?」
「セレスタには姫香様以外にもアイギスがついている。本人もあり得ないほど強いけれど、彼女を敵に回すということはさらに多くの強敵を同時に作るということ……身の破滅よ」
氷室は息を呑み、思わず喉を鳴らした。
その会話の後、二人はバルコニーの姫香と思われる人物たちにそっと目をやった。
「まったく……で、どうするの、シンセンス?」
「チェバロンの馬鹿騒ぎに付き合う気はない。すべては手はず通りだ」
「予定通りね」
「そうだ、それではそろそろお暇するとしようか」
「ええ。あの男が怜花を連れて道化を演じている間に……私たちは私たちの仕事を片付けましょう」
ふたりは視線すら交わさず、冷笑を噛み殺しながら、闇の奥へと再び身を潜めていった。
◇
一方、パーティー会場の正面玄関へ滑り込む黒塗りの高級リムジン。
プライバシーガラスに覆われた車内は、外の喧騒を完全に遮断し、重たく甘い香水の匂いと、ねっとりとした熱気に満ちていた。
シートの上で、黒崎は満足げな薄笑いを浮かべ、自らの膝の上に女を抱き寄せていた。
星崎怜花。
かつて組織の誰もが手を焼いた上位個体であり、気高く近寄りがたかった孤高の女優。
だが今の彼女は、背中が大胆に開いた黒崎好みの漆黒のイブニングドレスを纏い、濡れたような深紅のリップを引いて、男の胸元に蕩けた顔を埋めていた。
(……そうだ。コイツはもう俺のモノだ)
黒崎の脳裏に、あの日――怜花を完全に手中に収めた瞬間の光景が鮮烈に蘇る。
――『黒崎。遺伝子解析の最終ログよ。御堂裕也と星崎怜花……この二人は実の姉弟だわ』
舞から突きつけられた決定的な生体データ。それを武器に、決して屈しなかった怜花の前で、黒崎は残酷な真実を嘲笑とともに告げたのだ。
『お前が命がけで愛し合っていたあのガキはな……お前の実のきょうだいんだよ!』
『そっ、そんな……嘘よ、嘘……っ!』
あまりの衝撃に、怜花の誇り高き精神防壁が激しく揺らぎ、致命的な亀裂が入ったその刹那。
傍らに控えていたシンセンスが、冷徹に特大の精神波長攻撃を撃ち込んだ。
『いまだ! チェバロン!』
『おうっ!』
黒崎は躊躇なく、舞が怜花専用に組み上げた特製プロテクトチョーカーをその白い首筋に噛み合わせた。
『あっ……あう、うううううううううッ――!』
やがて、怜花から裕也への最後の想りが、引き裂かれるように消えて行く。
『ゆっ、裕也……』
青いパルスが頚椎を駆け巡り、誇りも、記憶も、自我の防壁も、すべてが圧倒的な支配の奔流に押し流されて完全に書き換えられた――。
(あの瞬間から、お前は俺だけのモノになったのだ……)
意識が現実へと戻った黒崎の膝の上で、怜花が甘い吐息を漏らしながら、彼のジャケットの首元を指先でキュッと握りしめてきた。
「黒崎様……今日のこのドレスとリップ……黒崎様のお好みに合わせました……。ふふ、いかがですか……? ……お願いです、もっと……怜花の奥まで、黒崎様の色で満たしてください……っ」
「実に素晴らしい仕上がりだ、怜花。今夜はお前の美しさを、あの虫けらどもに見せつけてやる」
「あぁっ……はぁい……! 黒崎様……っ、怜花を……怜花をもっと壊してください……んぁっ♡」
黒崎が片手で腰を強く抱き寄せ、もう片方の手で精神を縛る鎖を締め直すように彼女の佇まいをなぞると、怜花は喉を鳴らし、小刻みに熱い吐息を男の首筋へ吹きかけ続けた。
車が止まり、ドアが開けられても、怜花は名残惜しそうに腰を抱き直す。
周囲の視線すら、もはや彼女にとっては「黒崎様に完全服従している自分を見せつける快感」でしかなかった。
◇
大広間の重厚な扉が左右に開き、黒崎が怜花を伴って入場した瞬間、会場の空気が一変した。
「なっ……あれは……!?」
「ちょっちょちょちょちょ!」
「うっそーーー! まさか、あれが怜花さん?」
「いったい、どうなってるんや!」
会場に招待されて出席していた裕也、桃華、レン、ゆめが息を呑む。
壇上へと歩む怜花は、黒崎の腕にピタリと豊満な身体を擦り寄せ、恍惚とした笑みを浮かべていた。
かつての凛とした、誰にも媚びない佇まいはどこにもない。放たれるのは、彼の深い洗脳に染まりきった強烈な絶対隷属のオーラ。
黒崎はそんな怜花の腰にしっかりと手を回してエスコートし、怜花は満足そうに上品な微笑みを浮かべている。
我慢できずに駆け寄った桃華が、震える声で叫んだ。
「嘘でしょ……怜花ちゃん、その格好……! それにその匂い……黒崎プロデューサーの……!」
怜花は歩みを止め、侮蔑の混じった艶めかしい笑みで桃華を見下ろした。
「ふふ、可愛い桃華。昔の野暮ったい衣装なんて、もう着られないわ。……これが今のあたし。黒崎様に愛されて、新しく生まれ変わった『星崎怜花』よ」
「怜花……! 嘘だろ、お前……本当に自分の意思でそんなことを……!?」
裕也が青ざめ、必死に手を伸ばそうとする。
だが、怜花はその手を、汚らわしい害虫でも見るかのように冷酷に払い除けた。
「穢らわしい手で触らないでちょうだい、御堂裕也!」
「なっ……!?」
「自分の意思? ええ、そうよ。わかる? 黒崎様の指先が与えてくださる快楽……ぼうやの甘っちょろい優しさなんかより、ずっと気持ちいいんだもの……♡」
自分の女に手を出されようとした黒崎から、カッと怒りの波動のような凄まじい衝撃波が放たれた。
「うわっ!」
「裕也くん!」
「裕也さん!」
「裕也!」
不意を突かれた裕也の身体が、数メートル後方へと吹き飛ばされる。
「ふんっ、貴様、俺の怜花にもう近づくなよ。身の程を知れ」
「まったく、汚らわしい男だこと」
「ああ、まったくだ」
「もう二度と、我的視野に入らないでもらいたいものだわ」
黒崎が裕也を冷たく見下ろし、憐憫すら込めて唾を吐き捨てるように言い放つ。
怜花もまた、まるで汚物を見るかのように冷酷に一瞥した。
そして黒崎の胸板にすり寄ると、見せつけるように男の首筋へ唇を寄せ、裕也たちの目の前で妖艶に喉を鳴らせてみせた。
怜花の瞳には、裕也たちがただのモブのように映っていた。
「ふははははは!」
「ふふっ、さようなら、ぼうや」
まったく興味のない視線を向けると、怜花はさらにエレガントに振る舞いながら黒崎にぴとっと身を寄せる。
救い出すはずだった仲間は、自分たちの存在を忘れ、敵の男の膝元で人形として悦ぶ存在へと完全に堕ちていた。
あまりの絶望と現実に、裕也はその場に立ち尽くすしかなかった。
◇
パーティーが終わり、重苦しい沈黙の中で仲間たちと別れた裕也は、当てもなく夜の街を彷徨っていた。
雨上がりのアスファルトに、街灯の光が虚しく滲む。
その時、前方の路地から、どこか大人びた雰囲気の『るな』が歩いてくるのが見えた。
「るな……? どうしてこんなところに……」
裕也は思わず声をかけようとした。だが、すれ違いざま、彼女の冷え切った視線が裕也を捉え――何事もなかったかのように、一言も交わさず立ち去っていく。
(……るな……じゃない……?)
裕也が背中を見送る中、女――るなの姿を借りた『もえ』は、口元を歪めて闇の中へと滑り込んでいった。
彼女が向かった先は、他でもない黒崎の個人事務所。
薄暗い執務室で待っていた氷室が、デスクの陰から視線を上げる。
「遅かったな」
「ふふっ、ちょっとした余興よ。……こちらも、そろそろ動かないとね」
「ああ、そうだな。今夜を境に、すべてが変わる」
二人の冷たい嘲笑が、夜の闇に溶けていった
(第14話「パーティーの夜」おわり / 第15話へ続く)
メインヒロインのひとり如月 るなが歌う、らいだ~くの挿入歌です
『モノクローム・ディペンデンス』
架空アニメ 「らいだ~く」 挿入歌
歌:如月 るな
https://suno.com/s/S2raIDNsN8Hp5CI8




