第13話「愛のカタチ」
冷徹な電子音だけが、規則的に研究区画の空気を刻んでいる。
大型モニターの冷光を浴びながら、舞は表情ひとつ変えずにキーボードを叩き続けていた。背後の自動ドアが微かに開き、滑るような足音が近づいてくる。
「状況はどう、ミラージュ」
「おお、【皇 紗那】か」
視線は画面に貼り付けたまま、舞はわずかに指先を緩めた。
「星崎怜花のログよ。黒崎の手元へ送ってからの精神防壁の減衰値、ニューマンの生体変貌データ。処理すべきタスクが山積みだというのに、今夜はパーティーもある。……このままだと手が足りないわ」
セレスタは小さく口元を緩め、音もなく舞の肩越しに画面を覗き込んだ。流れる波形グラフを瞳に映す。
「プロテクトチョーカーのパルス同期率は九八%。肉体の適応進化も最終段階に入っていますね。……残りの解析シーケンス、私が引き受けます」
「お前に扱えるのか? 私の専門領域のバイオコードだぞ」
「姫香様の側近ですから。他部署の基礎仕様くらい、頭に入っていなくては務まりません。――少し貸して」
セレスタの指先が、舞の手元を奪うようにキーボードへと沈んだ。
無駄のない、滑らかなタイピング。専門外のバイオアルゴリズムを迷いなく組み替え、錯綜していたログの束が瞬く間に整列していく。数十秒後、モニターには『ALL PROCESS COMPLETED』の緑の文字列が静かに点灯した。
「おお…」
舞は画面を見つめたまま、小さく息を漏らした。
「相変わらず見事だな」
「うふふ、お褒めにあずかりまして」
「……まったく。おまえのように優秀な者ばかりなら、この私も胃を痛めることもないんだがな」
「光栄です。――さあ、これで急ぎの作業は終わりました。これから私の部屋のティールームへいらっしゃいませんか? 取り寄せたばかりの茶葉があります」
「ここまでしてもらっては断る理由もないな。ぜひ付き合わせていただこう」
◇
無機質な白で統一された研究所を離れ、藤堂が統括する専用区画へ足を踏み入れる。
落ち着いた木目と暖色の間接照明に包まれたティールーム。琥珀色の液体から立ち上る湯気を眺めながら、舞は深く背もたれに身体を沈めた。
「それにしても、下があまりに無能揃いだと頭が痛い。黒崎は上位個体を手に入れた途端に調子づいて、パーティーでお披露目だと浮かれている。氷室は視野が狭くて使い物にならないし、もえは側近面して突っ走っては後始末をこちらに放り出してくる」
「ミラージュの苦労はよく分かります」
セレスタは磁器のカップをソーサーに置き、静かに言葉を継いだ。
「ですが、黒崎のその功名心はそのまま利用できます。今夜のパーティーをプロテクトチョーカーの公開実験場に仕立て上げれば、何か起きても責任はすべてあの男が背負うことになる。氷室には監視役の枠を与えておけば満足しますし、もえには重要そうに見えるダミーの遊撃を振っておけば、こちらの邪魔はしません」
舞はカップを口元で止め、探るようにセレスタの瞳を見た。
「……他部署の人員まで、実によく見えているな」
「そんなつまらない者たちの話ばかりしていては、せっかくこうして貴女と楽しむために取り寄せた最高級のダージリンの香りが濁ってしまいます」
「……ふっ、そうだな」
毒気を抜かれた舞の唇に、薄い笑みがこぼれた。この張り詰めた組織の中で、セレスタと過ごすわずかな時間だけは、舞にとっても稀有な安らぎだった。
穏やかな茶会を終え、舞を見送ったセレスタは、区画の奥に広がる西洋風庭園へと足を向けた。
幾何学模様に刈り込まれたトピアリーと大理石の敷石が続く、静謐なガーデン。石造りのテラスの手すりに寄りかかり、腕を組んで佇む広い背中があった。
姫香に次ぐナンバー2――四天王筆頭、【藤堂 凱】。
セレスタの相好から側近としての冷淡さがすっと抜け落ち、柔らかく潤んだ光が宿る。足音を殺して歩み寄り、静かにその隣へ立った。
「アイギスさま」
「……セレスタか」
藤堂は振り返らない。低く沈んだ声。だが、その響きにはセレスタの気配を自然に受け入れる微かな温度があった。
「風が少し冷たくなってまいりました。……今夜の件ですか?」
「くだらん雑音が多い。特にチェバロンだ。手に入れた女を見せびらかすことに気を取られ、足元が見えていない」
「ええ。ミラージュのデータでも確認いたしましたが、星崎怜花の調教に溺れ、神経をすり減らしているようです」
セレスタは藤堂の横顔をそっと見上げる。遠巻きに控える藤堂の部下たちが、二人の並び立つ姿を見て、張り詰めていた肩の力を密かに抜いていた。
「あのような男に、これ以上組織の格を落とされては困るな」
「はい。チェバロンごときの不始末でアイギスさまの手を煩わせるようなことがあれば、このセレスタが直ちに対処いたします。……それより今日も私が温かいお茶を淹れてまいりましょうか?」
「……ああ、頼む」
「はい、少々お待ちくださいませ」
短く応じた藤堂の横顔に、セレスタは静かに笑みを返した。
◇
その頃、当の黒崎は専用の寝室で、脂汗にまみれてシーツを掻きむしっていた。
『――黒崎。舞から提出されたあなたの査定、見せてもらったわ』
暗闇の底から響くのは、冷え切った姫香の声。
「ひっ姫香さま…?」
『相次ぐ不始末……弁明の余地もないわね。本日をもって降格、減俸。過疎地の最果てへ左遷とします。――以上よ、私は忙しいの』
冷酷に切り捨て、返答すら待たずに去っていく姫香の背中。
「そっそんな・・・」
「無能と口だけの者は組織に必要ないわ」
「ひ、姫香様! お待ちください! 姫香様――!」
必死に手を伸ばす黒崎の前に、立ちはだかる舞たちの冷笑。さらにその前列、氷のような無表情で遮るセレスタ――皇紗那の姿があった。
「・・・・・・・」
「くっ……お前はセレスタ! 邪魔をするな、退けッ!」
強引にその肩を払いのけようと手を振り上げた――その刹那。
セレスタの背後の闇が歪み、空間ごと圧搾するような威圧感とともに、藤堂凱――アイギスの巨大な質量がぬっと眼前にせり上がった。
「こっこれは・・・!?」
(――なっ!? セレスタに触れれば、藤堂が直接動くというのか……!?)
触れてはならない逆鱗。全身の血が逆流し、内臓が凍りつくような悪寒。
「ア……アイ……ギス…………ッ!?」
「ぐっ……あ……っ! 俺を見下すな……! 俺は貴様らの上に立つ男だ……ッ!」
「う、うわあああああああ――ッ!」
――ハッ……!!
跳ね起きると同時に、冷や汗が額から顎へと伝い落ちた。
喘ぐように喉を鳴らし、激しく上下する胸を押さえる。見慣れた自室の天井。薄暗い寝室のベッド。
「はぁ、はぁ……ゆ、夢、か……」
心臓が肋骨の内側を激しく乱打している。組織の頂点たちが放つ冷気配が、今も皮膚にこびりついて離れない。
(くそ……セレスタにも滅多な真似はできん……アイギスが黙っていない……!このままじゃ身の破滅だ!しかし、いったいどうすれば?)
奥歯を噛み締め、ふと横へ視線を落とした。
乱れたシーツの中、豊かな黒髪を散らし、薄布一枚だけをまとった無防備な寝姿の女がいた。安心しきった表情で、微かに寝息を立てている。黒崎専属の女となり果てた星崎怜花である。
「ううん……黒崎、さまぁ……♡」
微かな寝言とともに、熟れた果実のように豊かな胸元が小さく上下する。
すでに裕也や桃華のことなど忘れ、身も心も完全に黒崎へ依存しきっていた。
昨夜もこのベッドの上で、男の激しい愛撫と熱情に身を任せていた女。その無条件の屈服を視界に収めた瞬間、黒崎の瞳の奥で凍りついていた血が、ドス黒い執念となって再沸騰した。
(……そうだ。まだだ。俺には、コイツがいる……!)
かつて組織の誰もが手を焼いた上位個体。それを完全に屈服させ、自らの熱だけで塗りつぶして手元に侍らせているという優越感。
ベッドの上で固く拳を握りしめ、荒い呼吸をねじ伏せようとしたその時――額に、ひんやりとした湿り気と、柔らかな温もりがそっと触れた。
「――あれぇ黒崎さまぁ……♡ 悪夢でございますか……? 悪夢なんて、この怜花が、癒やしてあげますぅ……ほら、こうやって」
黒崎の気配で目覚めた怜花が、ベッドサイドの透ける黒レースのナイトローブをさらりと素肌に重ね、膝をついて身を寄せていた。
首元のプロテクトチョーカーが、青いインジケーターを静かに明滅させている。
濡れタオルで額の汗を拭う指先には、かつて拳を握りしめていた頃の硬さは微塵もない。男の体温を確かめるように、惜しげもなく豊かな胸元を黒崎の膝へと押し当て、すり寄せてくる。
「黒崎さま……怜花にお髭、剃らせてくださいましね……♡」
男の首筋へ吹きかかる、甘く湿った吐息。
首筋の青い光が脈動するたび、怜花の背筋が小さく震え、熱を帯びた瞳がとろんと濁る。
「やっぱり、黒崎さまはいつもかっこいいですぅ、怜花、もうメロメロですぅ♡」
「……手元を狂わせるなよ」
「ふふ、そんなヘマいたしませんわ。私の手は、黒崎さまを気持ちよくするためだけにあるのですから……んっ♡」
顎の下にカミソリが当てられる。微かな刃の感触に喉を鳴らし、怜花はすがるように頬を黒崎の手の甲へ擦りつけた。
撫でられることを待ち焦がれるように、男の膝元で無防備に喉元を晒す。刃が肌を滑る微細な音すら、彼女にとっては甘やかな悦びの儀式だった。
「綺麗になりましたわ、黒崎さま……。ふふ、とっても素敵……♡」
道具を置き、怜花は自ら両腕を伸ばして黒崎の首に絡みついた。肌と肌が触れ合い、重い香水の匂いが男の鼻腔を満たす。
「今夜はお前が主演女優を務める、俺の新作ドラマ『上書きの夜』の発表披露パーティーだからな」
「はぁい、黒崎さまぁ……♡」
怜花は熱のこもった表情でうっとりと黒崎を見つめている
「今日はドラマの他に、怜花のことを黒崎さまの女としても公表してくださるのですよね?」
「ああ、そうだぞ」
「ふふっ、怜花、嬉しいですぅ……♡」
怜花は無邪気に黒崎へ抱き着いた。そんな怜花を黒崎は優しく受け止める。
もはや最初あったしがらみはなく、怜花は心から心から黒崎のことだけを愛し信じ依存しきっている
彼女にとって、黒崎以外の人間特に男はもはやどうでもいい存在であった
「これからもこの怜花を【黒崎さまだけの女】として、ず~~~~~~っとおそばに置いてくださいね♡」
「ああ、もちろんだ」
「あぁ……怜花、とっても幸せですぅ♡ はやく黒崎さまのお嫁さんになりたいですぅ……♡」
「よしよし、もうちょっと待っていろ」
「あ、はぁい♡」
熱を持った白い肌を赤く染め上げ、怜花は男の胸板に額を押し当てて甘く蕩けた息を漏らす。
そして自らの柔らかな体温を、すがるように黒崎の逞しい胸元へと強く押し当ててきた。
その絶対的な服従を全身に浴びて、黒崎の胸を満たす万能感が完全に息を吹き返した。
「よーしよし見ていろ怜花……俺は、俺たちはここで終わりはしないぞ!」
「ええ……黒崎さま……♡」
「ふははははは」
抱き寄せられた男の腕の中で、怜花は恍惚と目を細め、胸の温もりに浸っていた。
「怜花もどこまでもお供しますですぅ♡」
「よしよし、それじゃあまたかわいがってやろう」
「あぁん、黒崎さまったらこんなまっ昼間から…怜花のことどこまで喜ばせるんですか?」
「ふふ、よ~しいくぞ」
「あぁん、怜花もう我慢できないですぅ♡」
ふたりが真昼間からまた激しく愛し合おうとベットにもつれ込もうとしたその時だった
コン、コン。
寝室の重厚なドアがノックされる。
「黒崎プロデューサー、パーティー用のお衣装が届きました」
「何だ、いいところなのに」
「えぇ、まったくですぅ♡」
「失礼します」
その声が落ちた瞬間。
怜花は黒崎の首からすっと腕を解いた。
わずかに紅潮していた頬の筋肉が静かに引き締まり、ベッドの上に凛と立ち上がる。透けるナイトローブの裾を乱れなく整え、ドアへと振り返るその佇まいには、先ほどまで膝元で喉を鳴らしていた雌の気配は微塵も残っていなかった。
「お入りなさい。丁度、旦那様の身支度を終えたところよ」
放たれた声は、冷徹なまでに澄み渡り、気品に満ちていた。
「えっ旦那様!?」
「ええ、そうよ、あたりまえじゃない、それが何か!?」
「はっははあああ・・・・」
「うふふ・・・」
ドアを開けて入ってきたスタイリストたちが、その鋭いまでの美しさに呑まれ、無意識に深く頭を垂れる。
他人の前に立つ彼女は、誰もが息を呑み、決して侵しがたい孤高の「一流女優」。
だが、スタイリストが衣装の包みを解くわずかな死角。
怜花は黒崎の視線を受け止めると、濡れた瞳で舌の先を小さく覗かせ、ただ男ひとりにだけ伝わる淫らな笑みを、そっと投げかけてみせた。
(第13話「愛のカタチ」おわり / 第14話へ続く)
メインヒロインのひとり星崎 怜花が歌う、らいだ~くの挿入歌です
『密室のシルエット』
架空アニメ 「らいだ~く」 挿入歌
歌:星崎 怜花
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