第12話「きざし」
講義が終わった後の大学構内。重い足を引きずって歩く裕也の左腕には、いつの間にか当たり前となった桃華の体温がへばりついていた。薄手のカーディガン越しに伝わる、やけに生々しい柔らかさ。すれ違う連中がチラチラとこっちを見てくるのもお構いなしで、桃華はご機嫌そうに歩幅を合わせてくる。
「裕也くん、今夜は何食べたい? 冷蔵庫にお肉残ってるから、生姜焼きでも焼こうか」
「あ、ああ……悪いな、桃華」
怜花を助け出せない罪悪感で頭がパンクしそうなのに、桃華の世話焼きがズカズカと隙間に入り込んでくる。
だが、その息の詰まる空気を、けたたましい足音と甲高い怒鳴り声がぶち破った。
「――ストォォップ! なに真っ昼間からベタベタくっついてんのよ、ふたりして!」
ドカドカと大股で詰め寄ってきたのは、如月るなだった。
遠目からでも目を引く派手な服と、隠す気配すらないアイドルのオーラ全開のまま、るなは桃華をギリッと睨みつけると、空いていた裕也の右側へ回り込んできた。
「ちょっと桃華! 裕也を一人占めするんじゃないわよ!」
「るな……!? お前、なんでここに」
「顔見に来たに決まってんでしょ! メソメソ暗いツラばっかりしちゃってさあ! ほら、行くわよ!」
言うやいなや、るなは裕也の右腕を力任せに抱え込んだ。
ブラウス越しに、桃華のしっとりした感触とは違う、若くて張りのある胸の弾力がゴリッと腕に押し当てられる。
「ちょっ……るな!?」
「離さないもんね! このるなちんが直々に元気出る場所に連れてってあげるんだから、アナタは黙ってついてきなさい!」
ぐいぐいと自分の胸元へ右腕を引きずり込もうとするるな。
だが、左腕を押さえている桃華も引くどころか、裕也の肩口に体重をかけるようにしてさらに深くもたれかかってきた。
「るなちゃん、裕也くん疲れてるんだから。無理に引っ張り回さないであげて?」
桃華は笑っているのに目がまったく笑っていない。左腕を抱きしめる腕にギュッと力を込め、胸の谷間へ裕也の腕をずぶずぶと埋め込んでいく。
「はぁ!? 部屋でジメジメしてるほうが余計に毒でしょ! 裕也、あたしと来なさい!」
「裕也くんの体調を一番分かってるのは、私だよ」
右からはるなの強引な引っ張りと張りのある感触、左からは桃華の逃げ場のないホールド。
怜花への申し訳なさと、両脇から挟み込まれる強烈な体温と香りで、裕也の頭は完全にショート寸前だった。
「お、おい……ふたりとも、やめろって……!」
「さあ、早く帰ってご飯作ろ、裕也くん」
「ふん、今日はるなのとっておきの魔法で愛を込めちゃうんだから。桃華はもう帰りなさいよね!」
「ざ~んねん。私、もう裕也くんの部屋に一緒に住んでるから」
「な、なぁにぃいいいっ!?」
勝ち誇った顔の桃華に、るなは「ぐぬぬぬ……」と悔しそうに歯ぎしりをする。
そのままギャーギャー揉めながらアパートの路地まで辿り着くと、電柱の陰から、でかいビニール袋を両手に提げたゆめがぬっと現れた。
「おう! 裕也、奇遇だな」
「ゆめちゃん……?」
「ちょっとアンタ、何が奇遇よ!?」
キョトンとする桃華の横から、るなが即座に指を突きつける。
「な、何言ってんだよ二人とも。ホントにぐーぜんだって!」
「怪しすぎるでしょ! なんなのそのパンパンに詰まった買い物袋!」
「うっ……い、いや、これは……」
「…ねえ、いったい、これからどこ行くつもりだったの、ゆめちゃん?」
「そ、それはだな……」
「ここ、どう見ても裕也んちに向かう一本道じゃない! 隠したって無駄よ!」
「こんのぉ~っ、泥棒猫があああ!!」
「るなちゃんにだけは言われたくないわ……」
あからさまに目を泳がせていたゆめだったが、開き直ったように桃華の背中をバシッと叩いた。
「おまえたちだってそうだろう!」
「「む~~~~っ」」
目の前のライバルを蹴落せばいいと思っていたふたりにとって、ゆめの電撃参戦は予期せぬ出来事であった。
呆れ顔の桃華がポケットから鍵を出してドアを開け、一歩中へ足を踏み込んだ途端だった。
夕暮れが落ち始めた玄関先の薄暗がりの中で、土足を脱ぎ捨てようとしたるなの細い首元が、ふっと異様な輝きを放った。
襟元から覗く白い素肌に巻きついた黒いチョーカー――その中央に埋め込まれた極小のインジケーターが、青い光をチカチカと不気味な明滅させていた。怜花を縛りつけているあの器具とよく似た冷たい光。けれどるな本人は首元を気にする素振りすら見せず、ずかずかと土足同然の勢いで上がり込もうとしている。
「おかえりなさいませ、裕也様♡ お待ちしておりましたわ♡」
――ずざざざざざざっ!
玄関先で三つ指を立て、満面の笑みで正座していた、日本の貞淑若妻を思わせる和服正装姿にエプロンというレンの姿に、裕也とゆめ以外の全員が盛大にズッコケた。
「れ、レンちゃん……!?」
「おうレン、早かったな!」
「おかえり、ゆめ。買い出しご苦労さま! こっちも準備バッチリよ!」
「はっ……!? 準備って、なに……!?」
血相を変えた桃華が靴を脱ぎ散らかして六畳間へ踏み込むと、そこは昨日までの部屋とは完全に別物になっていた。
小さなローテーブルには、裕也の好物ばかりを揃えた唐揚げや煮物が山盛りで湯気を上げている。その横にはゆめが買ってきた栄養ドリンクの十本入り箱や惣菜パックがドカドカと積まれ、それだけじゃなく、昨日桃華が裕也の布団の横に並べたはずの花柄の枕は部屋の隅っこへポイと追いやられていた。
代わりに敷かれていたのは、レンの淡いピンクの寝袋と、ゆめのジャージ。裕也の寝床を左右からガチガチに挟み込む配置だった。
「こ、これ……っ!? わたしの枕どかして何してんのよ! ここは私と裕也くんの部屋なのに……!」
「あら桃華さん、何言ってるのかしら? 裕也さんがこんなに弱ってる時に、一人に押しつけるわけにはいかないじゃない♡」
和服に白い割烹着を重ねたレンが、これ以上ないほど猫をかぶった顔で桃華を見上げる。
「そうだぜ桃華! 一人で抜け駆けして正妻ヅラすんなっての! 裕也の胃袋掴むのはあたしたちだ!」
腕まくりしたゆめがフンスと鼻息荒く仁王立ちして、レンとパチンとハイタッチを交わす。
(あっあたしと裕也くんとの愛の巣になるはずが…こうもあっさりと…)
(へっへーん、ざまーみろ!)
(桃華、そうは問屋が卸しませんことよ)
(……こいつら、手際良すぎでしょ……!)
「こんの泥棒猫共が~~~!!!」
念願の愛の巣計画をぶち壊された桃華が、鼻息荒げにブチ切れると三人からはお約束の返答が返ってきた。
「「「あんただってそうだろうが!!!」」」
ワナワナ震える桃華と、ライバルたちの抜け目のなさに舌を巻くるな。
だが、事態は口喧嘩だけじゃ収まらなかった。
「早い者勝ちですわ、桃華さん。ほら裕也様、あーんしてください♡」
レンがすかさず唐揚げを箸でつまみ、すり寄るようにして裕也の唇へねじ込んでくる。
「ちょっ、レン、お前なにを……んぐっ!?」
「あっ! レンずるいぞ! 裕也、喉乾いただろ、これ飲め!」
ゆめがパキッと栄養ドリンクの蓋をもぎ取り、裕也の首根っこを背中から抱え込むようにして口元へ突き出す。
「ちょ、ちょっとアンタたち! 裕也の右腕はあたしのなんだからね!」
るなが叫びながら、裕也の右腕を再び自分の胸の谷間へ力いっぱい引き戻す。
「裕也くんは私のモノです……! 離しなさい!」
桃華も引きつった笑顔のまま、左腕を全体重で締め上げ、背中にぴったり張りついて絶対に離そうとしない。
正面からは割烹着姿のレンの上目遣いと手料理のゴリ押し、背後からはゆめのスポーティーな密着とドリンクの流し込み。左右からはるなと桃華による、二つの胸の生々しい弾力がギリギリと腕を圧迫してくる。
「だ、誰か……助けてくれ……っ!」
四方から浴びせられる熱気と香水と体温。もみくちゃにされた裕也の意識は、怜花への罪悪感を置き去りにしたまま、完全に押し流されようとしていた。
◇
その喧騒から遠く離れた、外界の光を遮断した黒崎の寝室。
そこにはもう、かつての星崎怜花の姿はどこにもなかった。
本来なら上位個体である怜花が、黒崎や氷室ごときの言いなりになるはずがない。だが、首元に食い込む【超高性能プロテクトチョーカー】が、延髄へと容赦のないパルスを送り続け、怜花の精神防壁を根こそぎ破壊していた。
それどころか、過酷な環境を生き延びようとするニューマン特有の生存本能が暴走し、「男からの支配と絶対の命令を受け入れることこそが生き残る道だ」と魂そのものを書き換えてしまっていた。
かつて気高く引き締まっていた精神の防壁は消失し、その佇まいは男の存在にすべてを委ねるように深く沈み、自我は彼への絶対の服従を刻まれて熱い呪縛を帯びている。
身につけているのは、薄く透ける黒いドレスが一枚きり。
隠す気配すらない無防備な布切れの奥で、完全に自由を奪われたその美しい器も、伏せられた意識の最奥にある歪んだ隷属の影も、無防備に晒されていた。
首元の黒い金属輪だけが、青い小さなランプを脈打つようにチカチカと明滅させている。
ベッドから立ち上がった黒崎を見上げ、怜花は自分から床に膝をついた。
その瞳には、もはや意志の光など微塵もない。ただ目の前の主人に飢え、絶対の命令をねだる獣のような濁った光が揺れているだけだった。
「……ついてこい」
黒崎が歩き出しながら、太い指先を怜花の顔の前に突き出す。
怜花は喉を鳴らし、その支配を全面的に受け入れるかのように指先へとすがりついた。
「んむ……っ、れろ……ちゅぅ……」
立ち上がることすら思い出せないのか、怜花は四つん這いのまま、床に手と膝をついて黒崎の足元を這いずり回る。
首輪の青い光を点滅させ、男の放つ重圧に自らの意識を完全に委ねながら、じわじわと心を蝕む洗脳の波に呑まれて主人の後ろを追いすがる。
一歩進むたび、薄いドレスの奥で、支配された魂がゆらり、ゆらりと不気味に揺れる。
男の威圧に抗えず無意識に平伏し、身悶えしながら、従順な人形のように黒崎の足跡をなぞっていく。
ソファの前で黒崎が立ち止ると、怜花はすがるようにその足元にかじりついた。
唇を離すと、深い依存の吐息が漏れて消える。
「黒崎、さまぁ……っ♡ もっと……もっと、撫でてぇ……」
頭の芯まで精神変容で焼き切られ、誇りも記憶も失った女の、甘ったるくねっとりとした服従の声。
怜花は自分から背伸びをして、黒崎の存在へすべてを委ねるようにすがりついた。
「いい子だ、怜花」
黒崎が低く笑い、首輪の縁をなぞりながら、乱れた黒髪をわしゃわしゃと雑に撫で回す。
頭頂部に男の手のひらの熱が伝わった瞬間、怜花は背筋をピクンと跳ね上げ、長い睫毛を伏せてトロトロに蕩けた笑みを浮かべた。
「あはぁ……っ♡ ふふ……んっ……」
頭を撫でられただけで精神を震わせ、喉を鳴らす。
黒崎はそのまま、強引な力で怜花を軽々と引き寄せると、完全にすべてを上書きされたベッドの上へ放り投げた。
怜花は首輪の青い光に抱かれ、ただ与えられる絶対的な支配の泥沼へ、深く、深く沈み続けていた。
そんな奈落の現実など露知らず。狭いアパートの六畳間では、桃華、るな、レン、ゆめによる「裕也の隣」を懸けた熾烈な争奪戦が、夜の更けるのも忘れてヒートアップし続けていた。
(第12話「きざし」おわり / 第13話へ続く)
メインキャラクターのひとり天咲 弥勒(HED)が歌う、らいだ~くの挿入歌です
『Dreaming Parade』
架空アニメ 「らいだ~く」 挿入歌
歌:天咲 弥勒 & HED
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