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第11話:ヨナヅキ

日が落ちる前に、近くの宿を取った。


道路沿いにある、小さな宿。


看板は少し色あせているが、営業はしている。


***


フロントで名前を書く。


ペン先が、やけに紙に引っかかる気がした。


***


「お一人ですか?」


***


顔を上げる。


年配の女性だった。


***


「はい」


***


「この辺りは、初めてですか?」


***


「ええ」


***


軽く頷く。


***


「観光ですか?」


***


少しだけ間があった。


***


「……仕事みたいなものです」


***


女性はそれ以上は聞かなかった。


***


「お部屋はこちらです」


鍵を差し出される。


***


受け取る。


***


そのまま階段へ向かいかけて――


***


足が止まる。


***


振り返る。


***


「すみません」


***


女性が顔を上げる。


***


「この辺りで、少し聞きたいことがあって」


***


「はい」


***


「海沿いの方で、細い道ってありませんか」


***


その瞬間。


***


女性の表情が、ほんのわずかに固まった。


***


すぐに戻る。


***


「道、ですか?」


***


「分かれ道みたいな」


***


「草に隠れているような」


***


言いながら、自分でも曖昧だと思う。


***


女性は、少しだけ視線を落とした。


***


「この辺りは……道は多いですから」


***


はぐらかすような言い方。


***


「そうですよね」


***


一度、引く。


***


けれど。


***


「昼間に見つけたんです」


***


言葉を重ねる。


***


「少しだけ、入って」


***


そこまで言ったところで。


***


女性の手が、止まった。


***


「……ヨナヅキの方ですか?」


***


静かな声だった。


***


「ヨナヅキ?」


***


聞き返す。


***


女性は、すぐには答えなかった。


***


ほんの少しだけ迷ってから。


***


「この辺では、そう呼ぶことがあります」


***


「昔から、そう言われています」


***


意味は説明しない。


***


「どういう意味なんですか」


***


自然に出た問い。


***


女性は、ゆっくりと首を振った。


***


「分かりません」


***


短い答え。


***


「ただ」


***


一度だけ、こちらを見る。


***


「夜は、行かない方がいいと思います」


***


柔らかい言い方だった。


***


でも、はっきりしていた。


***


「……そうですか」


***


それ以上は聞かなかった。


***


軽く頭を下げる。


***


そのまま階段を上がる。


***


部屋に入る。


***


ドアを閉じる。


***


鍵をかける。


***


ベッドに腰を下ろす。


***


「ヨナヅキ……」


***


小さく呟く。


***


意味は分からない。


***


でも。


***


さっきの分かれ道と、結びつく。


***


しばらく、そのまま動けなかった。


***


やがて、立ち上がる。


***


部屋を出る。


***


もう一度、下に降りる。


***


フロントには、別の男が立っていた。


***


四十代くらいだろうか。


***


整った服装。


無駄のない立ち方。


***


目が合う。


***


「いらっしゃいませ」


***


落ち着いた声。


***


「すみません」


***


近づく。


***


「少し、お聞きしたいことが」


***


男は軽く頷いた。


***


「どうぞ」


***


「さっき、ヨナヅキって言葉を聞いたんですが」


***


その瞬間。


***


男の視線が、わずかに変わった。


***


「……どこで?」


***


短い問い。


***


「フロントで」


***


嘘ではない。


***


男は、少しだけ考えるように黙る。


***


やがて、小さく息を吐いた。


***


「この辺では、そう呼ぶ人もいますね」


***


否定はしない。


***


「どういう場所なんですか」


***


「特別な場所、というわけではありません」


***


即答だった。


***


でも。


***


どこか距離がある。


***


「ただ」


***


言葉を選ぶ。


***


「行く人は、あまりいません」


***


理由は言わない。


***


「危ないんですか」


***


「……危ない、というより」


***


少しだけ視線を外す。


***


「居心地のいい場所ではないですね」


***


曖昧な言い方。


***


それで十分だった。


***


「昔から、ですか」


***


「ええ」


***


短く頷く。


***


「昔から、そう言われています」


***


また、それだけだ。


***


説明はない。


***


「行った人は?」


***


聞いてみる。


***


男は、ほんの一瞬だけ黙った。


***


「戻ってくる人もいます」


***


“も”。


***


その一言が残る。


***


「……も?」


***


聞き返す。


***


男は、わずかに笑った。


***


営業用の、作られた表情。


***


「気のせいかもしれませんが」


***


「少し様子が違う、という話は聞きます」


***


それ以上は言わなかった。


***


沈黙。


***


「……ありがとうございます」


***


頭を下げる。


***


そのまま、部屋に戻る。


***


ドアを閉じる。


***


鍵をかける。


***


ベッドに座る。


***


静かだ。


***


さっきよりも、ずっと。


***


「ヨナヅキ」


***


もう一度、口に出す。


***


意味は分からない。


***


でも。


***


確かに存在している。


***


この土地に。


***


昔から。


***


窓の外を見る。


***


完全に夜になっていた。


***


暗い。


***


その向こうに。


***


あの道が、続いている気がした。


***


目を閉じる。


***


すぐに浮かぶ。


***


細い分かれ道。


***


奥へ続く影。


***


そして――


***


“静かすぎる場所”。


***


眠れる気はしなかった。

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