第8話:途中の痕跡
市内を出たのは、昼を少し回った頃だった。
営業所でレンタカーを借りた。
同じ車種は、選ばなかった。
理由は、自分でもよく分からない。
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ナビに目的地は入れない。
ただ、南へ。
それだけを頼りに走る。
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市街地を抜けると、景色が変わる。
建物が減り、空が広くなる。
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やがて、海が見えた。
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道路の左側。
青い色が、途切れることなく続いている。
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窓は閉めているのに、
どこかで“音”を想像してしまう。
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波の音。
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聞こえているわけじゃない。
それでも、そこにある気がした。
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ホテルで聞いた言葉が頭をよぎる。
“南の方に行きたいんだけど”
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ハンドルを握る手に、少しだけ力が入る。
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しばらく走る。
特に変わったことはない。
普通の道だ。
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ただ。
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時々、妙に車が少ない区間がある。
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さっきまでいたはずの車が、
気づくといなくなっている。
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平日の昼間だからかもしれない。
そう思って、考えるのをやめる。
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やがて、小さなガソリンスタンドが見えてきた。
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通り過ぎようとして、少し迷う。
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――止まるか。
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ウインカーを出して、敷地に入る。
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給油をする。
機械的な音。
単調な作業。
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それでも、どこか落ち着かない。
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給油機の表示を、意味もなく見続ける。
数字が増えていく。
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現実に繋がっている感じがして、
少しだけ安心する。
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レシートが出る。
受け取って、ポケットに入れる。
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そのまま帰ろうとして、足が止まる。
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建物の中に、人の気配があった。
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ドアを開ける。
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「いらっしゃいませ」
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中には、年配の男性が一人。
カウンターに立っていた。
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テレビがついている。
音は小さい。
何を言っているのかは分からない。
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少し迷ってから、口を開く。
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「すみません、ちょっと聞きたいことがあって」
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事情を説明する。
全部ではない。
車のことだけ。
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「この辺りで、こういう車見ませんでしたか」
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スマホの画面を見せる。
車種と色。
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男は目を細めて、それを見た。
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「さあなあ」
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一度、首を振る。
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「この道、いろんな車通るからな」
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それもそうだ。
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「ですよね」
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引き下がろうとする。
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そのとき。
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「ああ」
男が、思い出したように声を出す。
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「夜に一台、来たかもしれん」
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足が止まる。
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「夜?」
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「ああ」
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「遅い時間だった」
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心臓が、少しだけ速くなる。
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「女の人だったと思う」
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“思う”。
その言い方が、引っかかる。
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「給油して、すぐ出ていった」
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「どっちに?」
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思わず聞く。
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男は、外を指差した。
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「そのまま、下の方に」
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南。
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「何か、変な様子とかは」
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少し考えるように、顎に手を当てる。
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「……別に」
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間。
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「いや」
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言い直す。
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「ちょっとだけな」
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視線が、こちらに戻る。
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「道、聞かれた」
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息を止める。
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「どこに?」
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「この先、まっすぐでいいかって」
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ホテルと同じだ。
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「それで?」
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「いいって言った」
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当然の答えだ。
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「ただ」
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また、言葉が止まる。
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「なんか」
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曖昧に濁す。
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「変だったかもしれん」
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胸の奥が、わずかにざわつく。
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「どういう」
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「うまく言えんけどな」
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少しだけ眉をひそめる。
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「聞いてるのに、聞いてない感じっていうか」
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――。
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「会話が、噛み合ってないような」
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それ以上は言わなかった。
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テレビの音だけが、わずかに流れている。
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さっきより、少しだけ小さくなった気がした。
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「……そうですか」
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それだけ返す。
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「ありがとうな」
男が軽く手を振る。
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店を出る。
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外の空気が、さっきより重い気がした。
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車に戻る。
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ドアを開ける前に、立ち止まる。
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今の話。
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ホテルと、似ている。
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“道を聞く”
“南へ行く”
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それだけなら、偶然で済む。
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でも。
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“噛み合ってない”
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その一言が、残る。
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車に乗り込む。
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エンジンをかける。
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前を見る。
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道は、まっすぐ続いている。
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南へ。
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アクセルを踏む。
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バックミラーに、さっきのスタンドが小さく映る。
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その前に。
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一瞬だけ。
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――立っていた気がした。
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誰かが。
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振り返る。
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もう、何もない。
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「……気のせいか」
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小さく呟く。
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その声が、思っていたより小さく聞こえた。
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車を走らせる。
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道は、まだ続いている。
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終わりが見えないまま。




