神子作戦
承平六年六月、夏の初めの事。
青田が美しい鎌輪に、今度はあの良兼が兵を挙げたとの知らせが入った。
半年毎に決まったように誰かが豊田に兵を向けてくるので、御館様も呆れて、いつもの事だから暫く様子見をせよと、軽くあしらう程だった。
しかしそれが、過去の諍いと様子が違うと知れたのはそのひと月後。
常陸国の端、水守という地に本陣を敷いた良兼の軍勢に、良正と、更には和解を進めていた筈の国香の子、貞盛も兵を率いて加わったと言うのだ。
「何故そこに貞盛が加担する?和平を進めて居ったでは無いか。良兼など、そも今更戦をする火種も無い筈だが……。」
御館様をはじめ豊田の郎党達は皆驚き、それから首を傾げ、その不可解な挙兵を訝しんだ。
少しして分かったのは、どうやら彼らは皆、源護の息が掛かっているという事。
源護は姻戚の良正にまず兵を挙げさせ、良正から良兼に、良兼に説得される形で貞盛が加わったという事らしい。
流石にこの兵力差では太刀打ち出来ないのではないかと、日々増えて行く敵兵の数に、豊田の兵達は焦りはじめた。
しかし、この事態に危機感を抱いたのは、豊田兵だけでは無かった。
豊田郡のある下総国と、良兼の領地がある隣国上総の国庁が、いたづらに戦を助長してはならないとして、良兼達に撤退を命じたのだ。
国庁と言うのは現代で言う県庁の様なもので、それぞれの領地は現代の市町村の立ち位置に近い。
この坂東平氏を中心とした一連の合戦は、近隣の市町村同士の争いと言う風に捉えられていた。
争いが大きくなれば国が荒れる。
それを防ぐ為に、国庁は今回こうして触れを出したのだ。
しかし、坂東における国庁や朝廷の存在感は弱い。
良兼達の軍勢は、国庁の触れに背き、尚も進軍を続け、日に日に豊田へと迫った。
「源家の甘言に惑わされて、平家一門が争い合う。こんな可笑しな戦があるか。叔父達と話を付けに行く。」
何度目かの軍議の席で、御館様はそう言うと、たった百人程度で騎馬隊を編成した。
しかしこれには弟君達を初め、郎党の多くが反対をした。
「こんな少数で行かれるのですか⁈」
「御館様、それは無茶です、相手は何千の兵と聞きます。こちらもその様にせねば話も何も有りますまい。」
必死に御館様を説得しようとする郎党達に、御館様は少し困ったように頭をかいた。
「しかしな……其れでは本当に戦支度と言うもの。俺は此度ばかりは戦をするつもりは毛頭無い。」
御館様の言う事は最もだった。
この時代、同族同士の争いは珍しくはないが、それにしても、一族外の者から唆されてする一族同士の戦程虚しいものは無いと思う。
わたしは郎党達へ麦茶を配りながらこの軍議を聞いていた。
此処へ来て初めて知ったけれど、麦茶は平安時代から存在する。
麦の粉を湯に溶かした麦湯と言う名で、味も現代とそんなに変わらない。
こんな昔から現代に続く文化があるんだなと、日本文化の歴史に思いを馳せて居る間に、軍議は佳境に入ったらしい。
「何か、戦わずとも良兼達が慄いて引き退る様な事が有れば……」
郎党の一人が、渋い顔をして俯いた。
それに続いて、他の者も同じ顔をして考えを唸り出す。
「一昔前の様に、蝦夷などが攻めて来れば停戦となりましょうが……。」
「今更蝦夷が戦を起こす事など無いだろうよ。」
「では都から勅使でも参ったと使者でも出すか?」
「居ないと知れれば其れこそ戦になるぞ!」
「それならば、何処ぞの神より神託が有ったとでも言った方が早いのでは?」
各々が意見を述べて軍議が盛り上がる中、何の気無しに郎党の誰かがそう言った。
「それだ!」
また違う誰かが声を上げると、郎党達の視線が、一様にわたしを見た。
急に皆に凝視されて、嫌な予感しかしなかったけれど、恐る恐るわたしは御館様に目を向けた。
「浮草」
新しい玩具を見つけた子供の様な、それにしては強すぎる視線で、御館様はわたしを射抜く。
素直に返事をする他はなかった。
「はい……」
「話は聞いていたな。お前は良兼に言わせれば神子なのだ。お前が少しめかしこんで馬上に居れば、奴らは矢も射られまいよ。」
話は聞いていたけれど、そんな事は誰も言っていない、なんて言えるはずもない。
「あの……?そんなに上手くいきましょうか?敵は何千と伝え聞きました。」
「何、心配する事はない。万事抜かりなく手筈は整えてやる。万が一戦となれば真っ先に逃がす。もうお前も一人で馬を操れるだろう。」
「……分かりました。精一杯努めさせて頂きます。」
わたしの精一杯の拒否は、何の意味も為さなかった。
そもそも客分とは言え、わたしは所詮居候。
更に屋敷の主人である御館様直々の命令とあっては、わたしに断る事など出来はしない。
わたしはがっくりと肩を落としたいのをぐっと我慢して、なんとかその場を乗り切った。
出陣の当日、いつの間に呼んだのか、屋敷には白拍子上がりの使用人や都暮らしの経験のある遊女などが集まっていて、あっという間にわたしは飾り立てられた。
現代から一緒にやってきたキュービックジルコニアは、今は額に光っている。
これはわたしがお願いした。
少しでも生存率を上げる為に、この時代には無いものを身につけて神々しさをアップさせようと思ったのだけれど、単と呼ばれる貴族の着物に、ネックレスは似合わなすぎる。
孫悟空とか頭に輪っかが付いていたし、大陸風…にするなら多分こうかなと思ったのだ。
そもそもこの平安時代、現代で言うアクセサリーが殆どない。
ピアスもネックレスも、身に付けられていたのは平安の世の始まり頃まで。流行りの国風文化にはアクセサリーは要らないらしい。
施された化粧も、綺麗な仕上がりだけど紅と眉墨と白粉だけの簡素なもの。
グロスやグリッターみたいなキラキラした代物はもちろんこの時代には無いけれど、わたしは運良くそれを持っている。
せっかくなので一緒にこの時代にやってきたバッグの中のメイク道具を少し使った。
此処へ来て六年ほど経つけれど、見た目の上では大きな劣化は無く、ちょっと後の肌荒れが怖いが、とりあえず普通に使うことが出来た。
そうして竜宮城の乙姫様の様な格好をして、飾り立てられた馬に乗り、わたしは百騎程の御館様の騎馬隊と共に鎌輪を発った。
これから向かうのは戦場になるかもしれない場所。
そんなの、何度経験しても恐ろしい。
だけど、馬を引いて来た子春丸が、着飾ったわたしを見てあんぐり口を開けて驚いていたのを見て、気負っても仕方ないと、少し肩の力を抜く事が出来た。
きちんと鞍を付けても、馬の振動で恥骨が痛む。
それは多分わたしの乗り方がまだまだ下手だからだと思うけれど、痛みを隠して気取った表情をするのは結構大変だ。
でも途中の豊田の各地で、わたし達を見た民達が慌てて皆首を垂れて拝み倒してきたので、恐らくそこそこ神聖な感じに仕上がったのだと思う。
良正、良兼、貞盛らの軍勢と相対する事になったのは、下野と下総の国境辺りの場所だった。
時刻は丁度、豊田の陣営の後ろから日が差す時間帯。
初めは意気揚々としていた彼等の軍勢は、豊田兵の後方から、人馬に道を開けさせる様に前へ進み出た、わたしの存在に酷くたじろいだ。
そうして御館様の言う通り、本当に矢の一本も打てなくなってしまったのだ。
神仏怨霊の信じられていた平安時代の、何て御し易い事だろうと、馬上で真顔を貫きながら、わたしは内心びっくりした。
「同族同士のの無益な争いは即刻辞めよ!」
わたしは、大きな耳飾りを揺らし、多少震える声で、煌びやかな馬上でそう言い切った。
そして後ろに侍らせた数騎に高く矢を射らせて威嚇する。
矢はぴょうと風切り音を立てて、夕暮れの近い空に吸い込まれて消えた。
その瞬間、相手のどよめきをはっきり感じた。
叔父達の兵はたったそれだけで恐れ慄いたのだ。
それを敏感に感じ取った相手方の馬が一騎、前脚を上げて嗎くと、それを皮切りに叔父達の兵は皆、そのまま土煙を立て、国境から我先にと逃げ去って行った。
御館様の講じたこの作戦は、見事戦う事なく敵を退けたのだった。
しかし、一つだけ誤算があった。
叔父達の兵は自分の領地に帰れば良いのに、何故か領地のある常陸や上総の方面では無く、下野の方面へ逃げて行った。
仕方なく御館様達が後を追うと、今度は下野の国庁に逃げ込んでしまったのだ。
流れで御館様も国庁を囲んだが、そもそも豊田兵は戦をしに来た訳ではない。
直ぐに国庁の包囲を解くと、今度こそやっと叔父達は、自分達の領地へ引き上げて行った。
それを見届けたわたし達豊田の軍勢も、何の被害も出なかった事を喜んで、浮き足立つ気持ちで鎌輪へ帰還した。
帰り道は、領地のどの集落を通っても皆が祭気分であり、鎌輪の屋敷へ帰ると直ぐに宴となった。
わたしも馬上の功を労って貰い、兵達に混じって少しだけ呑んだ。
途中からあまり記憶はなかったけれど、とても楽しかった事は覚えている。
それから、このままもう戦などせずに暮らしたいと、回らない頭の端で考えていた。




