川曲の合戦
御館様の叔父達による理不尽な奇襲から始まったこの諍いの、後味の悪さと言ったら無かった。
初めは被害者であった豊田の軍勢は、いつの間にか加害者となり、国香や扶達の領地がある常陸国に多大な被害をもたらした。
そのことは、当然周りの国にも伝播し、皆豊田を、その領主である御館様を大いに畏れ、敬い、また憎んだ。
嵯峨源氏の領地は扶達の父、源護が再興を指揮し、国香の領地は、都勤めをしていた国香の息子、貞盛が帰郷し受け継いだ。
貞盛は帰郷して直ぐ、先に仕掛けたのが国香だと知り、御館様と和解の意思を見せた。
しかし、息子達を殺され、源家の領地を焼かれた源護の悲しみと憎しみは深かった。
野本での合戦より半年と少し過ぎて、わたし達はそれを思い知らされる事となったのだ。
承平五年の十月。
普段、豊田の各所に屋敷を構える郎党の一人が、鎌輪の屋敷に駆け込んできた。
御館様の叔父の一人、良正が豊田郡に兵を向けている、と言うことだった。
豊田の郎党達は皆、初めは半信半疑だった。
と言うのも、御館様と良正との間には何の確執も無い。
しかし、良正も国香と同じく、源護と姻戚関係を結んで居て、更には兄である国香を亡くしている。
源護が御館様を憎んでいる今、良正が御館様に弓を引く理由は大いにあったのだ。
第二、第三の早馬の伝達で、良正の足取りが確実に豊田に向いていると分かると、御館様は直ぐに戦支度をして鎌輪の屋敷に郎党達を集めて軍議を行った。
それは短時間の内に終わり、豊田郡の端の川曲という地で良正を迎え撃つことに決まった。
斯くして、鎌輪に集まった豊田兵は、皆川曲へ出陣して行った。
その中には、多くの農兵の姿があった。
米の収穫時期と被っていたけれど、皆鎌輪に武装をして駆け付けてくれたのだ。
何せ川曲が破られれば、鎌輪にも良正の軍勢が押し寄せてくる。
皆が領地を守る事に必死だった。
この時代の戦は過激で、惨い事だけれど、負けた地の民は人間としての扱いは受けられない。
それはわたしも、野本の合戦で良く思い知っている。
あの合戦以降、わたしは法成寺行きの回数を減らし、屋敷の使用人達から屋敷の仕事や炊事を学んだ。
それから、御館様の行う政務の手伝いもさせて貰う様になった。
いつ現代に帰れるか分からない以上、此処で生きて行けるように、自分の居場所を作りたいと思ったから。
それが今回、ようやく活きた。
人手の減った鎌輪で、わたしは屋敷の日々の炊事や畑仕事なども手伝った。
火の扱いには慣れないので、煮炊きはさせて貰えなかったけれど。
屋敷には使用人の女性達と、屋敷を守る男達、それから避難してきた領民達が集まっていた。
わたしは客分では無く一人の領民として、心は豊田の兵達と共に、自分の出来る戦をした。
それは、息もつけない程の緊張感。
わたし達は、皆で励ましながら、この仄暗い緊張感の中を過ごした。
それから数日後、鎌輪の屋敷へ勝利を知らせる早馬が駆け込んで来た。
知らせによれば既に豊田兵は帰還の途についていると言う。
これは戦の後にしては随分と早い事で、自力で直ぐに出立出来るほど、兵が消耗していない事を表している。
そしてもう一つ、掠奪や兵の暴走も起きておらず、指揮が取れているという証でもあった。
良正の軍勢をを川曲で退けた豊田兵は、先の野本の合戦とは違い、良正の領地まで押し入る事なく、ただ真っ直ぐに帰還したのだ。
これは全て、御館様の指示だと言う。
それから屋敷は直ぐに、帰還兵を迎える為の準備に追われ、わたしも領民達と共にその嬉しい忙しさに身を委ねた。
わたしが帰還した御館様達と顔を合わせたのは、集まった農兵達が皆それぞれ家路に着いてからの事だった。
「お早いご帰還で安心致しました。」
「何だ浮草、俺の心配でもして居ったのか。」
わたしはその日、御館様やその側近達と屋敷の一室に詰めて帳簿を付けていた。
今回の戦の仔細と被害や利益に関するものだ。
この時代は計算方法が確立されていない。朝廷には計算を司る省庁が置かれているらしいけれど、遠く離れた坂東の地から、その方法を伺い知る事は出来ない。
この領地では一つ一つ、原始的にに数え方をしていたから、わたしは簡単な仕分け方や並べ方、それを使って掛け算などの筆算を教え、文官に当たる側近達と共に計算仕事をこなしていた。
「いいえ……。あ、いえ、もちろん御館様のことも心配して居りましたけれど、その……関係無い民が巻き込まれたらと思うと、心苦しく思って居たのです。」
野本の合戦は、わたしの心に深く傷を残した。
御館様も将平様も、あの場に居合わせた者もそうで無い者も、皆気にするなと言ってくれたけれど、あれはやはりわたしから始まった戦に思えたし、何より源家や国香の領地を簒奪する様子は本当に恐ろしく、何度も夢で魘された。
しかし、領地が潤うという意味で、これは勝った側からすれば喜ばしい事。
それ故に、余り今まで口に出す事が出来なかった。
だからこそ、御館様が今回良正の領地を蹂躙しなかった事に、わたしはとても安堵したのだ。
「そうだな。あれは俺も、少しばかりやり過ぎたと思わない事もない。桔梗にも泣かれた。あやつもお前と同じ事を言う。」
「桔梗様が?」
桔梗様とは、御館様の奥方の一人で、御館様の一の寵妃である。
わたしも会った事があるけれど、嫋やかで美しく優しい、花のような女性だった。
「ああ、お前とは気が合うかもしれんな。あやつが他人の領地であっても民を大事にせよと言うから、良正叔父の領地は桔梗に免じて許してやった様なものだ。」
「では此の事を良正様の領地の民が知れば、桔梗様をそれこそ神子の様に崇められるでしょうね。」
「さてな。」
言いながら、御館様は頭を掻いた。桔梗様の名前を出して、少し照れているようだった。
帳簿の完成と共に、川曲の合戦の話はこれで仕舞いとなった。




