届いた官符
幾日か続いた宴も終わり、平穏な日々を送り始めていた承平六年の十月。
筑波山の山頂が少し色付いた頃、御館様は京の都へ出向く事になった。
これは、今年の初めに御館様の元に届いた一通の書状が元凶だった。
その書状は官符と呼ばれる朝廷からの公文書で、その内容は御館様を告状の詮議の為に朝廷へ呼び寄せる、というもの。
話は野本の合戦の後にまで遡るが、合戦で息子を殺された源護が、御館様を訴える為に朝廷へ文を出していたらしい。
それが、告状。
そこには、御館様が理由も無く護の息子達を殺し、領地を焼いたと殆ど嘘のような内容が書かれていたらしく、御館様へ届いたのはその訴えに対する、要するに出頭命令だった。
「そんな、仕掛けて来たのは向こうだと言うのに!」
「こんな一方的な話、受け入れられる訳がない!」
これを聞いた豊田の民は、農民も兵も皆憤慨した。
領主が長期間不在になると言う事は、それだけ治安が荒れると言うこと。
法の無い時代に、領主という抑止力は必要不可欠だ。
しかし、朝廷から出される官符に従わねば謀反とされ、それこそ厳しく罰せられる。
既に、官符が届いてから半年以上が過ぎていた。
これ以上出発を遅らせれば、謀反と捉えられ兼ねないような時期に差し掛かっている。
まだ豊田の周囲、もとい叔父達の動向は不安定だったけれど、もはや何を置いても、都へ赴かなければならなかった。
「案ずる事はない。朝廷はどちらが先に仕掛けたのかを知らんだけなのだ。きちんと赴き、こちらに落ち度がない事を伝えれば、朝廷の公達にも分かって貰えよう。」
御館様は何事もないような顔でそう言った。
しかし、郎党達は言葉一つで納得する事は出来ない。
坂東人は、朝廷を信用していないからだ。
「それでも、心配でございます。朝廷の政は腐敗していると聞き及びます。そんな所に行って、真実を聞き入れて貰えるか…。」
「それも心配には及ばん。俺とて十五年近く都に居たのだ。仕えていた藤原忠平公は今や右大臣。口添えを頂ければこの国で及ぶ者は居まい。」
不安がる郎党達を一人一人説得し、共に官符を受けた義父の真樹様と、ほんの少数の供を連れて、御館様は京の都へ旅立った。
豊田の守りは、残された弟君達を中心に任せられた。
豊田の民は、領主の不在時を狙って、また叔父達が襲って来やしないかと皆神経を尖らせて過ごしたが、この間の豊田は平和だった。
源護や叔父達は、あとは何もせずともこちらが敗訴すると踏んで居たのかもしれない。
御館様は桓武天皇の五代目の子孫だと言うけれど、御館様を訴えた源護もまた、嵯峨天皇の末代という皇統らしい。
朝廷にも数々の伝手を持つし、手を組んだ貞盛はついこの間まで都勤めをしていたばかりだ。
御館様は十五年程都勤めをしていた割に、望む官位を得られなかったとか、右大臣忠平に気に入られなかったとか、そんな噂を聞いたことがある。
それは多分真実だとわたしは思った。
あの真っ直ぐな性格は、きっと謀略の巡る朝廷では受け入れなれなかったのだろう。
その点、源護や貞盛等は、朝廷の公達に上手いこと取り入って、様々便宜を図って貰っていると聞く。
きっと彼等は今回も、そう言う色々な根回しをして、御館様の敗訴の知らせを今か今かと待ち構えているに違いない。
そして、御館様の性格を知る豊田の民は、御館様の言葉を信じながらも、皆何処か諦観を持って御館様の帰還を待っていた。
しかし次の年の春、鎌輪の屋敷にはなんと御館様の勝訴の知らせが届いた。
勝訴と言うより、免罪という形だったのだけれど、勝率の低かった今回の詮議において、お咎めなしと言うのは事実上の勝訴と言えるだろう。
何故この様な結果になったかと言えば、御館様の弁明が聞き入れられないまま半年程都に留め置かれて居た間に、時の天皇である朱雀帝の元服祝いが行われたからだ。
今回はその祝い事に合わせて、恩赦を受けての帰郷だった。
五月、御館様は京の土産を沢山に担いで、鎌輪の屋敷に帰ってきた。
皆に土産を手渡していた御館様が、わたしの元にもやってきた。
「浮草、お前には此れを。」
手渡されたのは細長い木箱。
まだ新しい木の香りがする。
「私にも下さるのですか?」
わたしは馬鹿みたいにぼんやり受け取ってから、やっとそう声を出した。
この時代に来て、わたしの持ち物は全て下賜されたものになるけれど、そういう必需品ではないプレゼントは初めてだった。
「当たり前だろう。お前も屋敷の一員だ。」
本当に当然の様にそう言われて、息が止まるくらい嬉しかった。
それでも何だか気恥ずかしくて、わたしは照れ隠しで土産に視線を落とした。
中を開けると、入っていたのは木製の扇子。
広げると美しい花の絵が描かれている。
「綺麗……。本当に宜しいのですか?こんな素敵なものを頂いてしまって……。」
嬉しかったけれど、扇子はこの時代、高貴な身分の姫が持つもの。
わたしには少し分不相応な気がして、素直に受け取るのが少し躊躇われた。
「使わなくとも、魔除けとして持っておけ。お前はそういうものを知らないだろう。取っておけ。」
わたしの心を知ってか知らずか、御館様はそう言って薄く笑んだ。
「かたじけなく存じます、大切にします。」
大事に仕舞うか、手元に持っておくか悩んで、わたしはそのまま着物の合わせの奥に仕舞い込んだ。
勿体無いとも思ったけれど、魔除けと言うし、嬉しかったから身につけておきたいと思ったのだ。
御館様帰郷の知らせは瞬く間に領地の各地に知れ渡り、豊田はまた、宴に沸いた。




