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野本の合戦


それからまた四年ほど経った、承平五年の二月のこと。


 都では変わらず飢饉が続き、最近では瀬戸内の海賊騒ぎなどにも悩まされていると聞くが、豊田では豊作が続き、民の顔には笑顔が溢れている。


 一方で一時期、御館様とその叔父良兼の仲が急速に冷え込み、小競り合いにまで発展したが、これも今では互いに沈黙を保っていた。

 この小康状態の続く中で、わたしは少し前より勉強のための法成寺行きを再開させていた。

 言葉も文字もすっかり習得したけれど、客人扱いのわたしはあまりする事が無いので、せっかくなら色々学ぼうと思ったのだ。


 社会人をしていた頃に比べると余裕はあるけれど、この場所での暮らしにも慣れて、わたしはこの頃どこか手持ち無沙汰を感じ始めていた。

現代人の悲しい性だと思う。


 そして、その手持ち無沙汰の解消のため、今日も法成寺への道すがらである。

 わたしの乗る馬は御館様の弟君、将平様が手綱を取ってくれている。

良兼との一件以来、作付地へ出る時や出掛けの際は、今でも将平様に供をしてもらっていた。


 それから今日は、御館様やその郎党達も一緒だった。

御館様は法成寺のある結城群からほど近い、真壁群に用があるらしく、途中まで同じ道を使うのだと聞いた。

 

 澄んだ冬晴れの下、わたし達一行が街道を通って、野本の集落あたりに差し掛かった時、穏やかな行軍の雰囲気は一変した。

 両側に広がっていた背の高い草地の中から、いきなり一本の矢が飛来したのだ。

それは先頭を歩いていた馬の脚をかすめ、驚いた馬の嗎で、一行全体がどよめいた。

 物見に出た兵が草地の中で太い悲鳴を上げると、その頃にはもう間髪置かずに街道の四方から矢が放たれ、あたりは戦々恐々とした。


 様々な怒号の飛び交う中、御館様は必死に声を張り、一行を死角のない一本道から、野本の集落の中へ入るように促した。

 幸いにもこの時点のこちらの被害は少なく、降り注ぐ矢を避けて、一行の殆どが野本の集落へたどり着いた。

 わたしと将平様の馬も、御館様達に続いて少し遅れて無事に集落へ入る事が出来た。


「兄者、一体何が。」


 既に到着していた御館様を見つけて、将平様は馬を寄せた。

 周りには、御館様に同行していた義父の真樹様や、三男の将文様、六男の将為様達も居る。


「分からん。良兼叔父の仕業だろうか。最近では落ち着いたと思っていたが……。」


「良兼にしては思い切りが良すぎるような気がします……。」


「しかし野盗にしては装備が手堅く、統率も取れ過ぎています。これは明らかに周到に計画された襲撃ではないですか?」


「そうだな。この状況では分からないことが多すぎる。先ずは各々伏兵を探しつつ、集落の民から事情を知る者が居ないか探らねばなるまい。」

 

 御館様達が暫くこの襲撃の仔細の情報収集と今後の策を巡らせて居ると、集落の長者の屋敷の影から、数頭の馬が躍り出てきた。

 馬上には武装をした男の姿がある。


「待ち兼ねたぞ、小次郎よ。」


 馬上から高圧的な声が響いた。御館様や弟君達も途端に鋭い雰囲気となって、睨め付けるように声の方を向いた。


「国香叔父!これは一体何の真似だ!」


「なに、風の噂でお前が鬼女に憑かれたと聞いた故、この叔父自らが具合を見舞いに来てやったのだ。」


「何だと?」


「将平の背の尼が噂の鬼女であろう。良兼は神子などと言うが、恐ろしき姿に怪しげな術を使うと聞く。その装束の下に角でも隠して居るに違いない。」


 わたしを見て嫌な笑いを浮かべる壮年の男は、どうやら御館様の叔父の一人、国香であるらしい。

 いくら仲が悪くても血族に矢を射るなんて、現代ではなかなか考えられないけれど、この時代は一族同士でも領地争いなど些細なことで戦になる。

わたしの存在が争いの種になるとは、この時まで考えた事は無かったから複雑な気持ちだ。


 何にせよ鬼だと言われるのは心外なので、誤解を解こうと被っていた尼装束の頭巾を脱ごうとしたのを、将平様にそっと制された。

相手を刺激するなと言うことらしい。

 わたしを庇う様に、御館様が前へ出る。


「この女は妖ではない。此の頃の豊田の隆盛は妖術等では無く、全て民の働きによるものだ。」


 堂々と御館様が言い放った。

 そうだ、確かに裏作や現代の知識を広めたのはわたしだったが、通常のニ倍働かなくてはならない裏作をやり遂げ、卓越した技術や知恵で様々な利器を再現したのは、紛れもなく豊田の領民達だ。

 そして何より、見るからに怪しげだったわたしの事を信じてくれた、御館様のお陰だった。


「そのように門違いな事で刃を向けられるとは腹立たしい事ではあるが、俺とて叔父と戦がしたい訳では無い。この地では多くの民も巻き添えとなるだろう。今退けば追いはしないが、どうだろうか、国香叔父よ。」


 精一杯譲歩した御館様の提案に、馬上の国香は鼻で笑った。


「腑抜けたか小次郎。仮にも桓武天皇の血を引く者がこの様とは嘆かわしい。鬼に取り入り邪に私腹を肥やし、周囲の領地を脅かすと言うのだろう。そうであれば坂東の平一門として放ってはおけんな。」


 国香の答えを聞いて、御館様の僅かに俯いた。

私の前にいる御館様の表情は見えないけれど、大きく息を吸って膨らんだ背中から、迸る怒気が伝わってくる。


「成程。国香叔父は豊田が恐ろしいと見える。叔父達の領地よりもこちらが豊かであるのが許せんか。」


 国香は要するに、御館様が都へ行っている間に、その領地や人を毟り取り、自分が優位に立ったつもりであったのに、再び活気を取り戻して威勢を誇る豊田と御館様が妬ましいのだ。

 それで、この機会にもう一度豊田の力を削ごうと言うのだろう。


「否や。なに、一門の領地が豊かである事は悦ばしい事だ。だが、この坂東の地には源家の領地や都の諸侯の土地も多くある。お前がそのように独りよがりに居れば、それこそ不要な戦の種を撒くことになるだろう。私はそれを心配しているのだ。」


「そうか、俺が叔父や姻戚となった源家の領地を脅かす前に消そうと言う魂胆か。それで扶達まで居るのだな。」


 国香の数歩後ろに馬を寄せて居る男は源扶、その側に控えるのは、隆、繁という名の扶の弟らしい。

 彼らはこの地の隣地を治める嵯峨源氏と呼ばれる一門で、その頭領である源護の息子達だ。

この頃の源氏と平家はまだ犬猿の仲では無い様で、互いの領地を守る為に姻戚関係を結ぶことも多かったようだ。

国香も正室に源護の娘を迎えていて、良兼や良正などの叔父達も、それぞれ源家の娘を妻としていると聞いた。


「そこ迄は言うまいよ。その鬼女さえ始末できれば良い。お前の女だと言うならば、お前自身が斬るも良し。出来ないと言うならば––––」


 ヒュッと風切り音を立てて、扶が一本の矢を放った。

 わたしは驚いて身を縮めたけれど、周りは誰も微動だにしなかった。

ただ険しい顔で、前面の国香達を睨んでいる。

 それは、わたしの知らない武士の顔。

 扶の放った矢は、元々狙っていなかったのか、誰にも当たらずに集落の藁葺きに刺さる。


「––––さぁ、どうだ。」


 国香が不敵に笑った。

 御館様はその国香の挑発を笑い飛ばして言い放つ。


「断る。国香叔父達こそ、妖の妄想に取り憑かれているようだ。領主が罪なき領民を殺す道理があるか!」


「そうか。では、鬼女に取り憑かれた小次郎が正気に戻る事は最早あるまい。実に惜しい事だが、こうなれば良持亡き後、大事に育ててやった可愛い甥ごと鬼女を討ち取らねばなるまいよ。」


 射よ、と国香が命じるとたちまち辺りにはまた矢が飛び交った。

 今度はただの矢ではない。

 火矢だった。

 それは、狭い集落の家々の茅葺に刺さり、燃えてゆく。

 からりと乾いた冬の強い風も手伝って、見る見るうちに野本の集落は火の海となった。


 こちらは大掛かりな戦の準備はしてきていない。

圧倒的に不利な戦だ。

 慌てるわたし達を横目に、国香達は燃える集落の向こうに消えた。


「火を消せ!女子供を守れ!」


 御館様が鋭く叫ぶ。

 集落の人々と協力して火を消そうと試みるが、簡素な作りの家はよく燃え、火の粉が風に靡いて周囲の田畑や道の下草にまで燃え移ってゆく。

運良く火の手から逃れても、集落の外には国香や扶達の兵が弓を引いて待ち構えている。

 民も兵も関係なく集落を出れば蜂の巣となり、逃げようにも逃げられない。


 そんな中、御館様は真樹様など少数を連れて、下草が燃える中へと馬を進めた。

火の勢いが強いので、辺りに敵兵は居なかった。

そこから御館様達は大回りをして、国香達を探しながら集落を囲っていた数カ所の敵を切り崩し、退路を開く。

 そうして、わたし達へこう告げた。


「これより俺は国香達を追う。お前達は此処より逃げ、鎌輪に残る郎党達へ伝えよ。急ぎ支度して将門に続けと!」


それだけ言い残して直ぐにこちらに背を向けて走り出す御館様に、わたしを乗せた将平様の馬が追い縋る。


「そんな、兄者!無茶です。満足な武器も無いのにどうやって追いますか。」


「何、豊田の馬は皆駿馬揃いだ。平野であれば弓を避ける事造作無い。近づいてしまえばこの湾曲刀を振るうまで。弓より一撃で首を取れる。」


 将平様の静止も聞かず、御館様はその豊かな濡れ羽色の髪を翻して、愛馬と共に風のように平野の草の中へ消えた。


 国香や扶達の兵もまた、御館様の後を追い多くが集落から離れ、その隙に残されたの豊田兵が国香達の残党を狩り、民は火を消して回った。


 

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