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予兆


「浮草、浮草は居るか!」


 奥の廊下から、使用人の子春丸の声がした。

浮草というのは、この時代でのわたしの呼び名だ。

要するに、根無草。

何処からかふらりと現れたわたしにぴったりだと名付けられた。


 わたしは客分扱いを受けてはいたが、敬われるような存在では無いから、もう少し楽に接して欲しいと使用人達へお願いをしていた。

子春丸は結構生意気で、お願いをする前からずっと、横暴な態度で接してくる。


「はい、此処に!」


 この日、わたしは法成寺へ向かう予定で、尼の法衣を着込んでいる途中だった。

 わたしが一通り言葉や作法を覚えてからは、僧侶は寺へ戻り、わたしも軟禁を解かれ屋敷で自由に過ごしていた。

そして時たま、法成寺まで出向いて僧侶に教えを乞うている。


 尼装束は初め、パーマと染めた茶髪を隠す為だったけれど、着物のセンスが無いわたしには、制服の様で着やすく、気に入って外出の際はいつも着ていた。


 返事をしてから、着付けを手早く済ませて廊下を戻れば、わたしを見つけた子春丸が呆れ顔で近付いてきた。


「御館様が御呼びだ。頭巾が曲がって居るぞ。此の様な姿で御館様の前に出るなよ。」


 そのままぞんざいにわたしの頭に手を伸ばす。

どうやら、被っていた髪を隠す尼頭巾の向きを直してくれるようだった。


 この時代、大きな姿見なんて無いから、自分の姿をきちんと確認する事が難しい。

銅鏡は思っていたよりきちんと姿が映るけれど、高価なので専用のものをわたしは持っていなかった。


 子春丸は少し乱暴な手つきでわたしの頭巾の向きを直すと、仕事があると言って去って行った。

 

 わたしは急いで御館様の室へ向かうと、室には御館様と、弟君の将平様が待っていた。

将平様は御館様の三番目の弟で、歳はわたしと同じくらいだ。

 二人とも何やら難しい顔をしてわたしを見ている。


「あの、何か御座いましたか?」


 平伏して問えば、一呼吸置いて御館様が口を開いた。


「その尼装束、出掛けるところだったのか」


「はい、法成寺へ。言葉は話せるようになっても、読み書きはまだ不自由ですので、お上人が面倒を見て下さると。」


「それなんだが、暫くは屋敷に居た方が良い。良兼叔父が、お前を屋敷に呼びたがっている。」


「良兼様が、私を?」


 良兼とは、御館様の御父君、良持様の弟だと聞いた。

相続の事があってか、叔父達は殆ど御館様の屋敷に来た事が無いので、わたしとは面識が無いはずだった。


「豊田のこの一年の豊穣を、噂のお前と結び付けたのだろう。強欲な叔父の事だから、お前を使って私腹を肥やすつもりなのだ。一度でもゆけば此処へ帰っては来られないだろう。」


 御館様は、苦々しい顔で言葉を切った。

 領地の水田へ出て裏作を指導したわたしが、一部の民の間で「神子」などと呼ばれているのは知っていた。

余り外へ漏らしたく無いとの御館様の命で、最近ではこの呼ばれ方は下火になっていたが、風の噂で漏れてしまったらしい。


「行きたくないです。」


 わたしは食い気味に即答した。

 御館様の庇護下だからこそ、わたしはこうして客人扱いで不自由なく暮らせているが、本来であれば頼る当ての無い根無草だ。


良兼の屋敷は、なんだか使用人の扱いが良くは無さそうなので、身分の無いわたしはどんな扱いを受けるか分かったものではない。

 それに、鳥の雛の刷り込みのように御館様を慕っていたから、今更離れ難かった。


「無論だ。お前を叔父に渡す気は無い。叔父には断りを入れる。だが、叔父もそうそう諦めはしないだろう。だからお前には暫く屋敷に居てほしいのだ。」


「分かりました。」


 御館様がきっぱりとそう言ってくれたのを聞いて、わたしは心底ホッとした。

それを見て、くすりと笑いを零したのは、御館様の隣にいた将平様だった。


「良兼叔父は、神仏に深く帰依する身。お前を神子とお思いのようだから、そう身構えずとも、もしお前が向こうの屋敷へ行ったとしても、悪いようにはしないしないでしょう。」


「まぁ、そうだろう。むしろ此処より居心地が良いやもしれんな。どうやら叔父は、自分の元に遣わされた神子を、俺が掠め取ったとさえ思っているらしいからな。」


 そう言って御館様は少し口の端を歪めた。


「そんな。私は此処から離れたいとは思いません。大体お話を聞く限り、神子が遣わされる程、良兼様の徳が高いとは思えませんが……。」


「そうですね。叔父達と我らは大体折り合いが悪いですが、良兼叔父は兄者には殊更当りが強いですし。」


 将平様が困ったように御館様を見ると、御館様はまた苦い顔をして目を背けた。

 御館様を厭う叔父は、良兼だけでは無い。

亡き良持公の兄である国香や、弟の良正、他の親戚達とも不仲である。

良持公はこの地に自らの手で開拓した多くの領地を持っていて、それがどうも他の叔父達の癪に障るようだ。


「全くだ。民は皆領地が平穏であって欲しいと願っているのに、何かにつけて戦の種を撒かれるようでは程々困り果てる。」


「まぁ、兄者。豊田もこの様に力をつければ、何を言われても跳ね返せます。浮草、作付け地へ出る際には、この将平が供します。良兼叔父は、あまり武を好まないので、大事は無いとは思いますが。」


 将平様は、わたしを真っ直ぐ見て微笑んだ。


「有り難う御座います。」

 わたしはもう一度深く平伏をして、この日はこれで室を暇した。


 以降、諦めの悪い良兼が何度か同じように使者を遣わしては、御館様が追い返すというのが何度か続いた。

元号が承平と改まってからは、やっと諦めたのか、そのうちになりを潜めていった。


 しかしこれにより、良兼と御館様はすっかり対立することになってしまった。



タイトルに番号をつけ忘れた為編集いたしました。

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