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奥州

 奥州は未開の地だと聞いていたけれど、既に朝廷由来の役人が入り込み、優勢を誇る豪族の城も建っている。

 奥州といえば藤原氏と現代で習っていたけれど、この時代にはまだ藤原氏は居ない様で、治めているのは安倍氏という一族だった。


 そして此処には、わたしの他にも御館様の縁者が既に逃れ住んでいた。

 名を滝姫と言い、御館様の三女に当たる。


 滝姫様は、人里離れた山の麓にある、小さな寺に住んでいた。

辺りは鬱蒼と緑が生い茂り、朝廷軍に見つからないよう、隠されている様だ。

 暮らしぶりは豊田に居た頃のように裕福ではなく、使用人など殆ど居ない。

わたし達はそこでほんの数人が寄り添って、慎ましやかに暮らしていた。


 暫くすると此処に、一人の赤ん坊が連れて来られた。

 赤ん坊の名は良門。

滝姫様の弟君に当たり、石井の屋敷が落ちた際はまだ母親の胎内に居た。

暫くして産まれると、母親の一族は朝廷からの咎を恐れ、やっと乳離れしたばかりのこの子をこの奥州まで、半ば捨てる様に連れて来たという事だった。


 わたし達は皆憐れに思って、良門様を引き取り育てる事にした。

 良門様は幸いにも大きな病に罹る事なく順調に育ち、滝姫様はそんな良門様を率先して世話していた。




 それから、数年。

星の綺麗な夜だった。

小さな屋敷の庭で、わたしが夜風に当たっていたところへ、軽い足音と共に滝姫様が現れた。

美しい顔を涙で濡らしている。


「滝姫様、如何なさいました?」


「浮草……。私、夢を見たのです…死んで地獄に逝く夢を……」


 そう言って滝姫様はしゃくり上げる。

余程怖い夢だったのだろう。

 わたしは滝姫様を落ち着かせて、屋敷の中へ入らせた。

 奥州の夜風は冷たいから、魘されて汗ばんだ体がすぐに冷えてしまう。


部屋へ戻って薄衣を掛けてあげると、滝姫様は不思議で恐ろしい夢の顛末を話し始めた。



 夢の中で滝姫様は、病でもないのに急に死んでしまい、亡者を裁く閻魔庁に辿り着く。

そこでは罪人として裁かれた亡者が様々な地獄へ落とされていた。

 その光景を見て、滝姫様が怖くて泣いていると、そこに光を放ちながら小さな僧衣の者がやって来た。

 周りの亡者や獄卒達の反応から、その者が地蔵菩薩だと知った滝姫様は、その僧衣の裾に必死に縋った。


 すると地蔵菩薩は閻魔様に、滝姫様が品行方正に生きてきた事、まだ死ぬ齢ではない事を伝え、滝姫様を閻魔庁から連れ出してくれた。

 それから地蔵菩薩は滝姫様に、地獄へ落ちた父親の姿を見せると告げる。


 地蔵菩薩に連れられてその場所へ行くと、其処には責め苦に喘ぐ己の父親、御館様とその弟君や見知った郎党達の姿があった。

 地蔵菩薩曰く、絶えず続く責め苦ではあるが、御館様は月に一度だけ、休みがあるのだと言う。

それは、生前におこなった写経のお陰らしい。


 けれど月に一度の休みなど無い様なもの。

 一族の苦しみをどうしたら解くことが出来るかと滝姫様が尋ねると、地蔵菩薩は深く神仏に帰依する事だと滝姫様を諭した。

 滝姫様はその答えに平伏し、そして気が付けば地獄の光景も地蔵菩薩も消え、目が覚めていたという。



「私は父上達の為に出家します。良門にも、もう少し大きくなれば今日の事を話して聞かせて、二人で弔おうと思います。だから今はまだ、父上の事はあの子には内緒にしてちょうだい。」


 涙を拭って、滝姫様は静かにそう言った。

わたしは、まだ幼さの残る滝姫様の御手をそっと取る。


「かしこまりました。けれど所詮、夢は夢です滝姫様。どうか、余りお気を病まれません様に。」


「浮草は優しいのね。」


「……いいえ。」


 わたしは優しくなんか無い。

ただ、信じたく無いだけだった。

 決戦の日の光景も、幾多の訃報も、わたしの周りで起きた何もかもを、信じたく無い。

 だから、滝姫様の見た地獄は、ただの夢であって欲しかったのだ。


 御館様のその後は、奥州にも聞こえてきた。

討ち取られた首は京で晒されて、それから嘘か本当か、坂東へ向かって飛び去って、武蔵国の辺りに落ちたと言う。

 それから、御館様の祟りを恐れる声があがり始めた。

都では何かある度に、将門の祟りだと言われていると、最近奥州へ来た役人が話していた。


 違う、と叫びたかった。

わたしの知っている御館様はそういう人じゃなかった。

負け惜しみで恨んだり、怨念で祟ったりする様な人じゃない。

 御館様の行動には、いつも民や愛しい人への想いが垣間見えていた。


戦をするのもいつも誰かを守るため。

激昂するのは誰かが傷つけられた時。

そんな優しい人を、どうして貶めることが出来るのだろう。

——悔しかった。


 そのうちに滝姫様は出家して尼となり、名を如蔵と改められた。

そして御館様達の為に、毎日経を上げている。

 わたしは、神仏に祈る気にはなれなかった。

ずっと穏やかに時が過ごせるようにと願い続けて、結局一度も叶わなかったのだから。


 それでも、わたしに出来ることをしたかった。

考えて、わたしは筆をとる事にした。

 豊田に咲いた花の香りや、宴で聞いた歌の調べ、そこに居た人々をわたしは昨日の事の様に覚えている。

 焼かれて、今はもう残っていない。


 勝者の作る歴史では、故郷を焼かれた豊田の民の叫びは消され、御館様の存在も勝者の都合の良い様に歪められてしまうだろう。

 坂東の小さな民の営みや、平将門という一人の優しい人間の歴史を、わたしの手で残したかった。

 それを成すために、わたしは坂東へ来て、今此処に生き延びたのだとさえ思えた。


 これがわたしの弔い。

願いを託された者が放つ、歴史への一矢。

 千年先も残るように、坂東の覇者と彼が愛し慈しんだ人々の物語と、その運命を刻んでゆく。


 それは優しくて悲しい、語られる事のない敗者の歴史だ。


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