敗走
後はもう、瞬きする間の出来事だった。
馬上から不自然に傾く身体。
遅れて、名残惜しげに黒髪が宙に揺蕩って落ちる。
取り囲む敵兵。
怒号。
そして–––––。
わたしはずっと、馬上で息を詰めてその様を見ていた。
「––––草、浮草!しっかりなさい。直ぐに此処を離れましょう。」
将平様が、わたしに何か叫んでいる。その言葉が理解できなかった。
すぐに、わたしの返事も待たずに馬は走り出した。
見れば周りの味方の兵達も、蜘蛛の子を散らす様にに退散してゆく。
「嫌!嫌です降ろして下さい!御館様のお側に行かせてください!」
わたしは馬上で体を捻って将平様に懇願した。
助けに行きたかった。
否、助からないことは分かっている。
けれどそれでも、あんな敵の真ん中に一人置き去られるなんて、そんな悔しい事は無い。
「何を言うのです!お前が行って何になりますか。」
「何にならなくても。もう死んでしまっても良い!私は、私は……」
それ以上は、声にならなかった。
知っていたのに助けられなかったなんて、それではわたしには何の価値もない。
わたしは何の為にここへ来たのだろう。
何も成せずに逃げるくらいなら、いっそ此処で死んでしまいたかった。
「馬鹿な事を……。良いですか浮草。あなたに何かあれば、私が兄者に怒られるのですよ。生きて兄者のご意志を継いで、いつか再起を図りましょう。それが一番の弔いです。」
再起、なんて出来るのだろうか。
これは確か、負けて終わりの呆気ない戦。
わたしが知っているのはこれだけ。
誰が生き残るのかも、この先坂東がどうなるのかも何も知らない。
言葉を返せずに居たわたしを、将平様は肯定と取ったらしい。
「お前は必ず生き延びなさい、浮草。」
そう言って将平様は馬の速度を上げた。
その言葉が妙に遠く、まるで他人事のように聞こえて仕方なかった。
それからわたし達は少数の兵と共に、身を隠しながら真っ直ぐ西へ向かった。
その間に、坂東では新皇軍の残党狩りが始まった。
朝廷から、新皇軍の筆頭達の首を上げた者に褒賞を取らすとの触れがあった様だ。
この触れの効果は高かった。
実際に秀郷や貞盛、また御館様の謀叛を最初に朝廷へ伝えた人物として、源経基にも早々に官位が与えられたからだ。
更に、朝廷の討伐軍も坂東に入り、貞盛や秀郷と協力して各所に兵を出し始めた。
追手の気配を常に近くに感じてはいたが、わたし達は殆ど襲われる事なく秩父山脈へ辿り着き、その山中の小さな集落に、少し身を落ち着ける事にした。
そこで改めて情報を集めると、聞こえてくるのは郎党達の訃報ばかり。
弟君の将頼様や藤原玄茂は相模で、興世王は上総で、藤原玄明は常陸で、其々既に討たれたとの事だった。
豊田は殆どの集落が火に掛けられ、石井の営所も跡形もなく焼けてしまったと言う。
最後まで屋敷に残っていた者達も、きっと助かっては居ないだろう。
まるで御館様が居たという痕跡そのものを消そうとするかの様に、残党狩りは執拗に続いた。
そのうち、わたし達が身を隠していた秩父まで、追手が迫った。
将平様は迎え撃とうと準備をし、良くしてくれた集落の人々に迷惑を掛けまいと、集落を出て、山中に潜む事になった。
わたしは、連れて行って貰えなかった。
出発は明朝と聞いていたのに、起きたらもう集落の何処にも将平様達の姿は無かった。
共に連れてきたあの若馬と、懐刀と路銀、それから書き置きだけが残された。
そこにはわたしの今後の身の振り方と、石井から逃げる時に将平様が言ったのと同じ言葉が書いてある。
『お前は必ず生き延びなさい』
この言葉はわたしの呪いとなった。
誰にも連れて行って貰えない。
親しかった人も皆もう居ない。
わたしはこの時代には行く当ても帰る場所もないというのに、一人でどう生きろと言うのだろう。
こんな苦しい思いをするくらいなら、この時代の文字なんて覚えなければよかった。
言葉なんて話せなくてよかった。
優しくされたく無かった。
託さないで欲しかった。
彼らの思いを何も知らなければ、何の罪悪感も無く皆の後を追えたのに。
わたしは暫く泣き続けて、それから書き置きに従って北へ向かった。
途中、わたしにも追手が差し向かった。
文官仕事をしていた女は珍しい。
それに神子だ妖だと騒がれていた時もあったから、わたしの存在は知られていて当然だった。
捕まってもいいと思った。
どんな仕打ちを受けても、もう良いとさえ思った。
けれど、呪いがそれを許さない。
生き延びなければいけなかった。
だからわたしは逃げて、逃げて、逃げ続けて––––。
そして、奥州へ辿り着いた。




