運命
常陸から石井の屋敷に戻ると、そこは以前よりもずっと、ひっそりとしていた。
妻子のうち数名は戦火を避けて実家や親類の元に避難をしていたし、戦が始まってからは使用人の数も日に日に減っている。
一月の終わりのそんな中、先鋒の多治の兵が敗れたと言う知らせが入り、屋敷内は一気に緊張感が増した。
眠れずに過ごしていた二月一日の夜、次の早馬が屋敷の門前に倒れこみながら戦況を伝えた。
馬も兵も、矢傷や斬り傷が痛々しく、その姿だけで戦況を察するに余りある。
下総の川口村で、今度は御館様率いる新皇軍の本陣と貞盛達が衝突し、新皇軍が敗退したのだ。
後陣として控えていた藤原玄茂の兵も撤退し、残った新皇軍は猿島に身を潜めていると言う。
猿島は豊田の隣である。
秀郷達の軍勢は、石井の直ぐ近くにまで迫って来ていた。
それから毎日のように、霞み始めた坂東の青空に黒煙が上がった。
秀郷達の軍が、御館様の領地の集落を焼いて回っているからだ。
石井も既に、屋敷のほんの近くまで火の手が来て、辺りは木や茅の焼ける匂いできな臭いほどだ。
それでも、敵味方に関係なく、平等に夜と朝は訪れる。
二月一四日。
丁度、川口村の敗戦から二週間が経っていた。
「一体石井はどうなるかしら。」
女性ばかりで集まっていた屋敷の一室で、使用人の一人が呟いた。
残っているのはわたしを含めて他に行く宛の無い者達ばかりだ。
「勝てるわよ、御館様……いいえ、新皇様なら!ね、そう思うだろう?」
励ますように明るく振る舞う壮年の下女の隣で、顔を曇らせた別の若い下女がおずと返した。
「でも……藤太様は強いんですよ。私故郷は下野だから、藤太様の噂は知っているんです。」
「藤太?」
「押領使の藤原秀郷様の事よ、俵藤太って呼ばれているの、知らない?」
わたしが聞きなれない名前に尋ねると、また別の下女が答えてくれた。
「こら、あんた達!敵に様なんて付けるんじゃないよ。御厩が焼かれた時だって、大丈夫だったろう?今に新皇様が大群で敵をやっつけちまうよ。」
「そうね、新皇様の方がお強いわ!」
だから大丈夫、そう自分達に言い聞かせる様に、わたし達は気丈に話し続けた。
本陣の敗退から二週間、御館様は行方知れずのままだった。
だからこそ秀郷達は、御館様が潜伏して居そうな場所を焼き続けている。
豊田に残った民達はそれでも尚、御館様が勝つと信じていた。
豊田は何度も貞盛達に攻められて、それでも何度も復興し、その領主は今や新皇を名乗り、領地は増え豊かになろうとしているのだから。
挙兵が失敗で終わるだろうと考えていても、それはもっと先のことで、秀郷や貞盛達には勝てるだろうと、わたしでさえも信じていた。
……この言葉を聞くまでは。
「ねぇ、巷では今回の戦のこと、新皇様の名前を冠して、将門の乱って呼んでいるそうよ。」
「––––え?」
カチリ、と音がした。
それは、頭の中に散らばっていた何かがはまる音。
平安時代、坂東、新皇、俵藤太秀郷、将門の乱……
そうだ。
これは知らない歴史なんかじゃない。
授業で大きく扱われる事は無かったけれど、それでも聞いたことくらいはあった。
でもそれは、とても偏った一つの面だけ。
事が終わった後のこと。
怨霊とか、祟りとか、神として祀られているとか、そう言う話。
思えば十年前、わたしが現代で最後に見たものは––––。
「浮草?」
全身から血の気が引いていく。
歴史の授業で習わなかったのは、この出来事が歴史において大きな変化にならなかったから。
朝廷と坂東の間で戦が起きる事は無い。
だって朝廷の兵が着く前に、事が片付いてしまうのだ。
––––平将門は、藤原秀郷に負ける。
「ちょっと、何処行くんだい浮草!」
もう何の音も耳にはいらなかった。
袴の裾を翻して、わたしはそのまま屋敷を飛び出した。
厩に残っていた若馬に跨り、無造作に手綱を握って横腹を蹴る。
馬が駆けたのは陽が傾き始めた午後、強い追い風が吹いていた。
行き先は風下、土煙で空が黄色く霞む場所。
直ぐに前方から歓声の様な怒号が聞こえ始める。
合戦は屋敷に程近い場所で起きていた。
やがて見えたのは血飛沫、折れた弓、欠けた刃、人だったモノ。
戦場の全て。
その惨状に喉の奥がひりついたけれど、決して手綱は引かなかった。
若馬も怯まず駆け足のままそこへ突っ込む。
頭上の矢嵐も、足元の屍も、若馬は器用に避けて進んでいく。
目的地は無かった。
この戦場の何処へ行くのか、行って何がしたいのか、自分でも良く分からなかった。
明確に分かるのは、このまま御館様に死んで欲しくないという事。
理屈をつけようと思えば色々浮かぶけれど、今重要なのは想いだけ。
この想いだけで、わたしは御館様を探して戦場を彷徨った。
途中、風が変わった。
追い風から向かい風へ、春先だと言うのに凍えそうな北風だった。
空は暮れ時。
敵の放つ矢が風に乗って勢いを増し始める。
劣勢。
前線がじりじりと崩壊していくのが分かる。
突然、若馬が鋭い嗎を上げた。
馬の額の先を、矢が掠めたのだ。
驚いた若馬が前足を浮かせて仰反って、反動でわたしの体が浮き上がる。
手綱から手が離れて、わたしはそのまま空中に高く投げ出された。
けれどわたしは地面へ叩きつけられる事無く、気が付けば違う馬の背に抱き止められていた。
「馬鹿者!こんな所で何をやって居るのですか、浮草!」
土埃と鉄の匂いの中に、微かに慣れた香のかおり。
聞き馴染みのある優しい声が、今は怒気を孕んでいる。
「あ……、将平様……」
上野国府で御館様に誅言していた時よりももっと怖い顔をして、将平様がわたしを見ていた。
着の身着のまま此処まで来たわたしは、何の武装もしていない。
死んでいてもおかしく無い場所で、現に大怪我を負いかけたのだから、怒られるのも当然だった。
「戦場に軽装の女などあり得ません!しかも鞍も付けていない裸馬……。兎に角、一度下がりますよ。」
そう言って怒気を和らげると、将平様はわたしを乗せたまま馬を操る。
わたしが乗ってきた若馬は自然と後を付いてきた。
わたしは慌てて将平様を振り返る。
「お待ち下さい!私、新皇様を探して居るのです!」
「兄者でしたら最前線に、今は誰も近寄れませんよ。一体どうしたと言うのです?」
そう問われても上手く答える事が出来なかった。
このままでは御館様が死んでしまうなんて、根拠も無いのに言える訳がない。
会えた所で何と言って何処へ連れ出せば助けられるかも分からない。
そもそも御館様がそれを望むだろうか。
「申し訳ありません、今は上手く言えません。けれど新皇様に、どうしても今すぐお会いしたくて……。」
酷い言い訳だと思った。
戦の最中に前線に居る総大将に会おうなんて不可能に近い。
それを理由も言わずに他者に頼るなんて酷な話だと言うのは考えなくても分かる。
将平様の命さえ危ぶまれる行為だ。
それでも、知って居るのに何もしないのは余りにも歯痒い。
わたしは祈るように将平様を見つめた。
「……分かりました。共に兄者を探しますから、落ちぬよう前を向きなさい。」
戦場のに似つかわしく無い溜息を吐いて、将平様は困ったように眉尻を下げて目を逸らした。
そして前線へ馬を進ませる。
「よろしい、のですか……?」
「お前の事だから、何か訳があるのでしょう。後で話してくれますね。」
「ありがとうございます……。」
どうして将平様が無条件にわたしを信じてくれるのか分からない。
こんな事は、共に地獄へ向かう様なものなのに。
それでも、この申し出はとても有り難かった。
風向きが変わってから、こちらは一気に不利になった。
私が戦場に着いた時は、殆どこちらの勝ち戦の雰囲気であったのに、今では前線が大分後ろへ下がっている。
そのうちに兵の数が減り、良いか悪いか時折少し先まで見通せる様になった。
そんな中で御館様を探していると、何度目かのその瞬間に、遂に視界の端に豊かな黒髪が翻った。
御館様だ。
一際大きな馬に乗っている。
あの馬は豊田では竜の様だと称えられている駿馬。
その馬上で御館様は、矢も刃も恐れずに大声で指揮を取っていた。
「将平様、あちらに!」
「ええ。」
将平様は直ぐにその方向へ手綱を引く。
しかし駆け寄ろうとしたところで、眼前を数本剛速の矢が抜き去った。
敵の射程範囲に入ってしまったのだ。
「すみません、此処から先へは進めそうにありません。」
将平様はそう言うと一度下がって、敵兵の少ない抜け道を探す。
その時、わたしは遥か頭上を飛ぶ一本の矢にふと視線がいった。
何故なのかは分からない。
何の変哲もない一本の矢だ。
それが、真っ直ぐに飛んで行く。
何処へ。
矢の向かう先を目で追うと、そこには翻る濡羽色の髪。
「あ……」
誰が放ったのか。
何処から放たれたのか。
誰も答えを持たないその矢は、まるで意志を持つかのように、中天に緩やかな弧を描く。
運命とは、弓矢の姿をしているのか。
そう思う程、その鋒は寸分違わず黒髪の主へと吸い込まれてゆく。
「御館様!」
咄嗟に出たのは懐かしい呼び名。
呼称を変えてからまだ二月も経って居ないのに、酷く遠いところへ来てしまった気がした。
戦場に似つかわしくないわたしの悲鳴に気が付いたのか、呼ばれた主がわずかにこちらを振り返る。
振り向きざまのその米神に、運命は深く突き刺さった。
ここまでを、2月14日の更新日に載せたかったのですが力及ばず……。
かといって、命日に全く触れずに更新することもはばかられ……。
結果、バレンタインデーに盛大なネタバレをすることになってしまいました。




