眩しい人
年が明けた天慶三年、京にいる御館様の伝手から、新皇追討の為の兵が間もなく挙がるだろうという知らせが入った。
事を穏便に済ませようと、御館様は元主人の藤原忠平宛てに、自らの正当性を示す書状を出していたけれど、その書状は無視された様だ。
相手は現朝廷の権力者なのだから、そもそも御館様の主張など認められるはずがない。これは当然の結果だった。
このままでは、戦は避けられない。
しかし挙兵が近いと言っても、京の都からこの坂東までは距離がある。
御館様は朝廷との戦の準備を急ぎつつ、上野国府から常陸に拠点を移し、坂東の何処かに身を潜めているであろう貞盛の捜索に日々兵を出していた。
朝廷との戦において貞盛はもはや何の関係もないように思うけれど、こればかりは気持ちの問題なのだろう。
捜索は連日連夜行われた。
一月の殊更寒い日のこと、ついに貞盛の手掛かりを見つけたと報告が上がった。
勇み足で陣中にその報告に訪れたのは、多治と坂上という二人の郎党達だった。
「やりましたぞ新皇様!貞盛めらの女を捕まえました!」
二人は、御館様の前で膝を着いて礼を取る。
まるで宝物を見つけたかの様な純粋さだった。
しかし、御館様は片眉を吊り上げて二人を睨む。
「女だと?女を捕えよなどと言う命は下して居ないぞ。おい、其の者達は今どうしているのだ?」
鋭い御館様の声を聞いて、二人は慌てて部下を呼び寄せた。
「は、直ぐに新皇様にお見せしようと、もうそこまで連れて来て居ります。おい、此処へ!」
多治達がそう声を上げると、大鎧を鳴らしながら大股で歩く兵に連れられて、縄に繋がれた二人の女性が現れた。
驚いた事に、陣中に引き出された女性たちは裸で、髪は乱れ化粧は涙ですっかり流れている。
既に陵辱の限りを尽くされた後の、酷く居た堪れない姿だった。
陣中の者達はその哀れな姿に息を漏らした。
「馬鹿者。俺が憎いのは貞盛だけだ。女に手を挙げて何になる。」
そう言った御館様の眉間には、さらに深く皺が寄っていた。
「しかし新皇様、恐れながら申し上げますが、鎌輪陥落の折には我らの妻達も斯様な仕打ちを受けた事でしょう。さすれば彼らに返す事に何の躊躇いがありましょう。」
坂上の赤みを帯びた瞳が、真っ直ぐに御館様を見ていた。
微かに、陣中の雰囲気も鋭さを帯びた。
彼女達を憐れむ心の奥底で、忘れられない屈辱の日が蘇る。
貞盛達がわたし達に何をしたか、わたし達が彼らに何をする権利があるのか。
沸々と湧き上がる邪な思考は、御館様の凜とした声で霧散した。
「お前達の言う事には一理ある。しかしだからと言って俺は、憎き仇のやり方を真似る様な浅慮な事などするものか。皆もよく聞け、仇を間違えるな。坂東の弱き民は等しく新皇たる俺の民だ。無体を働く事は許さん。分かったな。」
皆がはっと顔を上げた。
そうだ、仇を間違えてはいけない。
御館様の言葉が、燃えるような心の傷に沁みてゆく。
仄暗い感情の雲が晴れるように、目を細めたくなるような光が差してゆく。
忘れてはいけない。
わたし達は新皇様の最たる臣下。
そう思えば、彼女達は確かに救うべき民だ。
坂上も多治も、これを聞いて静かに頭を垂れた。
「……差し出口を挟みました。申し訳御座いません。」
「良い。お前達のその悔恨は全て俺の不徳の致す所。お前達の行動は世の慣いに反する恥ずべき事であるが、今回の事は不問とする。」
多治達はもう一度深く礼を取ると、彼女達を連れてきた兵と共に陣中を後にした。
それから、御館様はふと目線を控えていたわたしに向けた。
「浮草、此の者達を奥へ。」
「畏まりました。」
わたしは直ぐに羽織る物を用意して、彼女達を近くの座敷へと上げた。
身体や顔を綺麗に拭き、髪を梳き、水を一杯飲ませると、やっとひと心地着いたようで、彼女達は礼を述べ、それぞれ貞盛と源扶の妻だと名乗った。
わたしは彼女たちを世話をしながらも、その目を真っ直ぐ見る事が出来なかった。
同じ女性として、彼女たちの気持ちが分かる筈なのに、被害者として無条件に同情してあげられなかったから。
そうしているうちに、座敷の内に御館様が入ってきた。
彼女達は途端に居ずまいを正して御館様を迎える。
「其方らは、貞盛の居場所を知って居るか。」
御館様は上座に座ると、開口一番にそう問うた。
「……いいえ。我が夫とは戦火の折に逸れて、それきりに御座います。」
彼女たちは平伏しながらも顔を上げ、御館様の目を真っ直ぐ見て答えた。
戦火を避けて入り江に身を寄せてからは、貞盛達の兵とは連絡が取れて居ないらしい。
鎌輪の戦ではわたし達もそうであったし、これは本当の事の様だった。
「––––そうか。其方らの処遇についてだが、郎党の内からも助命が有った。此れよりは何も手出しはせん。手筈が整い次第、手勢の者に送らせる。其れ迄暫し休め。」
「御配慮、かたじけなく存じます。」
それから、御館様はわたしに、二人に上等な着物を持ってくる様にと命じた。
わたしが用意で席を外している間に、彼女たちと御館様は少し話をしたらしく、和歌を送りあったと後に聞いた。
わたしはあまり、彼女たちとは話さなかった。
目を見る事が出来ないのと同じ。
後ろめたさが拭えなかった。
けれど御館様は、仇の妻である彼女達を素直に憐れんで、郎党達にはこれ以上手を出すなと命じ、世話役を付け、和歌を送り、手厚く本拠地へと帰した。
この時代にそんな事が出来る人間は、きっとそう多くは居ない。
御館様の存在が大きく、眩しく感じた。
彼女たちが帰った夜、わたしは上手く寝付けなかった。
彼女達の姿が桔梗様と重なって、何度も悪夢を見掛けては暗闇で目を開けた。
その度に御館様の眩しさが目の奥を熱くした。
戦続きで朝敵となって、薄暗い洞窟に迷い込んだ様な日々の中で、御館様の眩しさはまるで、武蔵国で見た夕陽の様だった。
どうして、時代こんなにままならないんだろと、この戦の行先を思って、わたしは一人で泣いた。




