表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/30

想い

 この頃には御館様の威勢は坂東中に知れ渡っていて、坂東八州の国司達は恐れをなして、戦もせず国府を明け渡していた。

 その国司達が今や皆京都を目指して帰国の途に就いており、そろそろ都でも話題となっていて良い頃だったけれど、こちらの戦の準備はあまり進んではいない。


 御館様は朝廷との戦支度よりも、任官や新領地の政務などを行っていて、混乱の只中にある坂東の平定を優先しているようだった。

 巷では、やはり侵略の戦を始めた事で御館様を悪く言う者が増えているけれど、民をより良い方へ導きたいという気持ちが御館様の根底に在る事が、その仕事ぶりから見て取れる。


「将平の言うことが分からぬ訳では無い。だが俺は、神託を受けた意味を、あれからずっと考えている。」


 文机に目線を落としたまま、御館様は独り言のようにそう言った。

新皇という地位は、計り知れない責任と重圧があるのだろう。

執務はかなり多忙を極めるようで、その眉間には僅かに皺が寄っている。


「お前の故郷は、どんな国だった。」


 唐突に御館様が顔を上げた。

 今まで、特に屋敷に来て直ぐの頃にそれを聞かれた事は多々あった。

 その時は、ボロを出すのが怖くてずっとはぐらかして来たけれど、久しぶりの問い掛けと思いがけない真剣な視線に、わたしは少したじろいだ。


「何故、そんな事をお尋ねになるのですか?」


 わたしは恐る恐る尋ねる。

御館様の事は心から信頼しているけれど、その真意を図りかねたのだ。


「お前の故郷は豊かだったのだろう。初めに着ていた衣は上等な生地で作られていたし、お前の其の知識は我らの想像の及ばぬ所だ。新皇の国も、其の様に豊かで在りたいのだ。」


 その言葉にわたしは胸を打たれて、でも望む答えを出せない事に泣きたくなった。


—— 国が豊かであるって何だろう。


 わたしは現代では一般人であったし、その環境を当たり前の様に過ごしてきただけだ。

暑さ寒さに死ぬ思いをしたり、飢えることの無い幸せを、わたしはこの時代に来て初めて思い知った。

 けれど、では現代に居た頃のわたしは豊かだったのかと問われると、それは何だか違う気がした。

でもそれはやっぱり、上手く言えるものではない。

わたしは少し考えてから口を開いた。


「私の故郷は、多くの人間が戦火を知らず、飢えを知らず、暑さ寒さを凌げる家がありました。しかし故郷に居た時は、それが豊かだとは思わなかったのです。政への不満は有りましたし、自身が生活する上で成すべき仕事は多く、贅沢が出来るほど財が有る訳でも無い。自分の環境に満足出来る者は少なかったと思います。」


 わたしは一度言葉を切る。

御館様は黙って話を聞いていた。

 現代から離れて、もうすぐ十年になる。

あまり考えないようにしていたけれど、思い出せる良い思い出はいつも同じ。


「物で満たされる事は、豊かな事の条件の一つではありますが、厳密には違うのだと思います。故郷では便利な物が沢山ありましたが、だからと言って私は遊んで暮らせた訳じゃ無かった。だから、強いて言えば、人では無いでしょうか。」


「人?」


「頼れる家族や気の置けない友と過ごす時は、確かに心が豊かだった様に思います。」


「お前の言うことは分かるが、それは内面的な事ではないか。長が善政を敷いた結果ではないだろう。」


 御館様はじとりとわたしを見た。

望んだ答えでは無かったのだろう。

それは、ここ最近の張り詰めた新皇の顔付きでは無くて、親しい者に向ける素顔。


 この十年で、わたしが御館様にとってそういう存在になれているのだとしたら、それはとても嬉しい事だ。

 だって、今のわたしが孤独でないのは全部、御館様のお陰だ。

だから、わたしも御館様を新皇という地位に祭り上げて、孤独にしたくはないのだ。

 出来れば、共にありたいと思う。


「そうでしょうか。故郷と豊田は随分違いますが、新皇様、貴方のお陰で私は此の場所も豊かに感じられます。豊田の民は皆優しいです。それはきっと、新皇様がいらっしゃるから。ですから、新皇様のつくりたいと思う国は、どの様な国でもきっと豊かになると思います。」


 今までゆっくり話せる機会はあまり無かったから、こんな言葉は今日初めて口に出した。

一世一代の大告白みたいな気持ちだけれど、それはやっぱり何の答えにもなっていない。


「どの様な国でも、か……。」


 わたしの答えに、御館様はそう呟いて、困った様に少しだけ笑む。

そうしてまた、書きかけだった書状に視線を落とした。


「お前が屋敷に来る少し前迄、俺は都に居たのだが……俺が其処で見て学んだのは、腐敗した政の真似事だけだ。飢饉の防ぎ方も、外敵の防ぎ方も、あの場所では何一つ考えられて居なかった。いや、そういう中にも学ぶべき事はあっただろう。そういう小さな駆け引きに破れて、俺は桔梗達を失った。だが、そういう事では無い。小手先の奸計では無く、後の世に残る善政を追い求めなければ。身内同士の争いで民が命を落とすなど、あってはならないことなのだ。新皇の国は、戦の無い国で在りたい。」


 そう話す御館様が一瞬やけに幼く、まるで少年の様に見えた。

 幼い頃に父君を亡くして、後ろ盾なく一族の中で叔父達に冷遇されてきた幼き日々。

朝廷に馴染めず、望む冠位を得られなかった青年時代。

うまく立ち回れず、大切な人を亡くした数年前の忌まわしい記憶。


 御館様の核は、きっとそういう理不尽に悲しい思いをする者をなくしたいという、幼く無垢で純粋な気持ちで出来ている。

 新皇という存在に、なりたかった訳では無いのかもしれない。

御館様がなりたかったものは、そんな大それたものではなくて、大切な人や領地を守れるだけの、相応の力を持った人。


 それはきっと、大きな権力でなくて良かった。

けれど、守りたかったものから先に消えていってしまうから、道標を失って、いつからか修羅の道へ進んでしまった。

 不器用な人だと思った。


「でも、あんまり無理をしないでくださいませ。」


 口の端からぽろりと零れ落ちたように、殆ど無意識のうちに声にしていた。


「何だ急に。」


 書きかけの書状から顔を上げた御館様は、少し驚いたような顔だった。

薄暗い部屋の中でも分かる程、その目の下には隈がある。

 やはり忙しさに追われて、あまり休めて居なかったようだ。

戦の勢いのまま政務をしているのだから、そうだろう。


 新皇としての期待や不満の入り交じる中で、一人の人間としての御館様に休息を進言する者は、ここ最近ではあまり居なかったのかもしれない。

 でもわたしは、御館様を新皇として見たくはなかった。


 お告げなんてものを、わたしは信じてはいない。

 御館様は、御館様だ。

けれどそんな事は言えないから、わたしは少しズルい事をする。


「あ、いえ……桔梗様なら、そう言うはずだと思いまして。前に仰って居たでしょう。私の思うことは桔梗様と似ていると。桔梗様の願いは、愛しい御館様が穏やかに過ごせる事でした。今の新皇様の事、きっと心配なさって居ると思います。」


 御館様が愛した桔梗様の名前を借りれば、わたしも御館様を一人の人間として心配しても許される気がした。


「桔梗の願い、か……それはお前もか、浮草?」


「え?はい、勿論そうですが……。」


「そうか。」


 慌てて取り繕うわたしに御館様は、急に機嫌が良くなったように口の端を小さく吊り上げて笑った。

そしてまた、書きかけの巻物に目を落とす。

 結局、心配だから休んで欲しいと言ったのが、まるで伝わっていなかったようで、わたしはちょっと驚いてしまった。


「あの私、今ご無理をなさらないでと申し上げたのですが……。」


「聞いては居たが、将平達にああ言った手前、俺が努力を怠る訳にはいかんだろう。」


「努力と言うなら、休む時に休む事もまたそうですよ。だから、少しだけでも。今麦湯を持って参りますので。」


「……ああ。」


 わたしがこの時代に来て十年。

御館様はずっと変わらない。

 勿論、新皇の名乗りを上げたことは大きな変化だけれど、もっとこう、本質的なもの。

一族郎党や民を大事に思うが故に、自分一人が無茶をする様なひととなり。


 御館様が人に頼る姿を、わたしはあまり見た事が無かった。

今だって、民にとって唯一の強い統率者になろうとしている。

遠くへ遠くへ、生き急いでいるかのようで、わたしはそれが、少し怖い。


 軋む心を鎮めるように、わたしは腰紐に捩じ込んだ扇子をそっと撫でる。

 これが歴史上の大きな事件に数えられるのか、わたしは未だに思い出す事が出来ない。

でも思い出せないのなら、きっと歴史に大きな変化は起きないのだろう。

 それが意味するものは、即ちこの挙兵の失敗。


 あの日舟上で泣いていた、桔梗様の気持ちが良く分かる。

優しい御館様に、そんな結末は余りにも酷いと思った。


 わたしがこの時代へ来たように、穏やかな奇跡が起きる事を、ただ願う。

同時に、わたしが現代からこの時代に飛ばされた意味を考える。

 何か望む未来のために、この歴史を良い方に変える為に、自分に出来る事があるのでは無いかと考えては、何も浮かばない自分に焦りを感じ始めていた。


 それから後、御館様は新しい国と都を築くと正式に宣言し、国司の任官式を行った。

この時代は基本的に世襲制と言うか、独裁政治が当たり前だから、弟君達や御館様に近しい郎党達が、揃って要職に就いた。

 都は下総、石井から程近い場所に築かれる事に決まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ