亀裂
御館様が新皇の名乗りを上げた数日後、師走も半ばの事。
低く垂れ込めた曇天からは、ちらちらと小雪が舞っていた。
市女笠を深く被った巫女の姿が遠くなるまで見送ってから、わたしは上野国府の一室に赴いた。
八幡神の使いを名乗ったその巫女は、あの後すぐ意識を失いその場に倒れた。
わたしは御館様より介抱を申し付けられて暫く世話をしていたのだけれど、目を覚ました巫女は、嘘か真かお告げの事を何も覚えて居ないと言ったのだ。
ただ、こう言うお告げだとか神事の際に、神の代役を務める者が記憶の混濁を起こす事はあるらしい。
これは「神懸り」と呼ばれ、尊ばれるべき事なので、巫女が覚えていなかったとしても、特に問題はないのだと言う。
「巫女は無事に帰られました。もう少しお休みなれば良いのに、積もり出しては大変だからと急がれて……。」
流石に寒いのか、訪れた部屋の襖は締め切られて中は薄暗い。
部屋の主である御館様は小さな燭台の灯りの下で書き物をしている。
「そうか、苦労であったな。玄茂からは何か聞いたか?」
御館様は、顔を上げずにわたしの話を聞いていた。
「ええ。事の経緯を聞きましたが、門前で巫女から声を掛けられて案内しただけと。御館様のお耳に入れるような事は何も……。あ、もう新皇様とお呼びしなければいけませんでしたね。」
「良い。俺とて未だ慣れん。」
新皇となった御館様は、坂東にいよいよ新しい都を築こうとしている。
皆が祭りのように盛り上がる中、わたしはこれが本当に喜ばしい事なのかずっと計りかねていた。
わたしの知る歴史上、基本的には天皇は一人だけだったし、天皇が関東地方に居るなんて事は明治以前には無いはずだ。
だから御館様の描くこの夢は、何処かで潰えるのでは無いかという不安があった。
何より、御館様が日本全国の統治を目指しているなら、これから起こるのは朝廷との戦だ。
虐げられる民を解放するという目的があったとしても、それは何だか、今まで坂東の民に慕われてきた御館様の姿とは、かけ離れている様な気がしたのだ。
「兄者!此処に居られましたか。」
閉め切られていた襖を開けて、大股で入って来たのは将平様だ。
御館様の側近の一人、伊和員経も一緒である。
「またか将平。お前の言う事は聞き飽きた。」
「いいえ兄者、何度でも聞いて頂かねば。やはりこんな事はお辞めください。兄者らしくありません!」
御館様は、将平様の姿を見ると、露骨に眉根を寄せて不機嫌そうな顔をした。
と言うのも、御館様の常陸国府焼き討ちから始まる一連の行為に、違和感を持ったのはわたしだけでは無かった。
豊田の重臣達の中でも意見は分かれ、坂東統一に苦言を呈する者も居た。
将平様達は特に、それを強く御館様自身に訴えていたのだ。
毎日のように繰り返されるその主張に、御館様は良い加減嫌気がさしているのだろう。
将平様は普段の温厚な態度とは違い、この時ばかりは声を荒らげて捲し立てる。
急に始まった口論に、わたしはすっかり部屋から出て行く機会を逃してしまった。
「新皇様、この員経命を惜しまず進言致します。将平様のお声をしっかりとお聞きになって下さいませ。主を諌める者が居てこそ、主は道を見失わず家臣を導く事が出来ると言います。将平様がこうして貴方様に意見する意味をお考え下さい。」
「五月蝿いぞ員経。お前はそう言うが、此れは神の意志だ。一度神前に誓って成すと口に出して決めた事は、成し遂げねばなるまい。新皇となり、事を成そうとする主を支える事が、お前達家臣の勤めではないのか。」
「兄者、そもそも帝とは争って成るものでは御座いません。今朝廷に弓を引く様な事をすれば、後世で民に何と語られましょうか。」
将平様の主張は要約すると、全ての事象は神が決める事であるのに、巫女に位を与えると言われたからと言って、武力で今居る朝廷の正式な帝を廃するような事はしてはいけない、という事らしい。
話が難しいけれど、とにかく戦は避けたいと思っている様だ。
「しかし、大陸の国々では武を以て新しい国をつくり、武によってその国を治めていると聞く。武力による統一は間違いという訳では無いだろう。」
「そうやもしれませんが、せずとも良い戦をして、実り豊かなこの坂東の地を戦火に巻き込むのは惨いことです。今にも朝廷は此処へ軍を遣わしますよ。」
「もしそうなれば、関所の守りを堅めるなり、相応の手を打つ。案ずる事は無い。お前達の言う事は杞憂に過ぎん。今は論じる価値も無い。」
そう言うと御館様は近くに居た兵を呼びつけて、将平様達を部屋から追い出してしまった。
「分かって頂けるまで何度でも参ります!どうか御心を改めて下さいますように!」
そう言って、将平様は去って行った。
去り際にちら、とこちらをを見た様な気がしたけど、わたしは何も出来ずにその背中を見送った。
将平様の足音が遠くなって、遂に聞こえなくなると、御館様はひとつ息をついた。
「見苦しいところを見せた。忘れろ。」
「……はい。」
小さく返事をして、言いたい言葉を飲み込む代わりに、わたしは袴の端を少し握る。
わたしだって将平様の意見には賛成だったけれど、それは決して口に出す事が出来なかった。
そういう時代だし、何よりもわたしが御館様に遠ざけられたくないと思った。
そこからもう少しだけ巫女の事や、わたしが受け持った仕事について話をした。
春から始まる作付で、新しく増えた領地にも、裏作を取り入れたいという相談もあった。
御館様はわたしのような後ろ盾のない者にも、奴隷と変わらない身分の者にも平等に接してくれるし、民の事を本当によく考えているのがよく分かる。
だけど将平様だって、民のことを考えての行動だった。
どちらも悪くないのに、仲違いしてしまうのは胸が痛む。
以前のように豊田の皆が笑って暮らすには、豊田はきっと、力を付け過ぎてしまったのだ。




