新皇
十二月、御館様率いる豊田の兵は下野国府を襲い、印を奪って国司を追い出し、その数日後には上野国を襲った。
これは驚く程上手くいった。
坂東の国々が次々に御館様に陥落していく度に豊田の民衆は沸き、御館様が天皇になる日も近いと語り合った。
しかし、わたしの心は不安が渦巻いていた。
だって、こんなの知らない。
わたしの知っている歴史では、坂東は独立した事はないし、似た様な事が起きるのは鎌倉幕府が出来る時。
それは多分もっと、後の時代の話なのだ。
もしこの世界が史実通りの世界なら、この計画は、きっと失敗してしまう。
けれど、わたしの立場で言える事なんて何も無い。
この世界がわたしの知る世界と違う未来を辿れる事を、わたしは唯々願った。
上野国が陥落すると、御館様は上野国府に豊田の文官達を呼び寄せた。
新しい領地を管理する為だ。
上野から届いた書状にあった名簿の中にはわたしの名前もあった。
世話役の女性も何名か上野へ同行するが、文官達は皆男だ。
普段の装束では色々と不便だと言うことで、わたしは動きやすい男性の様な袴姿へと着替えて豊田を発った。
豊田から上野に向かう途中、上野から落ち延びたような集団を見かけた。
国司の縁の者達だろうか、位が高そうな女性は簡素な履き物でぎこちなく歩き、立派な装束の兵も馬を連れていない。
女性は外を歩き慣れていないのだろう。
兵が馬を連れていないのは、連れてくる余裕が無かったのか、それとも道中で売ったのか。
彼らが何処へ向かうのか分からないけれど、きっと厳しい旅になるだろうと思った。
上野国府に着いて数日、晴天の下、皆を集めて政務を執り行っている時の事。
郎党の一人である藤原玄茂が、御館様の下に一人の女性を連れて来た。
美しく凛とした雰囲気の、巫女装束の女性だった。
「私は八幡大菩薩の使いである!」
よく通る綺麗な声で女性がそう告げると、周りの者は一斉に平伏した。
この時代は皆信心深いので、異議を唱える者など誰も居ない。
未だにこういう事に慣れないわたしも、内心微妙に思いながら皆に倣って早々に平伏した。
「其処な男、平小次郎将門よ。其方に朕の位を授ける。八幡神と道真の霊が其方の地位を証明しよう。」
一体、何が起こったのだろうと、わたしは周りの真似をして平伏しながら必死に頭を整理した。
八幡神とは、京の都を鎮護する神だ。
道真の霊と言えば、現代では神様だけれど、この時代はまだ亡くなったばかりで、都では怨霊とか呪いとか言われて恐れられていると聞いている。
相反するような組み合わせが不思議、というか怪しい。
何だか都合が良すぎる様な気がしてそっと顔を上げて周りを見たけれど、誰もそんな事思っていないようだ。
御館様は名前を呼ばれて一度顔を上げると、巫女の言葉が終わるのと同時に、両手を上げて何かを受け取るような仕草をして、それからまた深く額づいた。
「慎んで、お受け致す。」
この瞬間、声にならない漣の様な騒めきが、平伏する集団のあちこちから溢れ、辺りは異様な熱気に包まれた。
どうやらこれは、御館様が神によって新しく天皇の位を授けられたと言う事らしい。
いまいち盛り上がれずに訝しげな顔をしていたわたしに、側に居た玄明がそっと教えてくれた。
女のお前には分からないかもしれないが、などと枕詞を付けてきたところが、彼が常陸で嫌われた理由の一つだろうと思った。
そのうちに、御館様は静かに立ち上がった。不思議と、衣擦れの音さえしなかった。
「皆聞いたか。八幡神よりたった今神託が下された。此れは大変名誉な事である。此れより俺は一層力を尽くし、西国から蝦夷の果てまで我が物として見せよう。」
深く、しかしぴんと弦を張ったような、威厳のある声音だった。
神託などを信じる気にはなれなかったけれど、今この瞬間の御館様を信じたいと思ってしまった。
そのくらい、息を呑むような荘厳な雰囲気があった。
皆、御館様を真っ直ぐ見た。
御館様も真っ直ぐこちらを見つめて、それから腰の大太刀を抜く。
鋒が天に向けて突き上げられると、抜けるような冬晴れに白刃が鋭く煌めいた。
「我こそは、新皇なり!」
その声は、国府に高らかに響き渡る。
それを聞いて、この場に居た多くの者が歓声を上げて喜んだ。
ある者は立ち上がって友と抱き合い、ある者は涙を流して御館様を拝む。
その誰もが笑顔で、国府はまるで美しい花が満開に咲いたようだ。
今ここに、新たな天皇が誕生した瞬間を、確かにわたしは目にしたのだった。




