2人の客人
諍いの後始末も済んだ頃、武蔵国には逃げた経基の代わりに、新しく国司が派遣される事となったらしい。
これで武蔵国もやっと落ち着くだろうと思ったのも束の間、石井の屋敷に思いがけない来客があった。
知らせを受けた御館様の後ろを付いて客間へ回ると、その客人には確かに見覚えがある。
御館様も上座に腰を下ろしながら、その者に親しげに話し掛けた。
「驚いたな。何故此処へ来た、政務は一体どうしたのだ、興世王殿。」
上座に向かって頭を垂れているのは、あの武蔵国の権守、興世王である。
それだけでも驚いたけれど、部屋に面した庭先には、多くの者が連なっていた。
女子供、老人に至るまでが興世王の後ろで同じように平伏している。
御館様が尋ねると、顔を上げた興世王はさめざめと泣き出した。
「武蔵国に、新たな国司として武蔵守が派遣されたのはご存じだろうか。名を百済貞連と言うのだが、その男が何しろ酷いのだ。奴の所業に呆れ果て、世の儚さを思って私は一族を連れて武蔵を離れた。行き所無く彷徨い、皆疲れ果て、最後の砦と思って此方へ参った次第。どうか、我ら一族を貴方の下へお迎えください。」
なんだか回りくどい言い方だけれども、要するに、興世王は武蔵国から亡命してきたと言うことらしい。
涙混じりに今までの苦労を伝える興世王に釣られて、後ろの老若男女も泣き出した。
この者達はどうやら興世王の親族のようだ。
平安時代は泣くこと自体、一種の美学とされているので、男女問わず皆よく泣く。
武蔵国で自らの役職を守る事を重要視していた興世王が、それを放り出してみすぼらしく平伏して涙を流す姿は、どうやら同じ皇統の血を引く御館様に刺さったようだ。
御館様は上座を降りて興世王の肩を叩いて労うと、控えの使用人の方へ向き直った。
「おい、豊田と猿島との境に使われていない別邸があっただろう。そこを整えこの者達を迎えてやれ。」
「はい、直ぐに。」
使用人達が慌ただしく動き出す。
これで、興世王を郎党の一人として召し抱える事に決まった。
御館様の言葉を聞くと、興世王は畳が擦れる程額を擦り付けてまた泣いた。
「かたじけない、真にかたじけない将門殿……いや、御館様!」
「良い。其方の郎党達が落ち着き次第、石井の屋敷まで顔を出せ。国司を務めたその手腕、俺の為に振るえ、興世よ。」
こんな風に他国の人間が御館様の傘下に入ることは、何も珍しい話ではなかった。
御館様のこの自由な気質と誇り高い心に惹かれ、豊田を目指す者は多い。
興世王は武蔵国では決して良い国司とは言えなかったけれど、ここには都勤めの経験者は少ないので重宝する。
わたしも今や文官の一人として御館様の側で仕事をしているが、出来ることは現代の知識を活かせる事だけ。
都のあれこれは全く分からない。
他の文官達もそうだ。
興世王が御館様に下った事で、豊田は更に良い方向へゆくだろうと皆が期待をした。
興世王の亡命から少し後、石井の屋敷にはまた珍しい客が訪れた。
常陸国から来た藤原玄明という男だ。
興世王と同じように一族を連れて屋敷の門を叩いたこの男は、特に官吏という訳ではなかったが、常陸の古い豪族なのか、ただ単に豪農なのか、沢山の貢物を持って現れた。
そして、謁見早々に御館様に一つ願い事をした。
「私は国で、些末な失敗を犯しました。しかしながら、懸命に働き罪を禊ごうと励んで居た所を常陸介に捕縛されそうになり、一族を連れ命からがら国を離れたのです。どうか我ら一族が無事に常陸に戻れるように取り計らって頂けないでしょうか。」
玄明の態度は非常にしおらしく弱々しいものだったけれど、話の内容が内容なだけに、部屋には微妙は空気が流れる。
些細な失敗では普通、国司に捕縛などされないからだ。
興世王の時とは違い、御館様も直ぐに頷きはしなかった。
「事と次第によるが、一体何を犯したのだ?」
その問いに、玄明は一層縮こまって答える。
「はい、不作の年に、租税を納めるのを少し怠りました。しかしこれも一族を食わせるため止むなくした事なのです。」
さめざめと泣く玄明とその後ろの一族達。
それを見て、御館様は小さく唸った。
「租税の滞納は確かに小さな罪ではないが、それで捕縛と言うのは厳しい事だ。一つ、常陸に書状でも書いてやろう。」
わたしや興世王をはじめ、外部の人間に対して慈悲深く人情に厚い御館様は、見ず知らずの玄明の事も、暫く匿い面倒も見る事に決めたらしい。
しかし、他国の国司が関わるとなれば大事。
事は慎重に進めなくてはならない。
玄明には、頃合いを見て書状を持って国へ帰るようにと話を付けた。
一度はそうしてこの話は終わったかに見えたけれど、これに対して玄明は、御館様に感謝を述べつつも、この計らいに対して何度も目通りを願っては蒸し返した。
「幾ら高名な将門殿の書状とは言え、私め等が持ち帰れば、本物だと信じて貰えずたちまち破り捨てられてしまいます!」
「それだけで済めば良いですが、きっと我々は国司を謀った罪を着せられ、土地や財を奪われ奴隷にでも落とされてしまいましょう。常陸介はそう言う酷い男なのです!」
「武蔵国になさった様に、常陸にも兵をお連れになり、我ら一族と常陸国の間を取り持って頂きたい!」
この様な具合で、玄明やその親族達は石井の屋敷に滞在中、入れ替わり立ち替わり現れては、政務や鍛錬中も構いなく自分達の更なる保護を懇願してきた。
その度に私たち側仕え達は無礼が過ぎると苦言を呈したけれど、それでも玄明は自重しなかった。
「武蔵国と今回とでは勝手が違う。此度の事は国全体の問題とは程遠い。兵を出す程の事では無いだろう。」
御館様もそう言って、初めは玄明達の言葉を取り合わずに居た。
しかし、暫くしてその考えに転機が訪れる。
常陸国から御館様や周辺国に対して、藤原玄明を見つけ次第捕縛し常陸へ引き渡すようにとの書状が届いたからだ。
領民一人が相手にしては、かなりの大事に思われた。
「成程これは、根が深そうだ。俺が常陸へ行って、ひとつ話を着けてやろう。」
御館様はこれを、国司による弱き民への不当な権力行使と見たのだろう。
兵を出そうという事になった。
武蔵国の時と同じように、弟君や郎党達は必死で止めた。
武蔵国の一件でも謀反の疑いを掛けられた今、また他国へ兵を連れて行くと言うのは心象が悪過ぎる。
それにこの頃、常陸から流れてきた噂で、玄明の租税の滞納は少しどころの話ではなく、他にも蔵から盗みを働いたりと、かなりの悪党だと言う話が挙がったから。
しかし、その話を聞いて尚、御館様の意見が変わる事は無かった。
「以前はその様な悪行に手を染めた事もあっただろう。其れでも逃げるのでは無く、国へ帰って真っ当に働きたいと言うのだ。それならば、無事に人の道に戻れるよう力を貸すまでよ。」
結局、豊田から約千人の兵を連れて、御館様自ら常陸国へと向かった。
兵はあくまでも威嚇の為。
武力を行使することはないと言う事で、郎党達もしぶしぶ送り出した。
しかし、屋敷に残っていたわたし達のもとに、常陸国府焼き討ちの知らせが届いたのは、それから少し後の事。
御館様が、焼いたのだった。




