裏切り者
「それにしても、最近の良兼は妙にこちらの隙を突いて進軍して来るような気がしてならないな。」
年の明けた承平八年正月、宴席で郎党のひとりがそうこぼした。
それは、皆が何となく感じていた事だった。
普段であれば、口に出す事は無かっただろう。
しかしここは宴席。
酒が入れば皆大胆に、そして饒舌に喋り出す。
遂に誰であったか、「裏切り者」と言う言葉を呟くと、酔いから醒めたのか醒めていないのか、直ぐに犯人探しが始まった。
そこから、その存在が明るみに出るまでは早かった。
「裏切り者は、子春丸である!」
容易く討ち取られた子春丸の首を掲げて、郎党達が豊田中にそう触れ回ったのは、まだ年明け三日の話だった。
どうやら良兼が金子を渡して、子春丸に豊田の内情を探らせていたらしい。
それがいつからなのかは分からない。
けれど堀越の渡で敗れた後、桔梗様の舟を襲わせたのは、子春丸に違いなかった。
桔梗様の舟に共に乗っていた仲間で、唯一生き残ったのが子春丸だからだ。
子春丸も肩や足に傷を負っていたけれど、致命傷は受けていなかった。
本人曰く、斬りつけられて倒れた先にあった船留の杭に頭を打って気絶したという事だったが、本当は舟がもやい綱を解いて逃げられない様に、そこに陣取って阻止していたのかもしれない。
陸側に護衛兵達の亡骸が多かったから、陸から敵が侵入した筈なのに、敵が見えて直ぐに綱を切って逃げていないのはおかしいと、わたしはずっと考えていたのだ。
わたしが居ない時に舟が襲われたのは、偶然なのだと思っていたけれど、もしかしてわたしを神子と信じている良兼に、子春丸が配慮をしたのかも知れない。
今となっては、最早真実は分からない。
残ったのは、小春丸が私たちを、御館様を裏切ったと言う事実だけ。
晒されたその首をわたしも見たけれど、子春丸の為には、泣けなかった。
その日の夜中、わたしは硬い布団を抜け出して、屋敷の柵を越えて馬場を目指した。
誰も居ない場所に行きたかった。
嫌な考えが、ずっと頭を離れないから。
屋敷の先は、ビルの明かりも街灯もない暗闇。
それでも、年の暮れから降り続いていた小雪が止んで、今日は珍しく月が出ている。
その月の光が雪に反射して、辺りは淡い光に照らされていた。
雪明かりがこんなに明るいなんて、現代に居るときは知らなかった。
それだけじゃない、焼かれた集落のにおいや、斬られた首の断面、それを知って尚、平気で人を殺せる人間の残虐さと、それを受容して染まってゆくわたし自身の仄暗い感情。
そういう、現代にはなかった何もかもを、わたしはここで知ってしまった。
馬場の端の木々間で、わたしは蹲ってえづいた。
国香や扶達、子春丸、舟の侍女や兵達、そして桔梗様も、皆わたしが殺した様なものだ。
はじまりはきっと、わたしだった。わたしのせいで諍いが起こり、人が死んだ。
それなのに、わたしは今も生きている。
現代から来ただけの、何も持たないわたしだけが。
誰とも繋がりのないわたしだけが。
けれどわたしは、その人達の死を心のどこかで、良兼や、小春丸や、別の誰かのせいにしようとしている。
それと同時に、以前の様に敵を助けてあげたいと思えなくなっていた。
それが、心がこの時代に近づいている証のようで怖かった。
服織が焼かれた時も、小春丸が殺された時も、仕方が無いと、それは死んで良い命だとさえ思った。
このまま、この心が染まってしまったら、もうわたしは現代へ帰れないような気がした。
この時代で、こんなに沢山の親切を受けても、ふとした時に現代に帰りたいと思う気持ちには変わりがない。
この時代はわたしには酷く生き辛い。
だけど、そう思うのも申し訳なくて、何にも慣れない自分を嫌悪してしまう。
えづき疲れて顔を上げれば、あの日の舟の惨状が暗闇の中に透けていた。
その幻覚の中で、息絶えていた者達が虚な瞳を見開いて、一斉にわたしに向けている。
お前のせいだと、言われている気がした。
熱い涙が溢れては冷えて顎をつたう。
此処へ来て七年、わたしは初めて大声を上げて泣いた。
遠くで、狼の遠吠えが聞こえていた。
子春丸の首は、石井で負けて領地へ退却した良兼の下に送り付けられた。
良兼はそれに大層慄いたらしく、以降はこちらに攻め入る事なく、なりを潜めた。
病でも患ったのでは無いかと噂されていた。
一方、豊田襲撃のもう一人の主犯である貞盛は、良兼とのこの騒動の間、ずっと姿を眩ませていた。
桔梗様の仇であるからか、御館様が血眼になって探していたけれど、漸く見つけた手掛かりは、貞盛が少し前に京の都へ向かったと言う情報だった。
「急ぎ支度せよ、俺は貞盛を追う。」
二月、そう言うと御館様はわずかな手勢を連れて、貞盛を探しに足早に京へ旅立って行った。
それから数ヶ月して、御館様は酷く苦い顔で帰還した。
豊田を出てから、東山道を通って碓氷峠を超え、信濃の国で貞盛に追いつき、千曲川を挟んで刃を交えたという。
御館様は国府近くを戦に巻き込んで国分寺を焼き、その勢いのまま貞盛が陣を構えていた高台まで駆け上り、今にも貞盛を打ち取ろうと言う所まで追い詰めたけれど、最後は逃げられてしまったらしい。
そんな貞盛が都に戻って、大人しくしている筈がない。
きっとあらゆる伝を駆使して、御館様を追い落とそうとするだろう。
だから直ぐに都から何かしらの官符が届くだろうと思っていたが、それから数ヶ月経っても貞盛がなにかを働いた気配は掴めなかった。
最後は裏切られる形になったけれど、貞盛とは元々和平を進めていた。
だから父親の国香を殺されたからと言って、良兼達に丸め込まれただけで、御館様に対して明確な戦意があった訳ではないのかもしれない。
あるいは、朝廷にまた別の思惑でもあるのだろうか。
郎党達は色々と噂話をしていたが、結局、貞盛は和平することなく都へ去ってしまったので、その真意は分からない。
ただ一つ言えるのは、この戦のあと、良兼が表に出なくなり、貞盛も京へ上ったままなりを潜めた為に、豊田はここ数年で一番穏やかな日々を迎えていた。




