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病魔

豊田を占拠していた叔父達や貞盛の兵から、わたし達が命からがら仮の営所に戻った後、御館様は床へ伏された。

 父君から受け継いだ大切な領地を焼かれ、民や郎党達、また桔梗様をはじめ多くの奥方たちの安否が分からない事は、どんなに苦しいだろうかと思った。

 ただ、御館様の病はどうやら心労からくるものでは無く、少し前から患っていたというのだ。

そう言えば、以前屋敷で見かけた時も顔色が悪かったことを思い出した。

 この事は豊田兵の士気に関わるとのことで公には伏せられ、わたしの知らないところで祈祷師などを呼んだりしていたが治らなかったらしい。


「祈祷師だけを呼び付けて、何故薬師を呼ばないのだ。」


 報告の席でそう言って周囲に睨みを効かせたのは将頼様。

御館様が伏せって居る今、次に指揮権を持つ御館様のすぐ下の弟君だ。

将頼様は普段は国府の側に居を構えていて、何か役所勤めをしていると聞いたけれど、この一大事に帰郷していた。


「……将頼殿、そうは言われましても、今やこの地は戦場。一体誰が戦火の中を好き好んで訪れましょうか。」


 郎党の一人がおずおずと進言した。

将頼様は深くため息を吐く。


「それを探し出して来るのがお前達の勤めだろう。それとも何だ、お前達の中では己の主の病は薬師が居ないと言って終わりにしても良い事なのか?こんな事では不忠だと言わざるを得ないぞ。」


 静かに怒気を孕んだ声がその場に響く。

将頼様の声は御館様よりも少し低いようだ。


「一体どうするうもりだ?」


 言い淀む郎党達にさらに将頼様が畳み掛けた。

 そう、祈祷は気持ちの面では効果があるのかもしれないけれど、現代医学に基けば、それで病が根幹から良くなるはずが無いのだ。

けれどこの時代は祈祷師は当たり前に存在するし、それはそれで信頼された存在だ。

それでも、さらに薬師と呼ばれる医者の存在もちゃんと存在して居る。

病魔、とはよく言ったもので、魔を払うための祈祷師、病を治すための薬師、どちらにも診て貰うのが慣習らしい。

 だから、祈祷師のみしか呼ばなかった事に将頼様はお怒りなのだ。

将頼様はこの時代にしては珍しく、祈祷や神通力など、そういう非科学的な俗説をあまり信じていない様だった。

 

「……なぁ、浮草。お前は大陸で医術を学びはしていないか?」


 郎党の一人が、苦し紛れにわたしの名を呼んだ。

この報告の席にはわたしは殆ど無関係だと思っていたから心底驚いて、驚きの声を上げた後は咄嗟に言葉が続かなかった。

わたしは何でも屋ではないんです、と言えたらどんなに良かったか。

どうしたものかとまごついている間に、周りの者が同調し始め、わたしは一気に渦中に落とされてしまった。


「お前は––––、兄者の客分か。どうなのだ、兄者を診られるか。」


 ついに将頼様にもそう問われて、わたしは逃げ場を失った。

 正直に言えば、分からない。

 確かに現代の医療は進んでいたけれど、進んでいた故に、既存の薬を買って飲むだけで軽い体調不良は治せるし、すぐに病院に掛かることも出来た。

家庭の医学的なモノも、わたしの世代には最早あまり継承されていない。

 黙り込んで悩むわたしに、将頼様の見えないところで郎党達は頷け頷けと、仕草でしきりと伝えてくる。

自分達がこれ以上叱責されるのが嫌なのだろう。

将頼様の怒り方は御館様のそれと違って、声を荒らげる事は無いが長く、重箱の隅をつつく様で、それが郎党達にとっては怒られ慣れないのだ。

 だからと言って、人を巻き込むのは辞めてほしい。わたしだって御館様を助けたいのは山々だけれど、いかんせん自信が無いのだ。


「その、故郷で詳しく学んだ事は御座いませんのでお力になれるか分かりませんが、それでも宜しければ……。」


 それが、わたしが今言える精一杯だった。

将頼様は、感情の読めない顔でわたしを見ていたが、これを聞いて一つ頷く。


「良いだろう。もし分からなければ正直に言え。頼んでいるのは此方なのだから、その結果に責めたりはしない。分からないまま不適切な事をされるより良いからな。」


 許可はあっさり出た。

こんな時に不謹慎だけれど、皆に信頼してもらえている事が少し嬉しく感じた。

将頼様も良い人なのだ。

少し神経質に感じる事もあるけれど、考え方は知的で思慮深い。

責任の所在をきっちり提示してくれるのは、お役所仕事に慣れているからだろうか。

今まで殆ど話をした事が無かったけれど、現代の人に近い雰囲気を持つ人だと思った。

 

 そうして、善は急げと御館様の寝所へ案内されると、御館様は直ぐに身を起こしてこちらを見た。


「浮草か。」


「はい。お加減は如何で御座いますか。」


「不甲斐ない事だが、体が鉛のように重く、手足を満足に動かすことすら出来ん有り様だ。頭痛や手足の痺れも酷い。」


 濡羽色の髪が一筋、やつれても整った横顔に張りついているのが何とも労しい。

眉を寄せて荒い息を吐く姿は本当に辛そうで、家臣に弱い部分を見せまいとする意地だけで起きているように見えた。

弟君達には自分亡き後は、という話をしている程だと少し前に将平様から聞いていたけれど、確かにこんな弱りきった御館様は初めて見た。

 しかし何よりわたしが驚いたのはその顔の浮腫みだった。

兜を締めていた時は分からなかったが、以前から浮腫みに悩まされていたらしい。

 失礼を承知で手や足へ触れると、特に脚は普段の何倍にも浮腫んで、押しても凹んだまま戻ってこない。

脛当ても着られないような有様で、これでは甲冑を着て戦に出る事は当分叶わないだろう。


 何の病気かは現代を生きていただけの現代人であるわたしにもちろん判断はつかない。

けれど、現代にも浮腫みの症状はあるわけで、特にわたしを含め女性は結構それに悩まされる人も多いから、改善に何が必要なのかは一応知っている。

カリウム、それと予防にはビタミンだ。

 この時代には栄養素という考え方が無いから、栄養が偏るのは仕方のないことだけれど、工夫して食べれば充分きちんとした食生活を送ることが出来る。

 この時代で普通に食べる事ができるカリウムの多い食材だと、海藻類や自然薯、少しお高いけれど干し柿あたり、予防には豆類が有効だったはず。

大豆は坂東では基本手に入らないらしいが、丁度良いことに、豊田はわたしの進めた裏作で大豆を作っている。


 食事療法だけで治るのかは賭けだったけれど、ひとまずこの辺りを使用人達に伝えて、煮物や自然薯の粥を作ってもらった。

竈での調理が何年経っても一向に上手くならなかったわたしは、未だに一人で料理を作る事が出来ないから、笑って調理に協力してくれる使用人達の存在はとても有り難かった。

 御館様は芋粥がお好きだったはずだけれど、病のせいか食欲が無いと言うので、最初は少しづつでもと勧めて、なんとか食べてもらった。


 暫くそうしてきちんとした食事を続けていると、段々と浮腫みが引いてきた。

今回の浮腫みは病気からくるものではなく、単純にビタミン不足からくるものだった様だ。

御館様はかなりのお酒好きで、食事よりもお酒と肴で済ませてしまう事が多かったのも、病気の原因だったのかもしれない。

わたし含め郎党達は、御館様の回復の兆候に心の底から安堵した。

 

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