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草隠れ

 屋敷でそのやり取りのあった十日後、豊田兵は再起を図った堀越の渡での合戦にも敗れた。

 今までの諍いで、此処まで追い詰められたのは初めての事。わたしはまるで現実では無いような、信じられない気持ちだった。


「此処も最早危うい。皆逃げる支度をせよ。」


 やがて戦場に居たであろう郎党達が、ボロボロの身なりのまま、そう屋敷に知らせに来た。

わたし達は着の身着のまま、皆散り散りになって逃げた。

 程なく、鎌輪の屋敷は炎に包まれた。

 わたしはこの頃、御館様に勧められて桔梗様付きの侍女の様な事をしており、彼女と共に舟に乗って鎌輪を脱出した。


 豊田の主戦力とは逸れてしまい、敗走してからの御館様の様子は入って来ない。

御館様も大きく動けず、何処かに隠れていると言う事だろう。

それはとても心細い事だった。

 しかも、何人も居た御館様の奥方達の中で良兼軍に見つかった者は、皆連れ去られたり、殺されたりしていると聞いた。

そうなると、こちらから御館様達を探しに行く事も出来なかった。

 

 舟を仮の住居とし、隠れながら川岸を転々として暮らす中、桔梗様はずっと泣いていた。

わたし達侍女は、そんな桔梗様と自分達を、互いに励まし合って過ごしていた。


「桔梗様、お気をしっかりお持ちくださいませ。次期に御館様が助けに来て下さいますよ。」


 夏草の生い茂る木陰で、わたしは息を潜めながらも、安心させるように微笑んだ。

暑さと緊張で、桔梗様はこの所ずっと体調が良くない。

屋敷での生活とこの船の上では、余りにも環境が違いすぎるのだ。

それに加えて心労も祟っている。

 桔梗様の不安な心中が、わたしにはまるで手に取るように分かった。

以前御館様に、わたしと桔梗様が似ていると言われたのは、その通りだったかもしれない。

わたしも現代から此処へ来た時はやっぱり不安で、毎日現代へ戻りたくて仕方なかった。

 それでも、御館様や屋敷の人々に優しくされて、何とか今まで生きてこれた。

桔梗様にとって、今頼れるのはわたし達しかいないのだ。

わたしが屋敷の人々にそうしてもらった様に、少しでも彼女を勇気付けたかった。


「ええ。彼の方はきっと来て下さるわ。でも、私の事などどうでも良いのです。ただ彼の方が、憐れでなりません……。」


「憐れ、ですか?」


「ええ、世が世なら都で御大臣にもなれる高貴な血筋でありながら、このような渦中に身を置かれるなんて。人にお優しく平和を願う彼の方には、この様な境遇は余りにも……」


 そう言って、桔梗様は目を伏せる。

空咳をした彼女に、わたしはそっと水差しを手渡した。


「しかし、御館様は戦に強くていらっしゃる。御大臣と言うよりは、まるで戦うために生まれたような御方では?」


侍女達の会話に、割って入ったのは子春丸。

桔梗様の護衛として共に舟に乗り込んでいる。

時代相応にがさつな彼は、繊細な女性の感情なんて、まるで理解が出来ないのだろう。

 わたしはむっとして子春丸を睨めつけた。


「桔梗様は、愛しい御方には幸せで居てほしいと仰っているのでしょう。私も同じ気持ちですよ、御館様は私の命の恩人ですから。」


 わたしの言葉に桔梗様は小さく頷いて、それからわたしの手を取った。


「……有難う、浮草。ねえ、今日は貴女が集落へ行ってくれるのよね、どうか気をつけて。」


「はい。少しでも栄養のあるものをお持ちしますね。」


船上の仲間達に見送られて、わたしは1人川岸に降りた。

 舟上の暮らしは不便で、何日かに一度、屋敷から持ち出した品と食料や消耗品を交換する為に陸に上がらなければならなかった。

桔梗様を護衛に任せて、侍女達が手分けをして川岸近くの集落へ赴いている。

 その日はわたしが当番だった。

川岸の草むらはあちこちで羽虫が蠢いてる。

耳元で音がするのにはいつになっても慣れないけれど、こればかりは仕方がない。

 舟を離れて背の高い葦の生い茂る川岸をそっと進んでいると、そのうち近くで男の怒鳴り声がした。

芦の隙間からそっと辺りを伺うと、川岸の繋留してある舟を検分して回る、甲冑姿の男達の姿があった。

 格好からして、貞盛の軍勢の様だった。

 幸い、桔梗様の舟はもう少し先にあり、まだ捜索の手は掛かっていない筈だ。

わたしは着物の上から、合わせの奥に仕舞い込んだ扇子に手を添える。

ここでじっとして居る訳にはいかないと、自分を奮い立たせて来た道の方を向く。

 しかし、直ぐに知らせに戻らなければと急いだのが良くなかった。


「そこに誰かいるのか!」


 不自然に揺れた芦に気が付いた兵が、こちらへ来てしまったのだ。

 現代を生きていた女の足では到底逃げ切る事など出来ず、わたしはあっさりと捕まった。

しかも運悪く逃げる拍子に落としてしまった風呂敷包から、集落には無い綺麗な反物がはみ出しているのを見て、わたしが豊田の関係者である事にも気付かれてしまった。


「来い。豊田の残党の居場所を吐かせてやる。」


 兵に腕を掴まれて強く引かれる。

陣中へ連れて行こうと言うのだろう。

 わたしは必死で抵抗した。

捕まった者に碌な未来は待っていないし、何よりわたしのせいで桔梗様達に危害が及ぶのだけは避けたかった。


 揉み合いの末にわたしは甲冑姿の男の一人から、刀を抜き取る事に成功した。

だからと言って、刀は両手で持ってもかなり重くて、とてもわたしには振るえ無い。

 でもこれが有れば出来る事がある。

わたしは、刀をそっと自分の首元に添わせた。

この男達の思う通りにさせたく無いから、わたしは此処で死ぬしか無い。

 男達も息を呑んだ。

せっかく手に入れた手掛かりを失いたくは無いのだろう。

 じりじりとした静寂がこの場を支配した。

いろんな思いが込み上げて刀を持つ手が震える。

神経がぐっと過敏になって、遠くの馬の足音まで聞こえるようだった。

 

「浮草、伏せろ!」


 その耳に、聞き慣れた声がこだました。

 ハッとして反射的にしゃがみ込んだわたしの頭上を、剛速の弓が音を立てて通り過ぎ、わたしを囲っていた男たちの額や首筋に食い込んだ。


「御館様!」


 芦の群生を蹴散らすように、逞しい駿馬に乗った御館様が駆け抜け、馬上で引き抜かれた大太刀が、膝をついて蠢いていた貞盛の兵の首を根こそぎ狩った。


「浮草、お前は無事であったか。……済まなかった。」


 馬から降りた御館様はわたしの前に来ると、甲冑の下に着ていた直垂の布を割いて、そっと首に巻いてくれた。

 緊張のあまり気付いていなかったが、首元に翳していた刀が、わたしの薄い皮膚を少しはばかり斬りつけていたらしい。

礼を言って布の巻かれた首元に手をやると、首筋から肩にかけて、ぬるりとした感触が伝わった。

思っていたより傷が深いかもしれないことに一瞬恐怖を覚えたけれど、今はそんな事を気にしている時ではない。

 桔梗様の舟に、一刻も早く戻りたかった。


「御館様こそ、ご無事で良かった。今は私のことより、奥方様を大事にしてあげて下さいませ。この先に桔梗様の舟が御座います。貞盛の軍勢に見つかる前に知らせに戻らなければ……!」


「なに、桔梗が。浮草、案内してくれ。」


「はい!」


 御館様の馬の背に乗せてもらい、芦の原を掛けた。

辺りは既に貞盛の軍勢に占拠されており、それを蹴散らしながら進んでゆく。


「桔梗!何処だ!」


 舟を停めていた木陰の手前で馬を降りる。

道中あれ程居た貞盛の兵は此処には居らず、辺りは不気味な程しんと静まり返っていた。

 木陰へ向かう獣道の下草が踏み荒らされて、冷たい地面が露出している。

これは、わたしが舟を離れる前には無かったものだ。

 嫌な予感がした。

 御館様の顔色も紙のように白く、冷や汗が米神を伝っている。

わたしは御館様を先導して、小走りで舟の繋留地へ駆け戻る。


 舟上には、地獄が広がっていた。

 余りの凄惨な光景に、わたしは言葉が出なかった。

先程まで共に励まし合っていた侍女達が無惨な姿で倒れ伏し、その夥しい血で板敷を真っ赤に染めている。

まだ浅く息のある者も居るが、この時代の医療では先ず助からないだろう。

護衛の兵達は、もやいを斬って舟を逃そうとしたのか、もやい杭の近くや舟の入り口付近に、数人が折り重なるようにして倒れていた。

 その多くも既に息はないようだった。


 そして桔梗様の姿は、舟上や芦の原の何処を探しても、終に見つかる事は無かった。

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