8話 悪童
「筋肉馬鹿は相変わらずか……平穏に塗れて現を吐かしとるには勿体無い。」
石突で受け防いだハゼがそう口走るとリースも軽く頷く。
互いに同じ釜の飯を食ってきた仲であるからこそ目の当たりにした現実は間違いなく本物の覚悟である。
「殺すつもりで……来い。」
そう言い切るマウベルの表情はさながら迷宮で遭う魔物よりも鋭く、そして畏ろしい。
戦闘時における強さといえば、身体に潜む魔素を体外へ溢れ出させ、平常時の何倍もの魔素量が膨れ上がり、それを如何に巧妙く纏い扱えるかで冒険者としての格が決まる。
今の彼はそう言うよりは表面にある魔素だけを扱っているように思える。
もしそれが事実だとすれば、非常に厄介極まりない。
通常の魔素の扱い方ではない事ぐらい昔から百も承知だが、問題なのはマウベルである。
彼は、かつて錫杖と斧が交差する団旗の象徴となった腕前の魔法使いである。
この衝突において錫杖を持たぬ癖に、と甘く見ていた計算は音を立てるかのように脆くも崩れる。
離れた位置でリースは叫びながらふざけるなと吐くと、その通りだとハゼも同意する。
リースは記憶を幾ら掘り起こしみても、素手による彼の戦法は露ほど知らず、ハゼはようやく察しそして、直感した。
元来の戦法は、より進化していると。
「元々、俺が修行僧だったのを忘れたか?なら思い出してもらうとするか、〝封拳〟の名を。」
徐に肩の力を抜き、脇を締め、両腕を力強くも柔らかく構え、下半身は『レ』の字を描くように肩幅に開いた。
魔素がみるみる内に体内から導かれ、その姿はさながらモンクと呼ばれる冒険者を彷彿とさせるが、リースは24,5年の付き合いで初めて感じる彼の雰囲気に魅入られたように唖然とし、かたやハゼの瞳孔は瞬く間に開き、忘却の彼方に置いてきた〝悪童〟との出逢いが鮮烈にも蘇っていた。
★★★
「おい、あの小童、今日も活きが良さそうだ、そう思わんか?」
ゼルファークの野太い声にハゼは直ぐ様反応して返す。
「ゼルファーク……あの修行僧、巷じゃ悪童と評判だぞ。修行僧の癖に金に汚い守銭奴とも夜は歓楽街で馬鹿騒ぎとも聞く。あんなの構っていたら後々面倒だ。無視、無視。」
ハゼの思わぬ切り返しにゼルファークは武骨な顔をしかめた。
強者のみに興味を惹かれる自身と同じ性分だと思っていたからこそハゼに聞いてみたが、興味の〝き〟の字も無い彼に対して不思議がった。
「そうか?俺には案外面白そうに見えるが、お前がそう言うなら、放って置く……か?」
「なんで疑問形なんだよ!」
荒くれ者が集う夜の酒処の一角にて二人がそう何気なく言葉を交わす。
毎晩懲りもせず悪酒を帯びた者同士が卓を勝手に動かしては盛り上がるそれは、最早、名物地味た催し物となりつつあった。
因縁を勝手につけては腕っぷしだけで正義を語り決めるのだが、思いの外、見物人が多く、いつの間にか一種の闇賭場と化して久しい。
その利益の半分は迷惑料として店主に渡される為、店側としても同意の上で大きな問題とはならず街の衛兵ですらそこに、わざわざ居合わせるというある意味で異色の喧嘩場。
「全く……衛兵が取り締まらねぇで何が正義だ。馬鹿野郎。」
そう愚痴を零しながら酒を呑むハゼもまたゼルファークからしてみれば名物光景へと成りつつあった。
「……どれ、一丁揉んでやるか。」
口に含んだ酒を思いがけず吐き出すハゼを他所にゼルファークは手持ちの金貨袋を掲げ賭場を呑む。
周囲の見物客達は意外な男の登場に震え上がり、熱気を放つと、喧嘩場に立つ1人の半裸男はよく通る声でゼルファークに激をとばす。
「気前良いねぇ!あんた!いつも黙って観てるだけかと思っちゃいたが……男前なのはどうやら外面だけじゃなさそうだな!」
その言葉に対してゼルファークはその場で装備を上半身だけ外して脱ぎ捨てると、ハゼに託す。
鍛え抜かれた肉体は、まるで鋼の如く仕上がっていて寸分も余計な贅肉が無い半裸を見せつけると近くに居た給仕係りの女達も顔を赤らめる。
盛り上がる賭場の熱気はより熱く、活気を沸かす。
「こう毎晩毎晩、暴れられては静かに酒を呑めんからな。どうだ小童?ここは一つ俺の興に乗って見んか?」
「興?あはは……あんた相当なもの好きだな?良いぜ。のってやる!……つっても具体的にはどんな条件だ?それ次第だ。」
不気味で不敵な笑みを見せながら歩をゆっくりと進めるゼルファークの異様さに一部の者は肝が冷えるほどの違和感を示すが、先程の会話からしてハゼの予感は悪い方向へしか向かず、酒を片手に慌てて叫び立つが、ゼルファークはその気配を振り向きもせずにいなす。
「俺が勝てば俺の冒険団に入れ。」
その言葉の意味を理解する周りの冒険者は呆気にとられ、ハゼはと言うと天井を向き片手で顔を押さえた。
嫌な予感は当たった。
そう言いたげな態度だ。
「俺が勝ったら?」
喧嘩場の中央で佇む半裸男が聞き返した。
「この金貨袋とそうだな……なんでも欲しい物をくれてやる。気が済むまでな。聞けば好色魔で守銭奴なんだろ?悪い話じゃあるまい。」
「はっ!大した自信だな。言ってくれるじゃねぇか……あんた知ってるぜ、人外のゼルファークだろ?噂を聞いてから興味あったんだが、あんたも興味持ってくれたか!そうか、そうか……やはり俺様は只者じゃねえって事だな。よし!その話乗った!男に二言は無しだぜ?」
卓を激しく叩き割るかの勢いでハゼは悶えた。
(どうしてこう……毎度毎度……ゼルファークの奴は勝手なんだ……あんなに金に汚くて好色魔な……修行僧の風上にも置けない様な奴をよりにもよって……『ウチの団に入れ』とな?ふざけるのも大概にしろよ……。)
少し長めの憤慨に支配されながらも必死に怒りを鎮めるハゼだが、喧嘩場の熱狂ぶりがハゼの思考を掻き消した。
視線を向けると1人の半裸男はその場に踞り嗚咽を垂らし、傍らの半裸男は聳え立つ大樹のようにまざまざと格の違いを見せつているのだが、どうにも雰囲気が不穏だ。
「よもや、これで終わりじゃなかろう?」
そう言った矢先、なんの躊躇もなく半裸男の首を掴み上げる。
「へへっ……今のは油断したまでだ……人外とは言え所詮人族だと舐めてたからな……。」
「ならば、挨拶はこれにて終了だな。次は本気でこい、小童。」
どうみても決着はついた。
―冗談じゃない。―
そう頭に過るハゼはゼルファークを止めに入ろうとしたが、気配を察したゼルファークは振り向くことなくハゼを牽制する。
『黙ってみていろ。』と、言いたげな程の気配にハゼは先程溢してしまった酒の交換を近くの給仕係りに注文する。
(あの生臭坊主、ご愁傷さまで。)
荒い呼吸を整えた生臭坊主もとい、好色魔な守銭奴はやっとの思いで立ち上がり再び闘気を燃やす。
今度は全力で。
相手の全力で纏う魔素の纏わり付き具合にゼルファークは何故か嬉々として楽しんでいるかのように見え、かたや笑顔も余裕も消えた男からは奇妙な魔素の流れ方をハゼは感じとる。
新たに運ばれてきた酒を片手にして口に含むと、珍しい光景が目に飛び込んできて固まる。
それは、一瞬の光景であった。
片腕を上げながら手の指を天井に甲をゼルファークへ向けたかと思えばその指先は二度、微かに動いた。
挑発的かつ神秘的に。
全力で立ち会わないと相手に失礼だと言って反省した半裸男の顔つきは至って真剣そのもの。
そんな相手を見て楽しむゼルファークが仕掛けた瞬間、巨体は勢いよく宙を翻り床上に転ぶ。
少しの間を置き、その場の熱気は歓声へと変わる。
「うし!これで決着均衡だ!次で決めてやるぜ、人・外。」
まさかの結果だ。
ゼルファークが投げ飛ばされる、いや、魔素を引っ張られる姿なんて見たことなかった。
あまりの珍事にハゼも周囲も驚きを隠せない。
寧ろ何故か、生臭坊主を応援する声も上がるほどその光景は何よりも衝撃的だった。
「やはり面白いぞ、小童。名は?」
ゼルファークが他人の名前を聞く事自体が珍しい。
彼を支持して寄ってくる者その殆どが正確に名を覚えてもらえず苦労している。
基本的に他者には興味を示さない性分で、団の活動報告会議では主要人物はまだしも、逐一出る名に『そいつは誰だ?』と言う始末。
団長としてその気構えは以前から問題だと口酸っぱく言い続けてきたハゼとしては、この眼前の光景はある意味で悪い気はしなかった。
だからこそ、それをよく知る者からすれば得も言われぬ何かが湧き立つ。
人族の常識を越えた存在と人族外、恐らくは【牛人】族と思しき生臭坊主の決着の行方にハゼも周囲も不思議と心が弾んでいた。
「俺はマウベル。ミルス・マウベルだ。」
名を聞いてゼルファークは、その名を呟くとマウベルは叫んだ。
「ミルクじゃねぇ!ミルスだ!ミ・ル・ス!」
そう言い切ると両者の拳が爆音とも呼べる音量で激しくぶつかり合うが、喧嘩場の歓声はそれを掻き消す様に覆いかぶさる。
その打ち合いにハゼも含めて実に多くの観戦者は魅入られる。
打ち込まれる度に激しく飛沫をあげる汗は天井にぶら下がる照明に照らされて光輝き、弾ける乾いた音と宙を駆け巡る。
一進一退の攻……防は微塵もない。
互いにただ殴り殴られの応酬に加え、完全に防御を捨てるという異様さ。
だが、そんな事は二人はお構いなしで共に表情は明るいのなんの。
殴られた直後に反撃するマウベルが見せる精悍な顔つき加減に気付けばその場にいる女性陣を魅了し始めている。
一方ゼルファークは終始、にやにやと、していて実に気持ち悪ッ……と、ハゼだけがそう思う。
ゼルファークの悪い癖だ。
相手の土俵で遊ぶ癖。
彼なりの敬意らしいが凡人からすればそんな芸当はただの挑発にしかならない。
ほんの僅かだけ、マウベルを応援する輩達の気持ちも解る。
だか、これはゼルファークからしたらただの遊びに他ならないことを解っているからこそ、さっき迄抱いていた熱は冷めていた。
酒を含みながら見守るが、結果は視えている。
盛り上がる周囲とは違いハゼは再び天井に視線を向け、この先の団内の空気を想像する。
「はっ!人外、魔素使わねーのか!?」
「強がるな小童、その神授能力、〝魔素返し〟なのだろう?さっきから一発逆転狙いなのは見え見えだぞ?」
マウベルは攻撃の手を止めて参ったと言わんばかりに固まる。
「たった一度見て見抜くかよ、普通。」
互いの身体のあちらこちらに痣を作る両者は仁王立ちで向かい合う。
「そんなに魔素を所望ならば、撃ってやらん事もないが……どうする?」
流石にこれ以上の傍若は店側も困るだろうと判断してハゼは水を差した。
「馬鹿言ってんじゃないぞ、ゼルファーク。店を壊す気か?」
場の視線はハゼに集まると、マウベルは少し間を置いてから降参する。
猛烈熾烈な魂のぶつかり合いの最中に本能的に何かを感じ取ったのだろう。
その判断は正しいが、事もあろうか状況は最悪の方向へと進む。
「だが、高みを久々に見た。こんなに気分が良いのは何時ぶりかねぇ……なぁ店主!無茶な注文頼んでいいか?なに、対価はしっかり払うさ。充分過ぎるほどな。それじゃあ注文は……。」
ハゼからすると正気の沙汰じゃない言葉。
幾らなんでも横暴で無茶苦茶な注文だ。ここは建築家の店じゃなく料理家の店だ、注文は料理だけにしてくれよと、ほとほと呆れ尽くすと同時にミルス・マウベルという男に心を揺さぶられた。
―俺には到底、真似できない決断。―
ハゼの中で、何かが動く。
ゼルファークの屈託ない笑顔の明るさに反するように魔素は禍々しく暗く妖しく輝く。
それを解き放つと瞬間、マウベルは破壊された店奥の壁の瓦礫を寝床に眠りにつく。
「中々に興が乗ったぞ。筋の良さはかなりの物だ。気に入った!時にお前はなんでそんなに落ち込んでいる?」
筋肉馬鹿同士の暴力に呆れて物が言えないでいたが、確かに最期のマウベルの乾坤一擲はゼルファークの勢いを一瞬止めたが耐えきれずに結局は吹き飛んだ。
が、その一瞬は紛れもなく片鱗そのもので、ハゼもそれを認めるしかなかった。
ほんの少しの……嫉妬を混じえて思うのだった。
人誑し……と。
★★★
「リース!マウベルは本気だ!」
慌ててハゼはリースに叫んだ。
「ハゼ。あんたが身につけている装備は全て黒曜鉱製だったよな?リース、君が纏う法衣は不死鳥の羽根で結った傑作だったか……。」
そう1人で語りかけるマウベルからはただならぬ雰囲気しか感じない。
「小癪……な!昔っから貴様のその馬鹿げた能力には反吐がでるわ!」
憤怒の頂点に達する土竜族の連撃を躱しながら涼し気な表情を晒すマウベル。
「あれからどれだけの試練を越えてきたと思っとるんだ!儂もリースも尋常じゃないほど耐え忍ぶ道から逃げずにここまで来たのだ!昼夜問わず受付嬢に〝ちょっかい〟だしとる貴様に!歓楽街に身を置く貴様なんぞに負けてたまるものか……負けてられるかぁぁぁ!」
凄まじい程の轟音を唸らせながら、間髪入れずに雷神の斧は空を裂き、大地を抉る。
幾度か振り下ろしや振り抜きの反動で大斧の片刃とは反対側にある斧頭でマウベルを殴りつけたが、その程度の負荷では意味がないのも解りきっていた。
が、それでも今は受け止めたくない現実を払うが如く、迫りくる衝動に抗う。
この20年、死を覚悟してまで乗り越えた試練の数は枚挙に暇がない。
それでもだ。
それでもゼルファークには未だ遠く及ばない。
その事実は痛いほど自覚している。
異常なまでに鬼気迫るハゼの情緒にリースは戸惑う。
その類の顔つきを見るのはあの日以来無かったからだ。
このままではこの場に居られないとリースを冒険者たらしめる衝動、本能が芽吹く。
「颯星たる風精霊の御霊よ、我が言霊に宿り詠え〝咆哮する狂飆〟!」
少しの焦りが微妙に双璧の綻びを生む。
ハゼは逸ったリースを援護する為、マウベルの隙を作ろうとするも間に合わずリースの放った強力な風属性魔法の精霊の歌声はマウベルの神授能力を前に虚しく跡形もなく消え失せる。
すると、次第にマウベルの拳が緑色の魔素を纏っては土竜族とエルフ族の二方向へと圧縮された暴風魔力が放たれ、息巻いていた二人は砂塵に塗れつつその場に膝をついて沈黙した。




