第2話 下町の治療院
コン コン コン
フェンの散歩も終わり、ランスロートの出かける準備が終わった頃、玄関の扉をノックする音がした。
「はーい」
「おはようございます、ニーナ様」
「ウォルターさんにメアリーさん! おはようございます」
治療院の手伝いで、ドレスディア伯爵家から二人の使用人が、平日は毎日通いできてくれるのだ。
ウォルターさんはドレスディア家の執事を引退したばかりの60代半ばの男性。息子さんに代替わりをして引退したとはいえ、名門のドレスディア家の留守にしがちな王都の屋敷を何十年も取り仕切っていた優秀な人物だ。今までに会った誰よりも姿勢がよく、髪の毛も完璧に後ろに流している。年齢を知らなければ40~50代に見える。
メアリーさんは四十代半ばのベテランのメイドさんでこちらは現役バリバリだ。ドレスディア家のメイドの教育係までやっているほどの方だそうだけど、一見するとおっとりとした優しい雰囲気の女性だ。
「頼んだぞ、ウォルター、メアリー」
「かしこまりました、ランスロート様」
「ニーナ、いってくる」
「うん。いってらっしゃいランス!」
そうしてランスロートは、今日も同じ王都にあるドレスディア家の屋敷へと向かった。
ランスロートを見送ったら、ウォルターさんが渡してくれた今日の予約の患者さんの資料を読んで、準備をする。
「ケンリック様、おはようございます」
「ウォルターさん、おはようございます」
しばらくしたらケンリックさんが出勤してきたようで、ウォルターさんが案内する声が聞こえた。
守護聖獣との契約が終わった後、ケンリックさんは神殿を辞めて、私が新しく始める治療院を手伝ってくれることになった。毎朝治療の時間になると通ってきているのだ。
ちなみにケンリックさんが神殿を辞める時、ギャレット祭祀長に頼み込まれて、強い魔獣が出没したり、重症な患者が来た時は手伝うことになっているのだそうだ。ものすごく高額な報酬を提示されたらしく、とても驚いていた。
ここ何年もの間、コルベ王国に出た強い魔獣を退治するのはケンリックさんの仕事だったそうだから、急にいなくなると困るのだろう。
「ケンリックさん! おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「おはようございます、ニーナさん」
顔を出してケンリックさんに朝の挨拶をする。
大神殿の聖衣を着ていないケンリックさんにも、大分慣れてきた。
ケンリックさんは、神殿を辞めたので敬語を止めて素の話し方になるのかと思いきや、結局敬語で話すことに決めたらしい。
ケンリックさんが長年診ていた貴族の患者さんが、何人もこちらの治療院にも引き続き通ってくることになったからだ。
貴族相手に、いくら聖者と言えど乱暴な言葉遣いはできない。
患者さんの身分によって、いちいち話し方を変えるのも面倒とのことで、結局誰に対しても敬語で話すことに落ち着いたのだとか。
「ずっと無理をして、自分らしくない話し方をしていると思っていたんですけれど、もういつでも素で話していいのだと思うと、別にどちらでも良いかとなりました」と、本当にどうでも良さそうに理由を教えてくれた。
一階にある二部屋を、ケンリックさんと私の治療室にそれぞれ使用している。元々、家にはキッチンとダイニング、そして広いリビングルームしかなかったようだけど、後に増築されたらしい独立した部屋がちょうど二つあったのだ。古くからある家では、こうやって用途に合わせて、少しずつ改装することがよくある。
以前の持ち主の御夫婦には、何人も子供がいたそうだから、子どもが増えて増築したのかもしれない。
下町では私が治療院を始めたことは有名だったけど、一部の貴族にも評判が広まっているらしく、一日三人ずつの予約はずっと先までいっぱいだ。
聖者の治療には怪我だけではなく、気鬱や呪い、繁栄の祝福依頼のようなものまで多岐に渡る。中にはこちらから出向く必要のある案件もある。
また午前中の予約以外にも、午後に緊急の患者さんも来ることがあるので、常に大忙しだった。
優秀な元執事のウォルターさんがそういった患者さんの予約を管理をしてくれて助かっている。おかげで治療だけに専念できるのがありがたい。
「それでは次の方」
「……失礼します」
メアリーさんに案内されて治療室に入ってきた患者さんは、初めて診る人だった。
50歳くらいの男性で、くたびれた感じだけど、妙に体格がいい。立ち居振る舞いからして、元兵士か傭兵だろう。杖をついて、左足を引きずっている。その動きから見て、どうやら膝から下が動かないようだった。
疲れ切っているような、無気力な表情をしていた。
「今日はどのような治療をご希望でしょうか」
引きずっている足も当然診るつもりだったけれど、もしかして他にもなにか治療を希望しているところがあるかもしれないと、まずは本人の話を聞いてみる。
「この足なんですが……十年ほど前に落馬して、動かなくなってしまいまして。もちろんもう治ることはないでしょうが、最近痛みがあまりに酷いんです。こちらの治療院の聖者様は素晴らしい腕だと聞いたので、少しでも痛みがマシになればと……」
「分かりました。それでは診させていただきます」
怪我をした足首に魔力を流して、探ってみる。
落馬をしたという時、きっとすぐには適切な治療ができなかったのだろう。折れた骨は後から医者が手術をして元の位置に戻した形跡がある。しかし潰れて固まった神経や組織はそのまま治らず、エネルギーの循環がそこで止まってしまっている。
――傷の治療というよりも、組織を元気に回復させてみれば……。
「光よ。聖なる泉の安らぎを」
潰れた組織が生き返るように、魔力を流して活性化させる。
「足を動かしてみてください」
「……動かしたくても動かせないんですが。やるだけやってみます……イタタタ!」
「すみません。今痛みを和らげますから、少し我慢して……光よ。天渡る風の癒しを」
すかさず治療魔法を掛ける。
「イタタ……これは、動くぞ! 少しだけど。だけど今まで全く動かなかったのに‼」
この調子で、次はまた回復魔法を掛ける。また少し動かして、治療をして痛みを取る。
治療と回復を繰り返し、その度に患者さん自身に足を動かしてもらって、少しずつ可動域を広げていく。
「今日はここまでですね。何年も動かしていなかったので、筋肉も衰えてしまっていて、治療だけでは元に戻りません。また1~2週間後にきてもらえますか。期間を置いて、何度か治療をする必要があります」
「も、もちろんです! あのまさか……まさか歩けるようになるわけでは、ないですよね」
「怪我が治って、少しずつ筋肉が付いていけば、歩けると思います。何度も通ってもらうことになりますが」
「…………信じられない」
「えっ、大丈夫ですか」
父親ほどの年齢の男性が、しばらく呆然としたように沈黙した後、急に泣き出してしまった。慌ててハンカチを差し出す。
「すみません……怪我をしてから、ろくに仕事もできなくて、家族には苦労ばかりかけてきたんで……それが治るなんて、本当に夢みたいだ。足が治ったら、何でもできる。どんな仕事だってやる。本当に……本当になんとお礼を言っていいか」
「よかった。お役に立てて嬉しいです」
月並みだけど、そんな言葉が浮かんできた。胸を押さえて泣いている患者さんを見て、私も胸がいっぱいになる。こんな時、自分に聖なる力があって本当によかったと思う。
「こんな風に喜んでいただきたくて、私は治療院を始めたんです」
元兵士の男性に、次の治療の日までに動かしておいてほしい範囲を正確に伝える。決して無理はしないようにと細かく指示して、午前中の治療は終わった。
男性はずっと、泣きながら何度もお礼を言って帰っていった。
こちらこそお礼を言いたいくらい、じんわりと幸せな気持ちにさせてもらった。




